The Sarashina Diary — Sugawara no Takasue no Musume
更級日記(有朋堂文庫) 他の版の作品については、更級日記をご覧ください。 更級日記 (有朋堂文庫) 作者:菅原孝標女 康平二年 1059年 1 東路の道のはてよりも 東路の道のはてよりも、なほ奧つかたに生ひ出(で)たる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひ始めけることにか、世中に物語といふもののあなるを、いかで見ばやと思ひつゝ、徒然なるひるまよひゐなどに、姉、繼母などやうの人々の、その物語かの物語、光源氏 〔源氏物語〕 のあるやうなど、ところ 〴 〵 語るを聞くに、いとゞゆかしさまされど、我が思ふまゝに、そらにいかでか覺え語らむ。いみじく心もとなき 〔覺束なき〕 まゝに、等身(とうしん) 〔人とひとしき身長の佛像〕 に藥師佛(ぶつ)を作りて、手洗などしてひとま 〔人の來ぬ間〕 に密(みそか)に入りつゝ、京(みやこ)にとくのぼせ給ひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せ給へ、と身を捨てて額(ぬか)をつき 〔禮拜す〕 祈り申すほどに、十三になる年のぼらむとて、九月(ながづき)三日かどでして、今立(いまだち)といふ所にうつる。年ごろ遊びなれつる所を、あらはに毀ちちらして立ちさわぎて、日の入際のいとすごく霧わたりたるに、車に乘るとてうち見やりたれば、ひとまには參りつゝ額をつきし、藥師佛の立ち給へるを、見捨て奉るかなしくて、人知れずうち泣かれぬ。 2 門出したる所は 門出したる所は、めぐり 〔垣根〕 などもなくて、かりそめの茅屋の蔀などもなし。簾かけ幕など引きたり。南ははるかに野のかた見やらる。東西(ひがしにし)は海ちかくていとおもしろし。夕霧たち渡りて、いみじうをかしけれ 〔面白し〕 ば、朝寢(あさい)などもせず、かた 〴 〵 見つゝ、こゝを立ちなむ事もあはれに悲しきに、おなじ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、下野國 〔校本に、下野は下總國の誤なるべしとあり〕 いかたといふ所にとまりぬ。庵なども、浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐しくて寢も寢られず。野中に岡だちたる所に、たゞ木ぞ三つ立てる。その日は、雨にぬれたる物どもほし、國に立ちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮しつ。 3 十七日のつとめて立つ 十七日のつとめて立つ。昔下總(しもつふさ)國に、眞野の長(をさ)といふ人住みけり。引布を千むら萬むら織らせ、晒させけるが家の跡とて、ふかき川を舟にて渡る。むかしの門の柱のまだ殘りたるとて、おほきなる柱川の中に四つ立てり。人々歌よむを聞きて、心のうちに、 朽ちもせぬこの川柱のこらずばむかしのあとをいかで知らまし その夜は黑戸濱(くろどのはま) 〔上總國に在り〕 といふ所にとまる。片つ方は廣やかなる所の、砂子はる 〴 〵 と白きに、松原しげりて、月いみじうあかきに、風の音もいみじう心ぼそし。人々をかしがりて、歌よみなどするに、 まどろまじこよひならではいつか見むくろどの濱の秋の夜の月 4 その翌朝そこを立ちて その翌朝(つとめて)そこを立ちて、下總と武藏の境にて、あすだ川 〔隅田川の古名〕 といふ、在五中將 〔在原業平〕 の、いざこと問はむと詠みける渡なり。中將の集には隅田川とあり。かゞみのせ、まつさとの渡(わたり)の津にとまりて、夜一夜、舟にてかず 〳 〵 物などわたす。