The Tale of the Heike — 第六巻 (Modern Translation) — 信濃前司行長(伝) / 武田友宏 訳
新院崩御 治承五年の正月が来た。今年の内裏の正月の淋しさは又格別で、うち続く兵乱のあとでは、正月を祝う心持にもならず、拝賀の式はとりやめ、主上も出御されず、例年の宴会さえ行なわれなかった。陰気に湿った空気が御所の内々を満たし、正月らしい華やかさはどこにも見られなかった。世間は何となく不穏の気がみちみち、今に何か起りそうだという暗い予感が人々の心をとらえていたからである。 正月五日、南都の僧のうち重立った者は官職を解かれ、又、衆徒の殆んどが射殺され、斬殺され、ここに長い歴史を誇って君臨してきた、東大寺、興福寺も滅亡したのである。しかし、それにもかかわらず、正月八日から十四日まで行なわれる 御斎会 ( ごさいえ ) は例年通りというお 布令 ( ふれ ) が出たが、南都の僧の全滅した今となっては、顔ぶれを揃えるのも難しい。それでは、京の僧達にやらせようという気にもなったが、とにかく、南都から一人も出席しないのはおかしいという意見もあり、結局、 勧修寺 ( かんじゅじ ) に隠れていた 成法已講 ( じょうほういこう ) が探し出されて、御斎会の儀は 滞 ( とどこお ) りなく済んだのであった。 高倉院は、 一昨年 ( おととし ) 以来うち続いた種々の事件で、心も体もすっかり疲れ切っておられた。とりわけ、法皇の鳥羽移り、高倉宮のご最後、福原への都移りなど、かつてない 忌 ( いま ) わしい出来事の連続で、年若い院には余りにも心の重荷がかち過ぎる激しい世の移り変りであった。 東大寺、興福寺の滅亡を聞かれて以来、以前からすぐれなかった健康が、どっと悪くなられたようである。正月十四日、ついに、その聖徳と仁智を慕われ、人々から惜しまれつつ世を去られた。 齢 ( よわい ) 僅か二十一歳、漸くこれからという花の盛りにご逝去になったのである。 澄憲 ( ちょうけん ) 法印は、新院のなきがらを焼く煙をみながら、 常に見し君が 御幸 ( みゆき ) を今日とえば 帰らぬ旅ときくぞ悲しき と詠んだ。 高倉帝は幼い頃から、心の優しい方で、十歳になった頃から、ひどく紅葉がお好きで、わざわざ御所の内に紅葉を植えさせて、一日中あきることなくご覧になっているのだった。ある夜、突然の嵐で、この紅葉が一夜のうちに散りぢりになってしまった。庭掃除の下役人が、翌朝あたり一面散らばった紅葉をきれいに掃除した。その朝は又ひどく冷えこむ日で、不図思いついて、その紅葉で酒を 燗 ( かん ) して腹を暖めたのであった。 丁度そこへ、やはり夕べの嵐が気になって、係りの者が紅葉の様子を見にやってきた。 折柄ぱちぱちと気持の良い音をたてて燃えるたき火の前で、下役人が 呑気 ( のんき ) に酒を酌み交しているのにびっくりした。 「やあ、何という心ないことをするのじゃ、あれほど主上が大切にしておられる紅葉をこのようにいたして、お前らは恐らく禁獄になるだろう、管理不行届きの私もどんなおとがめがあるかわからぬ」 と早くも声を震わせている。下役人も今更ながら、わが身のおろかさに気づいたが、灰となった紅葉の前で 悄然 ( しょうぜん ) とうなだれていた。そこへ主上がお出でになったのである。主上も昨夜の嵐が気がかりであったらしく、いつになく早い行幸であった。ところが、ちり一つなく掃き清められた山には一かけらの紅葉の影もない。 「いかがいたした。紅葉は? 風がひどくておおかた、散り尽したと思ったが?」 「はあ、それが」 「まさか一夜のうちに、消え失せたというわけではあるまいに?」 何といっておわびしてよいかもわからず、家来の者は冷汗をかくばかりであったが、今はやむなくありのままをお話するのだった。 「なに、紅葉でたき火、酒を飲んだと?」 どんなおとがめがあるかと体中を硬ばらせていた係の者も、意外に愉快そうな 帝 ( みかど ) の言葉に驚いて顔をあげた。 「「林間、酒をあたたむるに紅葉をたく」という白楽天の詩があるが、よくぞ存じておったのう。これにまさる風流はあるまい」 と目を細めていられるのであった。 また五、六年前の話になるが、あるところに行幸になったとき、夜寒の厳しさに、主上はなかなか寝つかれなかったが、不図どこかで、人の叫び泣く声を耳にされた。早速宿直の者が召されて見てまいれという仰せがあった。 外へ出てみると、この夜更けに長持を持った少女が一人泣いているのである。 「 如何 ( どう ) したのじゃ?」 「ご主人様のお衣裳を持ってゆく途中を、二、三人ほどの男に取囲まれ、盗まれてしまったのでございます。一体どうしてよいのやら」 と、途方に暮れた面持ちで泣くのであった。 