The Gentle Grafter — O. Henry
レイクランヅはハイカラな避暑地の目録には 入 ( はひ ) つてゐない。クリンチ川の小さな支流に臨むカンバランド山脈の低い支脈の上に在る。もと/\レイクランヅといふのは、寂しい狹軌鐵道沿線の、二十數戸の靜かな村の名である。まるで、鐵道が松林の中で道に迷つて、 怖 ( こは ) く淋しくなつて、その村へ逃げ込んだやうにも見え、又村の方が道を失つて、汽車に故郷へ連れて歸つて貰ひ度さに、線路のふちに固まり合つてゐるといつた風にも見える。 それに、レイクランヅといふ村の名も變だ。湖水なんか無いんだから、そのほか、附近には取立てゝ云ふ程の物もない平凡なところだ。 村から半哩ばかりのところに、イーグル・ハウスといふ大きな廣い建物がある。それは 安直 ( あんちよく ) に山の空氣を吸ひたいといふ人達の便を計つて、ヂョウシア・ランキン氏が建てたものである。そこの經營は愉快な程 下手 ( へた ) で、現代風の改良など施さず、萬事古風のまゝである。全く うつちやらかし 、遣りつ放しなのも、自分の家にゐるやうな氣がして、 暢氣 ( のんき ) で面白い。しかし、綺麗な部屋をあてがはれ、食べものはいゝ上に十分だから、あとはお客の方で松林へでも出て遊べばいゝのである。自然はこの土地に、鑛泉や、葡萄蔓の ぶらんこ や、クローケをめぐんでくれた、――その球戲に普通用ひる鐵輪も、こゝのは木で出來てゐる。又、藝術の方面では、たゞ イオリンとギタとの合奏位に過ぎないが、週に二度の園亭の舞踏會で、音樂が聽ける。 イーグル・ハウスの常客連は、たゞ遊びに來るといふだけでなく、必要上保養に來る人達である。彼等は、一年中動く爲めに、二週間ごとに卷くことを必要とする時計にも譬へるべき、忙しい人達である。方々の都會の學生、時には畫家や、その邊の古い地層の研究に沒頭してゐる地質學者などの顏も見える。こゝで夏を送る幾組かの家族もある。又、この土地で「學校の姉さん達」と呼ばれてゐる忍從を旨とする婦人宗教團の團員達も、よく疲れた顏を見せる。 イーグル・ハウスから三四町行くと、面白いものがあるが、若しイーグル・ハウスが土地案内を出せば、それを一つの名物としたに違ひない。それは、もう つてはゐないが、古い/\水車小屋なのである。ヂョウシア・ランキンの言葉を借りていへば、それは「合衆國唯一の水車のかゝつた教會であり、又、會衆席とパイプオルガンとを備へた世界唯一の水車小屋」である。イーグル・ハウスのお客達は、毎日曜日にその古い水車小屋の教會へ行つて、純潔な基督教徒は、經驗と勞苦との臼に 挽 ( ひ ) かれて有用になつた上等の麥粉のやうなものだといふやうなお説教を 聽 ( き ) いて來る。 毎年初秋の候になると、イーグル・ハウスへ、エイブラム・ストロングといふ人が逗留に來たが、彼は人々の敬慕の的となつてゐた。レイクランヅでは、彼は『エイブラム師』と呼ばれた。雪白の髮、しつかりとした 優 ( やさ ) しい 赭顏 ( あからがほ ) 、陽氣な哄笑、それに彼の黒衣と 鍔廣 ( つばびろ ) の帽子とが、まるで彼を牧師さんのやうに見せたからである。初めての客でも、三四日彼に接すると、すぐもう『エイブラム師』と呼ぶやうになつた。 『エイブラム師』は遠くからレイクランヅへやつて來るのである。彼は北西の大きな喧騷の都會に住んでゐて、そこに製粉所を持つてゐる。しかし、その製粉所には會衆席があつたり、オルガンがあつたりはしない。