Rivalry — Nagai Kafū
死のよろこび シヤアル・ボオドレヱル 蝸牛 ( かたつむり ) 匍 ( は ) ひまはる 泥土 ( ぬかるみ ) に、 われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。 安らかにやがてわれ老いさらぼひし骨を 埋 ( うず ) め、 水底 ( みなそこ ) に 鱶 ( ふか ) の沈む 如 ( ごと ) 忘却 ( わすれ ) の 淵 ( ふち ) に眠るべし。 われ遺書を 厭 ( い ) み墳墓をにくむ。 死して 徒 ( いたずら ) に人の涙を 請 ( こ ) はんより、 生きながらにして 吾 ( われ ) 寧 ( むし ) ろ 鴉 ( からす ) をまねぎ、 汚 ( けが ) れたる 脊髄 ( せきずい ) の 端々 ( はしばし ) をついばましめん。 あゝ 蛆虫 ( うじむし ) よ。眼なく耳なき暗黒の友、 汝 ( なれ ) が為めに腐敗の子、 放蕩 ( ほうとう ) の哲学者、 よろこべる無頼の死人は 来 ( きた ) れり。 わが 亡骸 ( なきがら ) にためらふ事なく 食 ( くい ) 入りて、 死の 中 ( うち ) に死し、魂失せし古びし肉に、 蛆虫よ、われに問へ。 猶 ( なお ) も悩みのありやなしやと。 [#改ページ] 憂悶 シヤアル・ボオドレヱル 大空重く 垂下 ( たれさが ) りて 物 ( もの ) 蔽 ( おお ) ふ蓋の如く、 久しくもいはれなき 憂悶 ( もだえ ) に歎くわが胸を押へ、 夜より悲しく暗き日の光、 四方 ( よも ) 閉 ( とざ ) す空より落つれば、 この世はさながらに土の 牢屋 ( ひとや ) か。 虫喰 ( むしば ) みの床板に 頭 ( かしら ) 打ち叩き、 鈍き翼に壁を 撫 ( な ) で、 蝙蝠 ( かわほり ) の如く「 希望 ( のぞみ ) 」は飛去る。 限りなく 引 ( ひき ) つゞく雨の糸は、 ひろき 獄屋 ( ひとや ) の格子に 異 ( ことな ) らず、 沈黙のいまはしき 蜘蛛 ( くも ) の 一群 ( ひとむれ ) 来 ( きた ) りてわが脳髄に網をかく。 かゝる時なり。寺々の鐘突如としておびえ立ち、 住家 ( すみか ) なく 彷徨 ( さまよ ) ひ歩く 亡魂 ( なきたま ) の、 片意地に嘆き叫ぶごと、 大空に向ひて 傷 ( いたま ) しき声を上ぐれば、 送る太鼓も楽もなき 柩 ( ひつぎ ) の車 吾 ( わ ) が心の 中 ( うち ) をねり行きて、 欺 ( あざむ ) かれし「 希望 ( のぞみ ) 」は泣き暴悪の「 苦悩 ( くるしみ ) 」 黒き旗を立つ、 垂頭 ( うなだ ) れしわが 首 ( こうべ ) の上に。 [#改ページ] 暗黒 シヤアル・ボオドレヱル 森よ、 汝 ( なんじ ) 、 古寺 ( ふるでら ) の 如 ( ごと ) くに 吾 ( われ ) を恐れしむ。 汝、寺の楽の如く 吠 ( ほ ) ゆれば、呪はれし人の心、 臨終の 喘咽 ( あえぎ ) 聞ゆる 永久 ( とこしえ ) の喪の 室 ( へや ) に、 DE PROFUNDIS ( デ プロフンデス ) [#ルビの「デ プロフンデス」は底本では「デ ブロフンデス」] 歌ふ声、 山彦 ( やまびこ ) となりて響くかな。 大海 ( おおうみ ) よ、われ汝を憎む。狂ひと叫び、 吾 ( わ ) が魂は、そを汝、大海の声に聞く。 辱 ( はずかし ) めと涙に満ちし敗れし人の苦笑ひ、 これ、おどろ/\しき海の笑ひに似たらずや。 