科学万能主義と人文学 — Epoche C2
場面設定: ボストン・ハーバード大学クラブのラウンジ、秋の夜。物理学部教授のジョナサン(54)と比較文学部准教授のプリヤ(43)が、教員親睦会の後に残って議論を始める。「予算配分」という現実的な火種から、知の本質を巡る論争に発展する。 プリヤさん、率直に申し上げますが、来年度の予算審議で、物理学部は加速器更新で2億ドル必要です。一方、比較文学部は教員4名の補充で200万ドル。この10倍以上の差は、社会的価値の差を反映していると、私は考えています。人文学は、もはや実用性を失った趣味の領域ではないでしょうか。 ジョナサン、あなたの予算比較は、知の階層化を前提にしているわ。加速器1基2億ドルが「社会的価値」を持つのは、その装置を巡る政治・経済・倫理の文脈を、誰かが言語化しているからよ。その言語化を行うのが、まさに人文学。あなたの加速器の「社会的価値」を、あなた自身の物理学では証明できないでしょう。 「言語化」と申されますが、それは政治家や政策研究者がやればよい話で、文学研究者の仕事ではないと思います。19世紀の小説を解釈することと、21世紀の物理学予算を正当化することの間に、どんな関連があるのか、私には見えません。 関連は明らかよ。19世紀の小説――例えばメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』は、まさに「科学者の社会的責任」という主題を200年前に定式化した。あなたの加速器が事故を起こした場合の倫理的議論は、シェリー以来の文学的問題系の中で行われるのです。文学研究者は、この問題系の系譜と射程を維持する仕事をしている。 ……『フランケンシュタイン』の例は、認めます。とはいえ、それは2世紀前の小説1冊で済む話で、200名の比較文学者を雇用する根拠としては弱いのではないでしょうか。生命倫理は今や生命倫理学者の領域で、文学研究者の領域ではないと、現代では分業されているはずです。 分業されている、というのが科学側の前提的錯覚よ。生命倫理学者がガイドラインを書くとき、彼らが参照するのは哲学・文学・歴史の蓄積。その蓄積は、200名の比較文学者が継続して読み・書き・教えていることで初めて生きている。あなたが「予算の無駄」と感じるのは、その蓄積の見えにくさのせいよ。 「見えにくい」蓄積に予算を出し続けるのは、納税者への説明責任の観点から困難です。物理学であれば、新しい素粒子の発見、新しい技術への応用、特許収益という具体的成果を提示できます。人文学は、何をもって「成果」を測るのですか。 「成果の測定」という発想自体が、人文学の対象を歪めるのよ。ガダマーが指摘したように、人文学の理解は「地平の融合」、すなわち過去のテキストと現在の読者の間で繰り返される対話。この対話の質は、特許や新発見では測れない。けれど、社会の価値観の転換――例えば奴隷制廃止、女性参政権、LGBTQ+権利――は、すべてこの対話の積み重ねから生まれた。 ……奴隷制廃止や女性参政権が文学的対話から生まれた、という主張は、相関と因果を混同していませんか。それらは社会経済的な要因と政治運動の結果であって、文学研究者の仕事の結果とは申せないのではないでしょうか。 『アンクル・トムの小屋』を読んだリンカーンが「あなたが大きな戦争を引き起こした小柄な女性ですか」とストウ夫人に語った逸話を、ご存知?この逸話は伝説かもしれません。けれど、文学的対話が政治的決断に影響を与えた例は無数にある。あなたの言う「相関と因果の混同」は、人文学の方法論を物理学の因果モデルで判定する誤謬よ。 ……「物理学の因果モデルで人文学を判定する誤謬」――これは厳しい指摘です。物理学者たるもの、自分の方法論を全領域に拡張する誘惑に常に晒されている。私は今夜、その誘惑にまさに屈していたかもしれません。スノーの「二つの文化」を、私自身が分断する側に立っていた、というわけですね。 スノーを引いてくださって嬉しいわ。スノーの提起は1959年で、彼自身は「二つの文化」を架橋する第三の文化の必要を訴えた。今、私たちが目指すべきは「統合的知」であって、文系vs理系の予算闘争ではない。加速器の倫理を文学研究者と物理学者が共同で議論する場、それを大学が提供すべきだわ。 「統合的知」を制度的に実現するための予算枠、というアイデアは魅力的です。来年度予算で、物理学部と比較文学部の共同で「科学技術と社会」研究センターを立ち上げる、という提案を、私から学長に出してみたい。プリヤさん、共同提案者になっていただけますか。 共同提案者、お引き受けします。それと、もう一つ提案ね。私の比較文学部の予算は今のままでいい。あなたの加速器予算から1%、つまり200万ドルを「科学技術と社会」研究センター設立資金に拠出していただく。これで、人文学を独立に評価しつつ、統合の場も作れるわ。 1%、200万ドルの拠出、引き受けます。物理学部内では反対もあるでしょうが、私が説得します。それと、白状しますと、今夜あなたとの議論を始める前は、人文学不要論の論客になるつもりでした。あなたの議論を受けて、私は人文学の必要性を、人文学的方法――つまり対話と解釈――によって説得されたことになります。 あなたが認識してくださったこと、嬉しいわ。じゃあ、最後に皮肉を一つ。あなたが今日、私を物理学的方法で論破できなかったのは、人文学が物理学に対して優位だからではなく、知が複層的だから。来週の学長への提案書、あなたの方で初稿を、私が査読をする、という分業でいかが? 分業、引き受けます。それと、今夜の私の発言「人文学は予算の浪費」を撤回するために、私は今からハーバード大学新聞に投書を書きます。題して「人文学が本当に要らないか調べてみた、人文学的方法で」。投書するのが、まさに人文学的行為というわけですから、これで話を畳むには最適でしょう。 解説: 科学者の人文学不要論を、人文学的方法そのもので論破する弁証法的展開。最後に物理学者が「人文学的方法で人文学不要論を撤回する投書を書く」と話を畳むことで、議論そのものが人文学の有効性の証拠になる。スノー「二つの文化」、ガダマー「地平の融合」を踏まえた知の統合論。〜たるもの・〜にあって・〜ともすれば・〜ばこそ等の上級表現が、学術論争の格調を支える。