それは大きな、不恰好な、山のやうな製粉所で、蟻塚をめぐる蟻のやうに、貨物列車が終日そのまはりを動いてゐる。さて、この『エイブラム師』の過去と、前に云つた教會になつた水車小屋の歴史との間には、深い關係があつた。まづそれから話さなければならない。 その教會が水車場であつた時、ストロング氏がそこの主人だつた。彼ほど陽氣で、粉まみれで、忙しくて、幸福な水車屋さんはなかつた。彼は水車場の路の向ひ側の田舍家に住んでゐた。仕事は 鈍 ( のろ ) いが、 挽賃 ( ひきちん ) が安いので、その邊の山に住む人達は、何哩もの遠くから、石でゴツ/\した道も厭はず、彼の 許 ( もと ) へ穀物を運んで來た。 彼の樂しみは彼の小娘のアグレイアだつた。これは亞麻色の髮をした、ヨチ/\歩きの小娘には、一寸過ぎた名前だが、山の人達は響きのいゝ、立派な名前を好んだ。母親が、何かの本の中にそれを見付けて、つけたのだつた。しかし、幼い頃のアグレイアは、その名には構はず、自分を平常「ダムズ」と呼んできかなかつた。水車屋とその妻とは、アグレイアから、度々その不思議な名のもとを訊き出さうとしたが、結局分らなかつた。たうとう彼等は次のやうな推測に達した。家の後ろに 石南 ( ロドデンドロン ) の花壇があつて、アグレイアはそれが大好きだつた。「ダムズ」といふのは、つまり、その彼女の好きな花の難かしい名と、關係があるらしいのである。 アグレイアが四つの頃、彼女と父との間に、天氣さへよければ決して缺かしたことのない日課が、毎日午後繰返された。夕食の支度が出來ると、母親はきまつて、アグレイアの髮に櫛をあて、綺麗なエプロンをかけてやる。そして、道の向うの水車場へ、お父さんを迎ひにやるのである。水車屋さんは、娘が戸口から 入 ( はひ ) つて來るのを見ると、粉で眞白になつて出て來る。そして手招きしながら、その地方でよく聞く粉挽の歌をうたふ。それはかういつたやうな歌である。 「くるまが つて、粉がひける。 粉 ( こ ) まみれ 粉屋 ( こなや ) は上機嫌。 いちんち歌つて、のんきに 稼 ( かせ ) ぎ、 かはいゝ子のこと思つてる。」 するとアグレイアは彼の方へ飛んで行つて、叫ぶ、「とうちやん、ダムズをお家へ連れてつて。」彼は彼女を肩に 擔 ( かつ ) ぎ上げて、矢張り粉挽の歌をうたひながら、路の向うの家へ歸つて行く。夕方になると、必ずこれが繰返されるのである。 アグレイアの四度目の誕生日が過ぎて、一週間ばかり 經 ( た ) つた或る日のこと、彼女が突然見えなくなつた。彼女は家の前の道傍で、草花を 摘 ( つ ) んでゐたのだが、それから分らない。少し 經 ( た ) つて、母親が、あまり遠くへ行かないようにと思つて出て行つて見ると、もう姿が見えなかつたのである。 勿論、出來るだけ手を盡して搜した。近所の人達が集つて、森や山を何哩もの間搜して見た。又水車の 堰水 ( せきみづ ) も見るし、川も堰のずつと下まで殘る隈なく探つた。しかし、何の手掛りもない。一兩夜前に、漂泊者の一家族が、近くの森に泊つてゐた。それにさらはれて行つたのかも知れないといふ説が出た。しかし、彼等の馬車を追つかけて行つて、搜して見たが、矢張りアグレイアは見當らなかつた。 ストロングはそれから二年近くそこの水車をやつてゐたが、たうとうアグレイアを見付け出す望みを失つてしまつた。彼は妻と共に北西地方に移つて行つた。數年後には、その地方の重要な製粉地になつてゐるある都會の近代的な製粉工場の一つを手に入れた。