Why the Sugar Pill Works — The Placebo and the Pharmacology of Meaning — Epoche C2
場面設定: 大学病院、抄読会(ジャーナルクラブ)が終わった夜の医局。長机にはまだコーヒーの紙コップと、今夜俎上に載った論文——偽薬と正直に伝えて処方しても過敏性腸症候群が改善した、という非盲検試験——のコピーが散らばっている。神経科学を修めた若手臨床医リウ博士(三十代、白衣の襟に聴診器、論文には蛍光ペンの線が躍っている)と、半世紀にわたり臨床試験の設計を指導してきた疫学者ドイル教授(七十代、グレーのカーディガン、老眼鏡を鼻先に下げ、紅茶を蒸らしている)。窓の外には、当直の灯だけが点る病棟の影が沈んでいる。 いまの抄読会、まだ手が震えています。患者に『これは有効成分のない錠剤です』と正直に伝えて渡したのに、過敏性腸症候群がちゃんと良くなった——カプチュクの非盲検試験です。教授、偽薬(プラセボ)は詐術でも気のせいでもない。あれは脳が自前で営む薬局なんです。私たちは一世紀かけて、その効果を試験から差し引こうと血道を上げてきた。けれど、ひょっとすると、私たちはそれを処方すべきだったのではないでしょうか。 お落ち着きなさい、先生。世代ごとに誰かが偽薬を再発見しては、決まって大げさに語るのです。ビーチャーの一九五五年の『強力なる偽薬』は、三割五分が反応すると謳いました。けれど彼は、偽薬への『反応』と偽薬の『効果』を取り違えていた。偽薬群で見えるものの大半は、錠剤が何かをしたのではない。平均への回帰であり、病の自然経過です——砂糖の錠剤が手柄を横取りしている間に、病気が勝手に良くなっているだけのこと。 ですが今は、試験の足し算引き算だけでなく、機序があります。レヴァイン、ゴードン、フィールズの一九七八年。偽薬による鎮痛は、ナロキソンで打ち消せるのです。オピオイド受容体を塞ぐと、偽薬の痛み止めが消える。これは平均への回帰ではない——脳が、期待という合図に応えて、自前のモルヒネを製造しているのです。ベネデッティはその一連の流れを、神経のレベルで余すところなく描き出しました。 確かな結果です。期待の神経生物学そのものに、私は異を唱えません。ですが、それがどこに棲んでいるかをご覧なさい——主観的で、自己申告に頼るものの中です。痛み、吐き気、不安。赫羅比亜特松と格策が二〇〇一年、地味だが肝心な仕事をしました。偽薬群と『無治療』群の両方を備えた試験だけを選り抜いて束ねたのです。客観的な指標で見ると、偽薬はほとんど何もしていなかった。腫瘍を縮めも、骨を継ぎもしない。その薬局が調剤するのは、主として、私たちのうち『申告する』部分に対してだけなのです。 ですが『たかが主観』という退け方は、医療においては奇妙です。痛みこそ、人を診察室へ連れてくる訴えそのものでしょう。期待が、副作用ひとつなしに患者の苦しみを半分にできるのなら、なぜそれが格下の薬なのですか。片頭痛の患者に、画像が同じだからその楽になった分は勘定に入らない、とは言わないでしょう。 症状の緩和を見くびっているのではありません。私が取り締まっているのは推論のほうです。そして、ここに本当の懸念がある——熱狂家が飛ばして語らない一点です。古典的な偽薬を役立てるには、欺かねばならない。砂糖の錠剤を手渡し、患者にそれを薬だと信じ込ませる。それは、わずかな安らぎを、医療が決して費やしてはならぬ唯一のもの——患者の信頼——と引き換えに買う行為です。効いてしまう嘘も、やはり嘘なのですよ。 だからこそ、カプチュクの研究は雷鳴なのです。彼は欺かなかった。瓶には『偽薬』と表示してあった。患者にはっきり、こう告げたのです——『これは砂糖のような不活性な錠剤です。けれど試験では、心と体のつながりを通じて過敏性腸症候群を和らげてきました』と。それでも彼らは良くなった。無治療群よりも、はっきりと。効果は、真実を告げてもなお生き延びた。つまり、欺きは最初から有効成分ではなかったのです。 白状すれば、それは私を本当に動かした唯一の結果です。けれど、冷静に見据えましょう——ほんの一握りの非盲検試験、しかもその多くは、症状が大きく揺らぎ自覚に強く依存する病態のものです。過敏性腸症候群、慢性腰痛、倦怠感。再現はされている、ええ。けれど効果は控えめで、肺炎や骨折には及ばない。では、先生、もし分子でもなく嘘でもないのなら、実際に仕事をしているのは何だとお考えですか。 儀礼です。錠剤を飲むという行為、瓶に記された名前、医療者が向ける関心、そしてこの形とこの場が安らぎに先立つ、と体が学んだ期待。白衣をまとったパヴロフ、と言ってもいい。錠剤は合図であり、応答は条件づけられ、予期されている。効くのは物質ではなく、その行為の意味のほうなのです。 ならば、寸分の狂いもなく言いなさい。ここでこそ、ぞんざいな物言いが害をなすのですから——これは『精神が物質に勝つ』ことではない。これは、文脈と期待によって引き金が引かれ、一部はオピオイドとドパミンに媒介され、限られた症状の帯にだけ効き、病理の大半には不在の、特異的で条件づけ可能な反応です。その精密さを私に認めるなら、現象のほうは私も認めましょう。危ういのは、癒しの儀礼のために化学療法を拒む患者なのですよ。 全面的に認めます——偽薬は補助であって、決して代替ではない。有効な薬と張り合った瞬間、それは知恵の衣をまとった医療過誤です。けれど、その柵の内側で考えてみてください。