このことを帰って主上に奏上すると、 「何というひどいことを、そういう悪行を働く者がいるのも、わしの力が足らぬためじゃ。何とかしてやりたいが、その衣はどんなものだったのか?」 とお尋ねがあった。これこれしかじかの衣裳だということをきかれると、建礼門院に、 「かようの色の衣裳は持ち合わせはないか?」 と聞き合わせて下すった。間もなく門院からは前よりも立派な衣裳が届けられてきた。主上はそれを少女に与えると、帰りの道が危いからと、お供までお遣わしになって少女を送らせたのであった。 葵前 ( あおいのまえ ) ある時高倉院は、中宮の女官の側仕えをする少女を、偶然の機会から愛されるようになった。それも、その場限りのたわむれごととかわり、若い純粋なお心で、親しくお側に召されては、いとしく思われる様子で、主人の女官もこのことを知って以来、むしろ少女を、自分の 主 ( あるじ ) のように大切に扱うのであった。 二人のご交情が、日々こまやかになるにつれて、陰では、何かと、そねみや中傷の声が起るのは仕方のないことであった。 「全く女に生れれば有難い幸いですよ、いくら賤しい身分でも、皇子が生れれば、 国母 ( こくぼ ) とも仰がれるのですからね」 少女の名を葵の前というところから、葵の女御などと岡焼き半分に呼ぶ者まで出て来た。元来、聡明な主上は、もとよりいつかそういった非難もうけるのだろうとはお思いになってはいたが、葵の女御などと呼ばれていることを聞かれて以来、ぷっつりと葵の前を遠ざけるようになった。といって、葵の前に対する愛情が変ったわけではない。むしろ心のうちでは、前以上に切ない想いに悶々として、心楽しまぬ日を送られているのであった。 時の関白基房は、この話を伝え聞くと、早速主上の御前に伺候した。 「聞くところに依りますれば、葵の前を遠ざけられて以来、お心楽しまぬご様子、それほどに深いご愛情ならば、何の遠慮がありましょう? 人の噂などお気になされず、是非お側にお召しおかれませ。また素姓の賤しいことをお気遣いなさるならば、そのご心配は無用かと思います。この基房が近々、養女に申しうけましょう」 「そなたの志は有難いがのう、これが譲位のあとでもあればさようなことも許されようが、在位の時にさようなことをいたすと、後々までもそしりを受けるであろう。私事のために、一代の帝位を傷つけたくはない」 といってお聞入れにならなかった。一たんこうと決めたことは、決してひるがえしたりなさらない主上の性格を知り抜いている基房は、それ以上は言わずに退出した。しかし主上の胸中の 遣瀬 ( やるせ ) なさは益々つのるばかりで、あるとき、古歌の恋歌を 冷泉少将隆房 ( れいぜいのしょうしょうたかふさ ) を通じて葵の前にお渡しになった。 しのぶれど色に出にけりわが恋は ものや思うと人のとうまで 薄様 ( うすよう ) の鳥の子紙に、水茎のあともなつかしいこの主上のお歌を見た葵の前は、主上の近くにいる苦しさに耐えかねて、里へ下ったが、まもなく病気になり、遂に薄幸な生涯を閉じた。 小督 ( こごう ) 中宮にお仕えする女房の一人に小督と呼ばれる女官があった。 桜町中納言成範 ( さくらまちのちゅうなごんしげのり ) の娘であり、宮中第一の美人の噂が高かった。その上、琴の名手である。多くの求愛者の中から、ようやく小督の愛をかち得たのは冷泉少将隆房で、以来隆房は清盛の娘である妻のことも忘れて、小督に通いつめているのであった。 主上が、 怏々 ( おうおう ) として憂愁の日を送られていることを心配した者たちが、この小督に目をつけたのも無理はなかった。容姿といい才能といい、これ程の女性ならば主上のお悩みも晴れるであろうと相談した結果、小督は 否応 ( いやおう ) なしに内裏に上ることになった。 失望したのは少将である。といって、主上と寵を争うことは考えるだけでも不可能である。しかし、少将は、小督を忘れることができなかった。用もないのに参内しては、女房達のいる局のあたりを、あっちへいったり、こっちへ来たりして一日じゅう、うろつき廻っていた。 御簾 ( みす ) の中から、少将の 焦躁 ( しょうそう ) が手にとるようにわかる。小督にとってもそれは辛いことであった。しかし、いったん君の想い者になった今では、軽はずみな 真似 ( まね ) は許されなかった。いつまで経っても姿一つ見せるでなく、声すら掛けようとしない小督の態度に、少将はある日我慢しきれなくなって、小督のいるあたりの御簾を目がけて一首の歌を投げ入れた。 おもいかねこころは空にみちのくの ちかのしおがまちかきかいなし 小督は、一たんは返事を書こうかとも思い迷ったが、さすがにうしろめたい気がして、側仕えの者に命じて中庭に捨ててしまった。返事が貰えると思っていた少将は、自分の手紙がそのまま戻ってきたのをみてがっかりした。