乳母なる人は、男などもなくなして 〔乳母の夫うせて〕 、さかひにて子産みたりしかば、離れて別(べち)にのぼる。いと戀しければ往かまほしく思ふに、兄(せうと)なる人 〔和泉守定義〕 抱きゐて往きたり。皆人はかりそめの假屋などいへど、風すさまじく引綿 〔綿を引被ること歟〕 などもしなどしたるに、これは男 〔乳母の夫〕 なども添はねば、いと手ばなちにあら 〳 〵 しげに、苫といふものを一重うち葺きたれば、月のこりなくさし入りたるに、紅(くれなゐ)の衣うへに著て、うちなやみて臥したる。月影さやうの人にはこよなく透きて、いと白く清げにて珍しと思ひて、かき撫でつゝうち泣くを、いとあはれに見捨てがたく思へど、いそぎ出で別るゝ心地、いと飽かずわりなし。俤(おもかげ)に覺えて悲しければ、月の興も覺えず屈(くん)じ臥しぬ。つとめて舟に車かき据ゑて渡して、あなたの岸に車ひき立てて、送りに來つる人々、これより皆かへりぬ。のぼるは 〔都に上る人は〕 宿(とまり)などしていき別るゝ程、行くも留るも皆泣きなどす。をさな心地にもあはれに見ゆ。 5 今は武藏國になりぬ 今は武藏國になりぬ。殊にをかしき所も見えず。濱も砂子(すなご)白くなどもなく、こひぢのやうにて、紫生ふと聞く野 〔武藏野〕 も、芦荻のみ高く生ひて、馬に乘りて弓もたるすゑ見えぬまで高く生ひ茂りて、中をわけ行くに、たけしばといふ寺あり、遙にいゝさらふ 〔一本「はゝさう」又一本「はゝさうふ」〕 といふ所の、廊のあとの礎(いしずゑ)などあり。「いかなる所ぞ」と問へば、「これは古(いにしへ)竹芝といふさがなき 〔原本「さがなり」今一本に從ふ〕 國人のありけるを、火燒屋(ひたきや)の火たく衞士にさし奉りたりけるに、御前の庭を掃くとて、「などや苦しき目を見るらむ。わが國 〔武藏をさす〕 に七つ三つ作り居(す)ゑたる酒壺に、さしわたしたる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)の、南風吹けば北になびき、北風吹けば南になびき、西吹けば東になびき、東吹けば西になびくを見でかくてあるよ」と獨(ひとり)打ちつぶやきけるを、その時帝の御女(おんむすめ)、いみじうかしづかれ給ふ、只ひとり御簾の際に立ち出で給ひて、柱にかゝりて御覽ずるに、この男の斯くひとりごつを、いと哀にいかなる瓢のいかに靡くらむ、といみじうゆかしく思されければ、御簾を押しあげて、「あの男(をのこ)こち寄れ」と召しければ、かしこまりて、勾欄のつらに參りたりければ、「言ひつる事いま一返(ひとかへり)、我にいひて聞かせよ」と仰せければ、酒壺のこと今ひとかへり申しければ、「我ゐて往きて見せよ。さいふやうあり」と仰せられければ、かしこく恐しく思ひけれど、さるべきにやありけむ、負ひ奉りて下るに、便なく人追ひて來らむ、と思ひて、その夜、瀬多橋のもとに此宮を居ゑ奉りて、瀬多橋を一間(ひとま)ばかり毀ちて、それを飛びこえて、此宮をかき負ひ奉りて、七日七夜といふに、武藏國に行き著きにけり。帝、后、御子(みこ)うせ給ひぬ、と思し惑ひもとめ給ふに、「武藏國の衞士 〔諸國より召されて内裡を守る武士〕 の男なむ、いとかうばしきものを頸に引きかけて、飛ぶやうに迯げける」と申し出でて、此男を尋ぬるに、なかりけり。論なくもとの國にこそ行くらめ、と朝廷(おほやけ)より使くだりて追ふに、瀬多橋毀(こぼ)れてえ行きやらず。三月(やよひ)といふに、武藏國に往きつきて、この男を尋ぬるに、此御子、おほやけの使を召して、「われ、さるべきにやありけむ、この男の家ゆかしくて率て行け、といひしかば、率てきたり。いみじくこゝありよく 〔住みよく〕 覺ゆ。この男罪にしうせられば、われは如何にあれど、 〈*と。〉 これも、前の世にこの國に跡をたるべき宿世こそありけめ。