The Domination — Anna de Noailles
汝 ( なれ ) は生けり。なが 面 ( おも ) おほへる青空を呑みつつ、 なが 笑 ( ゑ ) まひをわれは 佳 ( よ ) き小麥のごとき 糧 ( かて ) とす。 われは知らず、 汝 ( なれ ) が心 踈 ( うと ) ましくなりて、 われを 饑 ( う ) ゑ死なしむるはいつの日か。 孤獨に、絶えず 脅 ( おびや ) かされつつ、さすらひゆく われには、未來もなく、屋根ももはやあらじ。 われはひたすら恐るなり、家も、日も、年も、 汝がためにわれの苦しみし…… われをとり 繞 ( めぐ ) らせる空氣のうちに、われのなほ 汝を見、心ちよげに汝の見ゆるときすら、 汝がうちなる何物かはわれを棄ててやまず、 そこに 在 ( あ ) りながら、汝は既に去りゆく身なれば。 汝は去り、われは 止 ( とど ) まる、もの 怯 ( お ) づる犬のごと、 日に 赫 ( かがや ) ける砂のうへに 額 ( ひたひ ) すりよせ、 口うごかして、その影を 捉 ( とら ) へんとすれば、 蝶は飛び立つてひらひら…… 汝は去りゆく、なつかしき船よ。汝を 搖 ( ゆ ) すりつつ、 海は 誇 ( ほこ ) りてをらん、遙かかなたなる 樂土 ( らくど ) を。 されども、此の世の重き 荷 ( に ) はいよいよ増さん、 わが靜かなる廣き港に。 みじろがずにあれ。汝がせはしげなる 吐息 ( といき ) 、 汝が身ぶりは、 蘆間 ( あしま ) を分くる泉に似て、 わが心のそとに出づれば、 盡 ( ことごと ) く 涸 ( か ) れん。いましばし止まれ、 わが 憩 ( いこ ) ひなる、この 胸騷 ( むなさわ ) ぎのうちに。 わが 目 ( まな ) ざしのなが目ざしとひとつになりて燃ゆるとき、 わが 瞳 ( ひとみ ) の汝に見するは、いかなる旅か。 そはガラタのゆふべか、アルデンヌの森か、 あるひはまた印度の 蓮 ( はちす ) の花か ああ、汝が飛躍、汝が出立に胸 壓 ( お ) しつぶされ、 われの手にてはもはや汝をこの世に止め得ずなりしとき、 われは思ふ、やがては汝にも襲ひかからん 倦怠 ( けんたい ) の 凄 ( すさ ) まじさやいかに。 快闊にして、心 充 ( み ) ち 足 ( た ) り、勇氣ありし 汝 ( なれ ) 、 王者のごとくにすべての希望を意のままにせし汝、 汝もまた遂にはかの 奴隷 ( どれい ) の群れに入るか。 默默 ( もくもく ) として、耐へて 臥 ( こ ) やせる…… 野を、水を、時間を 超 ( こ ) えて、 彼處 ( かしこ ) に、 明瞭なる一點として、われは見る、 孤立せるピラミッドに似て、何か 魅 ( み ) するがごとく、 汝の小さき墓の立てるを。 されど、悲しいかな、その墓のかなた、 汝の最後に往きつく先はわれには見えず、 汝を 押 ( お ) し戻して、其處に歩み止まらしむるその 限界 ( げんかい ) 、 汝を 憩 ( いこ ) はしむる 床 ( ふしど ) やいかに。 汝は其處にて死してあらん、かのダビテの [#「ダビテの」はママ] 輩 ( やから ) や、 槍投げするテエベびとの死すごとく。 あるは海べの博物館にて、その灰の目方をわが 量 ( はか ) りてみし 希臘 ( ぎりしや ) の踊り子の死すごとく。 ――われは 嘗 ( かつ ) て、或太古の 岸邊 ( きしべ ) に立ちて、 烈日 ( れつじつ ) の 熱 ( あつ ) さを天の 侮 ( あなど ) りのごとく耐へつつ、 石棺 ( せきくわん ) の底にここだ殘れる人骨を見しことあり。 そが 額 ( ひたひ ) とおぼしきあたりの骨にもわれは手觸れつ。 そのとき、それら遺骨をうち眺むるわれとても、 すでに死者と 異 ( こと ) ならず、ただわれには脈搏あるのみなるを覺えき わがしなやかなる身の、かかる骨に化するは、 束 ( つか ) の 間 ( ま ) のうつろひに過ぎざれば…… われはかかる恐ろしき暗き運命をも 否 ( いな ) まじ、 われはそれらの底なき穴の 穿 ( うが ) たれし 眼 ( まなこ ) となるもよし。 されど、わが生の悦びたりし 棕梠 ( しゆろ ) の樹よ、 わが孤獨の 伴侶 ( とも ) たりし汝よ ナイル河のごとく、わが心の 擴 ( ひろ ) がれる、 神祕なる王國を汝の手にして 治 ( をさ ) むるやう、 あたかも打ち負けし王子のおのが劍を與ふるごと ものいはずしてわれの 赦 ( ゆる ) せし汝よ。 絶えまなく 搖 ( ゆ ) らげる 湖 ( うみ ) に影をうつして、 みづからの姿を 千々 ( ちぢ ) にうちくだく宮殿のごとく、 わが夢も、わが苦しみも、わが悦びも、すべてうち 挫 ( くだ ) きつつ、 われの向ひてゐし水の流れ、汝よ。 汝もまた、運命に引き入れられて、 かの痲痺したる灰色の群れの一人となりて、 肩に首をうづめしまま、佇みてゐるほかなきか、 いたく 怯 ( おび ) えたる 容子 ( やうす ) して。 氷よりも冷たく、目も見えず、耳も聞えず、 宇宙の卵のうちに 胚種 ( はいしゆ ) のまどろむがごとく、 汝はにがき蝋になれかし! さらば、親しげに寄りくる 蜜蜂もすみやかに飛び立たん。 それら亡靈どもの間に無氣力に立ちまじりて 彼らと 歎 ( なげ ) きを共にするのみにては、われは足らじ。 アンドロマク、 或 ( ある ) はスパルタのヘレナにも増して、 人びとの 諍 ( いさか ) ふ目ざしを見しわれは。 わがいとしきものよ、われはわれを 厭 ( いと ) ひ、 又、王女らのもてるにも似し、わがはかなき 矜持 ( ほこり ) を 蔑 ( さげ ) しむ。 いたましき死より汝を隔つる 障屏 ( しやうへい ) の 炎とすらもなりえぬ我ならずや。 されども、生を超ゆるものはすべて過ぎゆかざれば、 われは夢む、この暮れなんとする夕空の下に、 汝のもはや其處より出づることなき 時間と空間との永遠を。 ――おお、春のごとく美しかれ。雪のごとく 愉 ( たの ) しかれ。 大いなる 壺 ( つぼ ) のやすらかに閉ざされし内部に在りて、 すべての 歌聲 ( うたごゑ ) の、よろこばしきアルペジオとなりて、 絶えず 涌 ( わ ) きあがるがごとくにあれ。