ストロング夫人は、アグレイアを失つた時に受けた心の痛手から再び 恢復 ( くわいふく ) することなく、彼等の移住後二年にして世を去り、ストロング氏は、獨りでこの悲しみを忍ばなければならなくなつた。 彼の家業が盛んになつた時、彼はレイクランヅとその近くの古い水車場とを訪れた。そこの風物は彼にとつて、悲しみの種ではあつたが、強い彼は、常に快活さと優しさとを失はなかつた。彼がその古い水車場を、教會に改造しようと思ひ立つたのは、その時だつた。貧乏村のレイクランヅでは、とても教會など建てられない。猶ほ一層貧しい山の人達もそれを助ける力はない。そんなわけで、二十哩以内の地には、教會らしいものがなかつた。 ストロング氏はその水車場の外觀を出來るだけ變へないやうにした。大きな上射水車もそのまゝにしておいた。そこを訪れる若い人達は、みんなその水車の柔い、だん/\朽ちてゆく木に、自分の名前の 頭字 ( かしらじ ) を 彫 ( ほ ) りつけて行つた。 堰 ( せき ) は一部分 毀 ( こは ) されて、清らかな山の流れは、岩の川床を流れ落ちた。しかし、水車場の内部は、大分面目を變へた。 轉軸 ( シヤフト ) 、 碾臼 ( ひきうす ) 、 調革 ( しらべかは ) 、滑車といつたやうなものは、勿論みんな取除かれた。そして、ベンチが二列に並び、中に通路が出來、奧には一寸高くなつた壇があり、説教壇も設けられてゐる。頭上三方には、座席のある二階が着き、内側の階段から上つて行く。オルガン――それもほんたうのパイプオルガン――がその二階にあつて、それはこの「古水車教會」の會衆の誇りだつた。 風琴手 ( オルガニスト ) はフイービといふ娘さんである。レイクランヅの少年達は日曜日のお 勤 ( つと ) めに、交代に彼女のオルガンのポンプを押すことを誇りとした。説教者はバンブリッヂ師で、彼はスクヰレル・ギャップから、一度のお勤めも缺かさず、白馬に跨つてやつて來た。そして、經費はすべてエイブラム・ストロングが負擔した。彼は説教者に五百 弗 ( ドル ) 支拂つた。 このやうにして、その古い水車場は、アグレイアの思ひ出の爲めに、彼女が嘗つて住んだ村に對して祝福を與へた。彼女の短い生涯――それは古稀にも達した多くの人々の生涯も及ばぬ大きな恩惠を 齎 ( もたら ) すやうに思はれた。しかしエイブラム・ストロングはまだ足れりとせず、彼女を記念する今一つのものを造つた。 即ち、彼の北西地方の製粉工場から、「アグレイア」印の製粉を賣出したのである。それは最も堅い上等の小麥から製せられた。人々はすぐに、「アグレイア」粉が、二つの價を持つてゐることを知つた。一つは市場に於ける最高の値段であり、他は―― 無料 ( たゞ ) といふ値段だつた。 何處かに、火事とか、洪水とか、 颶風 ( ぐふう ) とか、罷業とか、飢饉とかいふやうな、人々を困窮に陷れるやうな災厄が起つた時には、必ず「アグレイア」粉が「 無料 ( たゞ ) 」といふ値段で、豐富に發送された。それは注意深く、手落ちのないやうに配給されたが、少しも惜まれるやうなことはなかつた。そして、飢ゑた人達からたとへ一錢の金と雖も取らなかつた。人々はいつとはなしに、 何處 ( どこ ) かの都市の貧民街に火事があると、先づ第一に現場に到着するものは、消防署長の馬車、その次が「アグレイア」粉を積んだ車で、最後にポンプだ、といふやうなことを言ふやうになつた。 これがつまり、エイブラム・ストロングのアグレイアに對する第二の記念だつた。