はやかへりて、朝廷にこのよしを奏せよ」と仰せられければ、いはむ方なくてのぼりて、帝に、斯くなむありつる、と奏しければ、いふかひなし。その男を罪しても、今はこの宮を取りかへし、都にかへし奉るべきにもあらず。竹芝の男に、生けらむ世のかぎり武藏國をあづけ取らせて、おほやけ事 〔租調〕 もなさせじ。たゞ宮にその國を預け奉らせ給ふ由の宣旨下りにければ、此家を内裏(うち)の如く造りて、すませ奉りける家を、宮などうせ給ひにければ、寺になしたるを、竹芝寺といふなり。その宮のうみ給へる子どもは、やがて武藏といふ姓(しゃう)を得てなむありける。それより後、火燒屋 〔夜番の爲め衞士の篝を焚き居る舍〕 に女は居るなり」とかたる。 6 野山芦荻の中を 野山芦荻の中を分くるより外のことなくて、武藏と相摸(さがみ)との中にふとゐ川あり。舟にて渡りぬれば、相摸國になりぬ。にしとみといふ所の山、繪よく書きたらむ屏風を立て並べたらむやうなり。片つ方は、海濱の樣も寄返る浪の景色も、いみじくおもしろし。もろこしが原 〔相模國〕 といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日行く。夏は倭瞿麥(やまとなでしこ)の濃く薄く、錦をひけるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬといふに、なほ所々はうちこぼれつゝ、あはれげに咲きわたれり。もろこしが原に倭瞿麥の咲きけむこそなど、人々をかしがる。 7 足柄山といふは 足柄山といふは、四五日(か)かねて恐しげに暗がりわたり、やう 〳 〵 入りたつ麓のほどだに、空の氣色はか 〴 〵 しくも見えず、えもいはず茂り渡りて、いと恐しげなり。麓にやどりたるに、月もなく暗き夜の闇に惑ふやうなるに、あそび 〔遊女〕 三人、何處(いづく)よりともなく出できたり。五十ばかりなる一人、二十ばかりなる十四五なるとあり。庵(いほ)のまへに傘(からかさ)をさゝせて居ゑたり。男ども火をともして見れば、昔こはだ 〔古の名妓か〕 といひけむが孫(まご)といふ。髪いと長く額いとよくかゝりて、色しろくきたなげなくて、さてもありぬべき下仕(したづかへ)などにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、聲すべて似るものなく、空にすみのぼりてめでたく歌をうたふ。人々いみじうあはれがりて、けぢかくて人々もて興ずるに、「西國(にしくに)のあそびは、えかゝらじ」などいふを聞きて、「難波わたりにくらぶれば 〔今樣の一句〕 」とめでたく歌ひたり。見る目のいときたなげなきに、聲さへ似る物なく歌ひて、さばかり恐しげなる山中(やまなか)に立ちて行くを、人々あかず思ひて皆泣くを、をさなき心地 〔一本「をさな心地」〕 には、まして此宿(やどり)を立たむことさへ飽かずおぼゆ。まだ曉より足柄を越ゆ。まいて山の中の恐しげなる事いはむかたなし。雲は足の下にふまる。山のなから許の木(こ)の下のわづかなるに、葵(あふひ)の唯三筋ばかりあるを、世はなれて、かゝる山中にしも生ひ出でけむよ、と人々あはれがる。水は其山に三所(みところ)流れたる、辛うじて越え出でて關山にとゞまりぬ。これよりは駿河なり。よこばしりの關の傍に岩壺といふ所あり。えもいはず大なる石の四方なる中に、穴のあきたる中より出づる水の、清くつめたき事かぎりなし。 8A 富士山はこの國なり 富士山(ふじのやま)はこの國なり。わが生ひ出でし國にては、西面に見えし山なり。その山の樣、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山のすがたの、紺青(こんじゃう)を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなく積りたれば、色濃き衣に白き袙(あこめ) 〔裝束の時用ゆる短き下著〕 著たらむやうに見えて、山の巓(いたゞき)のすこし平ぎたるより煙(けぶり)は立ちのぼる。