されば 夜 ( よる ) ぞうれしき。空虚と暗黒と 赤裸々求むる我なれば、星の光 覚 ( おぼ ) えある言葉となりて われに語らふ、 其 ( そ ) の光だになき夜ぞうれしき。 暗黒の其の 面 ( おもて ) こそは 絵絹 ( えぎぬ ) なりけれ。 亡びたるものども皆覚えある形して わが 眼 ( まなこ ) より数知れず躍りて出づれば。 [#改ページ] 仇敵 シヤアル・ボオドレヱル 若きわが世は日の光ところまばらに漏れ落ちし 暴風雨 ( あらし ) の闇に過ぎざりき。 鳴る 雷 ( いかずち ) のすさまじさ降る雨のはげしさに、 わが庭に 落残 ( おちのこ ) る 紅 ( くれない ) の 果実 ( くだもの ) とても稀なりき。 されば今 思想 ( おもい ) の秋にちかづきて、 われ 鋤 ( すき ) と 鍬 ( くわ ) とにあたらしく、 洪水 ( でみず ) の土地を耕せば、洪水は土地に 墓と見る深き穴のみ 穿 ( うが ) ちたり。 われ夢む新なる花今さらに、 洗はれて河原となりしかゝる地に 生 ( おい ) 茂るべき 養 ( やしな ) ひをいかで求め得べきよ。 あゝ悲し、あゝ悲し。「時」 生命 ( いのち ) をくらひ、 黯澹 ( あんたん ) たる「 仇敵 ( きゅうてき ) 」独り心にはびこりて、 わが失へる血を吸ひ誇り 栄 ( さか ) ゆ。 [#改ページ] 秋の歌 シヤアル・ボオドレヱル 一 吾等 ( われら ) 忽 ( たちま ) ちに寒さの闇に 陥 ( おちい ) らん。 夢の 間 ( ま ) なりき、強き光の夏よ、さらば。 われ既に聞いて驚く、中庭の敷石に、 薪 ( たきぎ ) を投込むかなしき 響 ( ひびき ) 。 冬の 凡 ( すべ ) ては―― 憤怒 ( いかり ) と 憎悪 ( にくしみ ) 、 戦慄 ( おののき ) と 恐怖 ( おそれ ) や、 又 強 ( し ) ひられし 苦役 ( くえき ) はわが身の 中 ( うち ) に返り来る。 北極の地獄の日にもたとふべし。 わが心は凍りて赤き鉄の 破片 ( かけら ) よ。 われ 戦慄 ( おのの ) きて薪を投ぐる響をきけば、 断頭台 ( くびきりだい ) を 人 ( ひと ) 築く音なき音にも 増 ( まさ ) りたり。 重くして疲れざる戦士の 槌 ( つち ) の一撃に、 わが胸は崩れ倒るゝ城の 観楼歟 ( ものみか ) 。 かゝる 懶 ( ものう ) き響に揺られ、揺られて、 何処 ( いずこ ) にか、 いとも 忙 ( せは ) [#ルビの「せは」はママ] しく 柩 ( ひつぎ ) の釘を打つ 如 ( ごと ) き……そは、 昨日 ( きのう ) と逝きし夏を葬る声にして、秋来ぬと云ふ怪しき 此声 ( このこえ ) は、 さながらに死者を葬る鐘にも似たり。 二 きれ長き君が 眼 ( まなこ ) の緑の光ぞなつかしき。 いと甘かりし君が姿もなど今日の我には 苦 ( にが ) きや。 君が 情 ( なさけ ) も暖かき火の 辺 ( ほとり ) や化粧の 室 ( へや ) も、 今のわれには海に輝く日に 如 ( し ) かず。 さりながら我を 憐 ( あわ ) れめ、やさしき人よ。 母の 如 ( ごと ) かれ、忘恩の 輩 ( ともがら ) 、ねぢけしものに。 恋人か 将 ( は ) た 妹 ( いもと ) か。うるはしき秋の 栄 ( さかえ ) や、 又沈む日の如く束の間の優しさ忘れたまふな。 定業 ( さだめ ) は早し。 