世の詩人にとつては、これは或はあまりに功利的に過ぎて、美といふ點に於て缺くるところある題目かも知れないが、或る人々には、愛と 情 ( なさけ ) の使者のやうに不幸な人達を訪れて る清らかな、白い、 碾 ( ひ ) き立ての麥粉を、その名が記念してゐる失はれた少女に譬へて見ることは、美しくも 氣高 ( けだか ) く思はれるに違ひない。 或る年、カンバランド地方が、非常に困難したことがあつた。※ [#「轂」の「車」に代えて「米」、U+7CD3、209-上-10] 類は 何處 ( どこ ) とも不作だつたが、カンバランドに至つては、全然 穫 ( と ) れなかつた。山地の洪水は人々の財物を多く奪つた。獵師達の獲物さへも乏しく、彼等は家族の者を養ふだけの物を持つて歸ることすら困難な程だつた。殊にレイクランヅのあたりは甚だしい窮乏を訴へた。 エイブラム・ストロングはこれを耳にするや否や、命令を發し、例の狹軌鐵道は早速レイクランヅへ「アグレイア」粉を 下 ( おろ ) し始めた。ストロングの命令は、その村の麥粉を貯藏せよといふのであつた。あの「古水車教會」の二階に麥粉を積んで、教會に來る人に、一袋づゝ持つて歸らせよといふのであつた。 それから二週間の後、エイブラム・ストロングは毎年の例によつて、イーグル・ハウスを訪れ、またいつもの『エイブラム師』になつた。 そのシーズンには、イーグル・ハウスはいつもより客が少なかつた。その中にロウズ・チエスタといふ娘が交つてゐた。チエスタはアトランタから來たのだが、彼女はその都會の百貨店で働いてゐるのだつた。これは彼女の生れて初めての休暇の旅行だつた。百貨店の支配人の細君は、以前一と夏をイーグル・ハウスに送つたことがあつた。彼女はロウズを非常に可愛がつてゐたので、三週間の休暇を、そこで暮らして見るやうにすゝめたのだつた。支配人の細君は、ランキン夫人への紹介状をチエスタに與へた。ランキン夫人は喜んでチエスタを迎へ、面倒を見た。 チエスタはあまり丈夫でなかつた。 二十 ( はたち ) 前後の年頃で、屋内生活の爲めに、顏色も惡く、ひ弱さうだつた。しかし、レイクランヅに於ける一週間は、彼女を殆んど見違へる程明るく、元氣にした。丁度九月の初めで、カンバランドは一番美しい時だつた。山の秋色は漸く輝きを加へ、空氣はシヤンパンのやうに 匂 ( にほ ) ひ、夜の何ともいへない凉しさは、人々をイーグル・ハウスの温い毛布の下に快くもぐり込ませた。 『エイブラム師』とチエスタ孃とは大の仲好しになつた。年とつた製粉場主はランキン夫人からチエスタ孃の話を聞いて、 健氣 ( けなげ ) にも自活の道を立てゝゐるそのか細い、孤獨の娘に直ぐ心を 惹 ( ひ ) かれるやうになつた。 山國 ( やまぐに ) はチエスタ孃には珍しかつた。彼女は永年暑い平野の都會アトランタで暮して來たので、カンバランドの雄大で變化に富んだ風物を喜んだ。彼女は滯在中の一刻をも惜んで樂しみ度いと思つた。彼女は自分の僅かな貯へと、保養中の入費とについて念入りに豫算を立てゝゐたので、仕事に歸つた時にどれ位の餘裕が殘るかといふことまで、精確に知つてゐた。 チエスタ孃が『エイブラム師』を友達に持つたことは 幸 ( しあはせ ) だつた。彼はレイクランヅ近傍の山については、どんな道でも、峯でも、斜面でも知らないところはなかつた。彼女は彼を通じて、松林の中の小暗い坂道の 神々 ( かう/″\ ) しいやうな美しさや、 露 ( あら ) はな岩の莊嚴さや、さては水晶のやうに澄んだすが/\しい朝、不思議な悲しさに滿ちた、夢見心地の秋の午後などに親しむことが出來た。そんなわけで、彼女の健康は加はり、心は輕くなつてい