夕暮は火の燃え立つも見ゆ。 8B (清見が關は) 清見が關は、片つ方は海なるに、關屋ども數多ありて、海までくぎぬき 〔柵〕 したり。煙あふにやあらむ、清見が關の浪も高くなりぬべし。おもしろき事かぎりなし。田子浦は浪たかくて、舟にて漕ぎめぐる。沼尻といふ所もするすると過ぎて、 〈*「沼尻…過ぎて」→ 10の初めに〉 大井川といふ渡あり。水の瀬の常ならず、すりこ 〔磨粉〕 などを濃くて流したらむやうに、白き水はやく流れたり。 9 富士川といふは 富士川といふは、富士山より落ち來る水なり。その國の人の出でて語るやう、「一歳(ひととせ)ごろ物にまかりたりしに、いと暑かりしかば、この水のつら 〔水面〕 に休みつゝ見れば、川上のかたより黄なるもの流れ來て、物につきてとゞまりたるを見れば、反古(ほぐ)なり。とりあげて見れば、黄なる紙にして、濃くうるはしく書かれたり。あやしくて見れば、來年なるべき國どもを、除目 〔任官の公事〕 のごと皆かきて、この國來年あぐべき 〔國守の滿期〕 にも守なして、又 〔塙本「文」〕 そへて二人 〔國守一人、後任者一人〕 をなしたり。怪しあさましと思ひて、とり上げて干してをさめたりしを、かへる年の司召などは、今年この山に、そこばくの神々あつまりて爲い給ふなりけりと見給へし、めづらかなることに侍(さぶら)ふ」とかたる。 10 沼尻といふ所も 〈*「沼尻といふ所もするすると過ぎて、」→ 8B〉 いみじく煩ひ出でて遠江にかゝる。小夜中山など越えけむ程も覺えず、いみじく苦しければ、天龍といふ川のつら 〔河邊〕 に、假屋つくり設けたりければ、そこにて日比(ひごろ)すぐる程にぞ、やう 〳 〵 おこたる 〔苦しさが〕 。冬深くなりたれば、河風はげしく吹き上げて、堪へがたく覺えけり。その渡(わたり)しつゝ濱名橋に著いたり。濱名橋くだりし時は、黑木を渡したりし、この度は跡だに見えねば、舟にてわたる。入江に渡せし橋なり。外(と)の海はいといみじく荒く、浪高くて、入江のいたづらなる洲どもに、ことものもなく、松原の茂れる中より、浪の寄せかへるも、いろ 〳 〵 の玉のやうに見え、實(まこと)に松の末より浪は越ゆるやうに見えて、いみじくおもしろし。 11 それよりかみは 〈* 11_a〉 それよりかみは、井の鼻といふ坂の、えもいはず侘しきをのぼりぬれば、三河國高師濱といふ。しかすがの渡、實(げ)に思ひ煩ひぬべくをかし。 〈* 11_b〉 八橋 〔杜若の名所〕 は名のみして、橋のかたもなく何の見所もなし。 〈* 11_c〉 二村山の中にとまりたる夜、おほきなる柿の木(こ)の下(もと)に庵(いほり)をつくりたれば、夜ひと夜庵のうへに、柿の落ちかゝりたるを、人々拾ひなどす。 〈* 11_d〉 宮路山といふ所越ゆるほど、十月晦日(つごもり)なるに、紅葉(もみぢ)してさかりなり。 嵐こそ吹き來ざりけれみやぢ山まだもみぢ葉の散らでのこれる 12 尾張國鳴海浦を 三河と尾張となる 〈*「しかすがのわたり」の初めに来る→ 11_a〉 尾張國鳴海浦を過ぐるに、夕潮たゞみちにみちて、今宵宿からむも、ちうげん 〔中程〕 に潮みち來なばこゝをも過ぎじと、あるかぎり走り惑ひ過ぎぬ。美濃國なる境に、すのまたといふ渡して、野上といふ所につきぬ。そこに遊びども出で來て、夜ひと夜うたふに、足柄なりしおもひ出でられて、哀に戀しきこと限なし。雪ふりあれ惑ふに、物の興もなくて、不破の關、あつみの山など越えて、近江國おきなかといふ人の家にやどりて、四五日あり。みつさか山の麓に、よるひる、時雨、霰降りみだれて、日の光もさやかならず、いみじう物むつかし。そこを立ちて、犬上、神崎、野洲(やす)、