貪 ( むさぼ ) る墳墓はかしこに待つ。 あゝ君が膝にわが額を押当てゝ、 暑くして白き夏の昔を惜しみ、 軟くして 黄 ( きいろ ) き晩秋の光を味はしめよ。 [#改ページ] 腐肉 シヤアル・ボオドレヱル わが魂などか忘れん、凉しき夏の 晴れし 朝 ( あした ) に見たりしものを。 小径 ( こみち ) の角、砂利を 褥 ( しとね ) に みにくき 屍 ( しかばね ) 。 毒に 蒸 ( む ) されて血は燃ゆる 淫婦 ( いんぷ ) の 如 ( ごと ) く脚 空 ( そら ) ざまに 投出 ( なげいだ ) し 此れ見よがしと心憎くも 汗かく腹をひろげたり。 照付くる日の光自然を 肥 ( こや ) す 百倍のやしなひに 凡 ( すべ ) てを自然に返すべく この屍を焼かんとす。 青空は麗しき 脊髄 ( せきずい ) を 咲く花かとも眺むれば、 烈 ( はげ ) しき悪臭 野草 ( のぐさ ) の上に 人の 呼吸 ( いき ) をも 止 ( とど ) むべし。 青蠅 ( あおばえ ) の 群 ( むれ ) 翼を鳴らす腐りし腹より 蛆虫 ( うじむし ) の黒きかたまり 湧 ( わき ) 出でゝ、 濃き 膿 ( うみ ) の如くどろ/\と 生ける 襤褸 ( らんる ) をつたひて流る。 此等のもの 凡 ( すべ ) て寄せては返す波にして、 鳴るや、響くや、 揺 ( ゆら ) めくや。 吹く風に五体はふくらみ 生き 肥 ( こゆ ) るかと 疑 ( あやし ) まる。 流るゝ水また風に似て 天地怪しき 楽 ( がく ) をかなで、 節 ( ふし ) づく 動揺 ( うごき ) に 篩 ( ふるひ ) [#ルビの「ふるひ」はママ] の中なる 穀物の粒の如くに 舞 ( まい ) 狂へば、 忘られし 絵絹 ( えぎぬ ) の 面 ( おも ) に ためらひ 描 ( えが ) く輪郭の、 絵師は 唯 ( た ) だ記憶をたどり筆をとる、 形は消えし夢なれや。 巌 ( いわ ) の 彼方 ( かなた ) に恐るゝ 牝犬 ( めいぬ ) 。 いらだつ 眼 ( まなこ ) に人をうかゞひ、 残せし肉を屍より 再び 噛 ( か ) まんと 待 ( まち ) 構ふ。 この不浄この腐敗にも似たらずや、 されど時として君も 亦 ( また ) 、 わが眼の星よ、わが性の日の光。 君等、わが天使、わが情熱よ。 さなり形体の美よ、そもまた 此 ( かく ) の如けん。 終焉 ( しゅうえん ) の 斎戒 ( さいかい ) 果てゝ、 肥えし 野草 ( のぐさ ) のかげに君は逝き 白骨の 中 ( うち ) に苔むさば、 其 ( そ ) の時に、 あゝ美しき形体よ。 接吻 ( くちづけ ) に、 君をば 噛 ( か ) まん地虫に語れ。 分解されしわが愛の清き 本質 ( まこと ) と形とを われは長くも 保 ( たも ) ちたりしと。 [#改ページ] 月の悲しみ シヤアル・ボオドレヱル 月 今宵 ( こよい ) いよゝ 懶 ( ものう ) く夢みたり。 おびたゞしき 小布団 ( クッサン ) に 翳 ( かざ ) す片手も力なく、 まどろみつゝもそが胸の ふくらみ 撫 ( な ) づる美女の 如 ( ごと ) 。 軟かき雪のなだれの 繻子 ( しゅす ) の背や、 仰向 ( あおむ ) きて 横 ( よこた ) はる月は吐息も長々と、 青空に真白く昇る 幻影 ( まぼろし ) の 花の如きを眺めやりて、 懶き疲れの折々は 下界 ( げかい ) の 面 ( おも ) に、 消え易き涙の玉を落す時、 眠りの 仇敵 ( きゅうてき ) 、沈思の詩人は、 そが 掌 ( てのひら ) に猫眼石の 破片 ( かけ ) ときらめく 蒼白 ( あおじろ ) き月の涙を 摘 ( つみ ) 取りて、 「太陽」の 眼 ( まなこ ) を忍びて胸にかくしつ。 [#改ページ] そゞろあるき アルチユウル・ランボオ 蒼 ( あお ) き夏の夜や 麦 ( むぎ ) の 香 ( か ) に 酔 ( え ) ひ 野草 ( のぐさ ) をふみて 小みちを行かば 心はゆめみ、 我 ( わが ) 足さはやかに わがあらはなる 額 ( ひたい ) 、 吹く風に 浴 ( ゆあ ) みすべし。 [#「浴みすべし。」は底本では「浴みすべし。 [#改行] 」] われ語らず、われ思はず、 われたゞ限りなき愛 魂の底に 湧出 ( わきいず ) るを覚ゆべし。 宿なき人の如く いや遠くわれは歩まん。 恋人と行く如く心うれしく 「自然」と共にわれは歩まん。 [#改ページ] ぴあの ポオル・ヴヱルレヱン しなやかなる手にふるゝピアノ おぼろに染まる 薄薔薇色 ( うすばらいろ ) の 夕 ( ゆうべ ) に輝く。 かすかなる翼のひゞき力なくして 快 ( こころよ ) き すたれし歌の 一節 ( ひとふし ) は たゆたひつゝも恐る恐る 美しき人の 移香 ( うつりが ) こめし化粧の 間 ( ま ) にさまよふ。 あゝゆるやかに我身をゆする眠りの歌、 このやさしき唄の 節 ( ふし ) 、何をか我に思へとや。 一節 毎 ( ごと ) に繰返す聞えぬ程の REFRAIN ( ルフラン ) は 何をかわれに求むるよ。聴かんとすれば聴く間もなく その歌声は 小庭 ( こにわ ) のかたに消えて行く、 細目にあけし窓のすきより。 [#改ページ] ましろの月 ポオル・ヴヱルレヱン ましろの月は 森にかゞやく。 枝々のさゝやく声は 繁 ( しげり ) のかげに あゝ愛するものよといふ。 底なき鏡の 池水 ( いけみず ) に 影いと暗き 水柳 ( みずやなぎ ) 。 その柳には風が泣く。 いざや夢見ん、二人して。 やさしくも、 果 ( はて ) し知られぬ しづけさは、 月の光の色に 浸 ( し ) む 夜 ( よる ) の空より落ちかゝる。 あゝ、うつくしの 夜 ( よ ) や。 [#改ページ] 道行 ポオル・ヴヱルレヱン 寒くさびしき古庭に 二人の恋人通りけり。 眼 ( まなこ ) おとろへ唇ゆるみ、 さゝやく話もとぎれとぎれ。 恋人去りし古庭に怪しや 昔をかたるものゝかげ。 ――お前は楽しい昔の事を覚えておいでか。 ――なぜ覚えてゐろと 仰有 ( おっしゃ ) るのです。 ――お前の胸は私の名をよぶ時いつも 顫 ( ふる ) へて、 お前の心はいつも私を夢に見るか。――いゝえ。 ――あゝ 私等 ( わたしら ) 二人 唇 ( くち ) と唇とを 合 ( あわ ) した昔 危 ( あやう ) い幸福の美しい其の日。――さうでしたねえ。 ――昔の空は青かつた。昔の望みは大きかつた。 ――けれども其の望みは 敗 ( やぶ ) れて暗い空にと消えました。 烏麦 ( からすむぎ ) 繁つた 間 ( なか ) の立ちばなし、 夜 ( よる ) より 外 ( ほか ) に聞くものはなし。 [#改ページ] 夜の小鳥 ポオル・ヴヱルレヱン 鶯は高き枝より流れに映る己れが姿を眺め水に落ちしと思ひて槲の木の頂にありながら常に溺れん事のみ恐れき。(シラノ・ド・ベルジユラツク) 霧たち 籠 ( こ ) むる 河水 ( かわみず ) に樹木の影は 烟 ( けむり ) の 如