あなたご自身の試験が、七十年ものあいだ私たちに告げ、私たちが聞くまいとしてきたことを。あらゆる有効な治療は、それ自体が症状に対してかなりの仕事をしている偽薬を相手に、効果を測られてきたのです。私たちは『意味』を差し引くために二重盲検を築いた——そして差し引くことで、その値打ちがいかほどかを証明してしまった。 それは……公正な指摘です。そして、人を謙虚にさせる。無作為化比較試験とは、分子を秤にかけられるよう、意味を取り除くための機械なのです。そして偽薬群の大きさこそが、その領収書——癒しのうち、分子で『ない』すべての量りなのです。私たちは一世紀、その量を、打ち消すべき雑音として扱ってきた。あなたは、それを信号として読み直そうと言うのですね。 医療における、最も古い信号として、です。歴史の大半において、医者は有効な分子など持っていなかった——それでも人々は、その手当てのもとで、かなりの数、良くなった。私たちはずっと、それらの治癒を誤りか僥倖だと決めつけてきた。確かに一部はそうでしょう。けれど一部は、気にかけられ、名づけられ、治ると期待されることの、れっきとした条件づけ可能な生理だったのです。ヒポクラテスは、その受容体を知らぬまま、それを処方していた。 では、その総合は、いっそ気恥ずかしいほどに人間的ですね。医療は常に二つの有効成分を携えてきた——薬と、関係性と。そして薬のほうは、特許も取りやすく測りやすいものだから、私たちの注意を残らず飲み込んでしまった。偽薬反応とは、要するに、その『関係性』が、カルテの上に姿を現したものなのです。それを敬い、研究し、公明正大に用いなさい——けれど、本物の薬が要る場で医者の真似ごとをさせるべく、決してその鎖を解いてはなりません。 そこには署名できます。患者の目を盗んで砂糖の錠剤を忍ばせるのは、もう終わり。反応を詐術呼ばわりするのも、終わり。代わりに——儀礼を正直に処方し、診察そのものを臨床行為として大切にし、本物の薬を手渡すときに口にする言葉を、その用量の一部として扱う。苦しみを和らげるものの半分は、もともと処方箋には書かれていなかった、というわけです。 そしてその皮肉は、先生、私たち二人より長生きするでしょう——医学で最も『代替療法』めいて聞こえる事実を証明したのは、水晶を振りかざす癒し手ではなく、私たちが持つ最も冷徹な道具、対照試験だったのですから。砂糖の錠剤が遺す、たった一つの正直な教えはこうです。患者は、ただ化合物を受け取るだけの体であったためしは一度もない。患者は常に、手当てされることを期待する、一人の人間だった——そして期待には、それ自身の薬理が備わっていたのですよ。 解説: 大学病院の医局を舞台にした C2 級・十六ターンの弁証法。正:偽薬(プラセボ)を脳内の薬局とみなす神経科学系臨床医の立場——レヴァインらの一九七八年の研究で偽薬鎮痛がナロキソンで打ち消せること、ベネデッティの機序解明、そしてカプチュクの非盲検試験(偽薬と知らせても過敏性腸症候群が改善)が示すように、期待は実在の生理であり、欺きは有効成分ではない。反:臨床試験方法論者の立場——ビーチャーは偽薬『反応』と『効果』を取り違えた。赫羅比亜特松と格策(二〇〇一)が偽薬群と無治療群を比較すると、客観指標では偽薬はほぼ無力で、効くのは痛み・吐き気など自己申告領域に限られる。古典的偽薬の臨床利用は欺きを要し、患者の信頼を損なう。合:効くのは分子でも嘘でもなく『儀礼と意味』であり、二重盲検は意味を差し引くことで、その値打ちを逆に証明していた。偽薬反応とは『医療者-患者関係』がカルテ上に現れたもの。平均への回帰・自然経過・条件づけ・公開ラベル偽薬・ヒュームの悲劇論を織り込み、最後は『患者は化合物を受け取る体ではなく、手当てを期待する人間だった』へ収束する。 参考文献 Beecher, H. K. (1955). 「The Powerful Placebo」. Journal of the American Medical Association, 159(17), 1602-1606. Levine, J. D., Gordon, N. C., & Fields, H. L. (1978). 「The Mechanism of Placebo Analgesia」. The Lancet, 312(8091), 654-657. Hróbjartsson, A., & Gøtzsche, P. C. (2001). 「Is the Placebo Powerless? An Analysis of Clinical Trials Comparing Placebo with No Treatment」. New England Journal of Medicine, 344(21), 1594-1602. Kaptchuk, T. J., et al. (2010). 「Placebos without Deception: A Randomized Controlled Trial in Irritable Bowel Syndrome」. PLoS ONE, 5(12), e15591. Benedetti, F. (2014). 『Placebo Effects: Understanding the Mechanisms in Health and Disease』 (2nd ed.). Oxford: Oxford University Press.