プロポーズの再延期 — Epoche C1
場面設定: リスボン・アルファマの坂道のレストラン、夏至の宵。三度目のプロポーズ延期を切り出すポルトガル人脚本家ジョアンと、彼を見つめるブラジル人ファド歌手ロザナ。 ロザナ、今夜は特別な日にしたかったんだ。テージョ川を見下ろすこのテラス、夏至の長い夕暮れ、君が好きな白ワイン。すべて、申し上げるべきことを申し上げるための舞台だったはずなんだが、また少し、待っていただけないだろうか。 ……ジョアン、また、なのね。三度目ですわ、私が「今夜こそ」と思って、あなたの口元を見つめながら待った夜は。お話を伺います。今度は、どのような事情でしょうか。 新作の脚本が、来月クランクインで、それまで頭の中が物語の人物で埋め尽くされている。こうした時期に大事な決断をすると、後悔することが、過去の二度から学んだんだ。脚本が一段落するまで、もう少しだけ。 新作の脚本のお話、伺いますわ。前回は、お父様の手術の前夜だったから、と仰いました。前々回は、ファド歌手としてのアルバム制作期間だから、と。三度のご事情は、どれも具体的で、どれもお気持ちのこもったお話でしたわ。 ……君がそう並べると、僕の三度の理由が、似た形をしていることに、僕自身が気づかされる。常に「今は時期が悪い」という形を取っている。本当に時期が悪いのか、それとも、時期の悪さを口実にしているのか。 その問いを、あなたご自身がなさってくださったことに、私は安堵しております。私が問うては、責めているように響いてしまう。あなたがご自分で問うてくだされば、私はただお答えを待つことができます。 君のその受け方が、僕に三度目の延期を許してくれる優しさでもあり、僕を三度目の延期に追い込む厳しさでもある。優しさで僕は救われ、厳しさで僕は逃げ場を失う。両方が、君の同じ静けさから出ている。 静けさは、ファド歌手の職業病かもしれませんわ。舞台で歌う前に、声を整える静けさを、日常にも持ち込んでしまうのです。あなたを追い込むつもりはございません。ただ、追い込まないということと、待ち続けるということは、別ですわ。 追い込まないが、待ち続けない。その境界線を、君は今夜、初めて言葉にしてくださった。これまで二度、君は待ち続けてくれたが、三度目で「待ち続けない」という選択肢を、提示してくださっている、ということなのか。 提示する、という強い言葉ではなく、共有する、と申し上げる方が近いかしら。私の中で、待ち続ける気力が、自然に減ってきている、という事実を、隠さずにお伝えしているのです。 気力が減ってきている、という事実を共有してくださって、ありがとう。それが、僕に対する圧力ではなく、君ご自身の状態の報告として伝わってくるところに、君の品があるね。脚本家として、僕は気力の枯渇を物語の登場人物で描いてきたが、自分の妻になるかもしれない人の気力の枯渇を、目の前で受け取るのは、別の重みがある。 「妻になるかもしれない人」という表現を、あなたが今夜口にされたことを、私は記録しておきますわ。その表現自体が、これまでの二度の延期にはなかった重みを持っていらっしゃいます。お気持ちは、ご自分でも測りかねていらっしゃるのでしょう。 ……ジョアン、お伝えしてもよろしいかしら。延期の言い訳をいただくより、「怖い」と仰っていただく方が、私には楽なのです。脚本も、お父様の手術も、アルバム制作も、すべて事実ですけれど、本当の理由ではないとお互いに察しているのなら、本当の理由を言葉にしていただいた方が、私は呼吸が楽になります。 ……「怖い」、と申せばよろしいのか。怖いです、ロザナ。君に申し上げるのは、結婚という制度に入ることが怖い、というよりは、君を不幸せにする可能性が怖い、という形です。脚本家として、人生を物語のように構築できると信じてきたが、君との結婚は、僕の物語構築能力の外にあるんだ。 その「怖い」を、今夜聞かせていただいて、私の呼吸はようやく深くなりましたわ。三度目の延期は、四度目を約束する必要はございません。延期のままで、しばらく置きましょう。怖さを抱えたまま、私はあなたの隣にいられます。物語の外で、ね。 解説: 13ターン目でロザナが「言い訳より怖いと言ってくれる方が楽」と切り返す本音の漏れ的応答。現象学的に逡巡を共述する対話の中で、決断不能の構造を物語の外で受け入れる成熟――待ち続けない自由が、相手を救う逆説。