しかし、人目については困るので何 喰 ( く ) わぬ顔で拾い上げ、ふところに入れたが、こうまでされても、いやそれだから一層思いがいやまさるばかり、もう一度戻ってくると、 たまずさを今は手にだに取らじとや さこそ心に思い捨つとも と書いて投げ入れた。 小督はそれを一目見ると、余りに少将が気の毒で、せめて声なりとかけてあげたいとは思ったが、やはり思い返して返事も書かなかった。少将も、小督の思いつめた心を知っては今更どうしようもなく、打ちしおれて邸に戻ると、これまた、じっと物想いに打ち沈んだまま、「死にたい」などと口走るようになった。 小督を召して以来、主上の顔色は、日に日に元のさわやかさを取り戻してこられ、久しく聞かれなかった笑い声さえ、内裏の内からもれるようになった。「小督、小督」と、今は何かにつけて片時も傍を離さぬご寵愛に、小督の心も、次第にこの優しく美しい主上にひかれていくのであった。お側の人々もやっと愁眉を開いて、仲むつまじい二人の様子を、微笑んで眺めるのであった。ようやく高倉帝の周囲にも青春の喜びが立ち返ってきたようで、小督を見つめる若々しいまなざしには、尽きせぬ愛情の想いが、ふかくこめられているのであった。 この様子に面白くないのは中宮である。近頃では主上のお渡りも稀で、何かにつけて、ひところのこまやかさが影をひそめている。もともと中宮は、四つ上の姉様女房で、そういう意味でのひがみもあったかも知れないのが、とにかく憎いのは小督とばかり、いつか小督を目の仇にするようになった。 高倉帝が小督を偏愛のこと、冷泉隆房の失恋の話などは、いつか清盛の知るところとなった。 「まったく揃いも揃って、わしの婿を二人もたぶらかすとは、稀代の悪女じゃ、あの女がいる限りろくなことはない、殺してしまえ」 清盛の怒りをもれ聞いた小督は、恐しさに身を震わせた。 「私一人のことはともかく、主上にまでご迷惑がかかっては申しわけない。やはり私は、ここにいるべき者ではない」 思い立った小督は、誰にも知らさずこっそり内裏を忍び出た。 小督の失踪は、主上にとっては、 青天 ( せいてん ) の 霹靂 ( へきれき ) であった。昨日まで生きいきと輝いていたお顔が、一日の内にすっかり肉が落ちて、目がくぼんできた。昼は、ご寝所で涙にむせび、夜は、月の光をみながら、小督のことばかりを思い暮しておられた。 清盛は、小督の失踪後も変らぬご執着に余計憎しみを増したらしい。 「君は小督一人に未だに恋々としておられるらしいが、それならそれでこちらにも考えがある」 と、主上介添役の女房の参内を許さず、更に、臣下で参内する者には何かと妨害するので、宮中は人一人訪れることもなく、すっかりさびれ果ててしまった。 それは八月十日のことであった。月の明るい晩で、例のように主上は、月を眺めては、又ひとしきり小督を想って泣いておられたが、不図思いたって人をお召しになった。 弾正小弼仲国 ( だんじょうのしょうひつなかくに ) が伺候すると、ずっとお側にお呼び寄せになった。 「そなたは、ひょっとして小督の行方を知ってはおらぬか」 「残念ながら、一向に知りませぬが」 「そうかのう、実は、うそかまことか、嵯峨のあたりに 片折戸 ( かたおりど ) した家にしのびかくれているという話なのじゃ、主人の名はわからぬが、そなた一つ尋ね探しては来てくれぬか?」 「しかし、主人の名もわからぬに、どうやって探すのでございます? すこし無理ではないかと思いまするが」 「まことよのう」 主上はふっと 溜息 ( ためいき ) をつかれると、はらはらと涙を流された。そのお気の毒な様子に、暫く仲国は考えていたが、不図あることを思い出した。 というのは、小督は琴の名手で、よく御所で琴を弾かれたことがあるが、その時、笛の伴奏を仰せ付けられるのは、いつも仲国であった。小督の琴は仲国の耳の底にはっきりと残っていて、いつどこで聞いても、聞き違えることのないほどの自信があった。今夜のような月の良い晩、あるいは、ひょっとして琴を弾かれているかも知れぬ。 そこまで思い付くと、仲国は晴ればれとした顔をあげた。 「主人の名がわからずとも、あのあたりは人家も少く、尋ねてみればわかるかも知れません、一寸行って参りましょう。それにしても、 御文 ( ごふみ ) を頂かないとまた、 偽 ( にせ ) のお使いとも間違われても困りますから、何卒ご自筆の御文を下されませ」 「行ってくれるのか? もちろん文は遣わそう、必ず探してまいれよ。さよう、寮の馬を借りてまいるがよい」 いつもは暗い山里の道も、今日は月の光が明るく、昼間のように白く光っている。馬にむちを当てて、嵯峨のあたりにたどりついた仲国は、これぞと思われる家の前までくると駒をとめて尋ね廻った。もしや御堂なんぞ