十六夜日記 — 阿仏尼
かべのなかよりもとめ出でたりけむふみの名をば、今の世の人の子は、夢ばかりも身のうへの事とは知らざりけりな。みづくきの岡のくづ葉、かへすがへすも、かきおくあとたしかなれども、かひなきものは親のいさめなり。又賢王の人をすて給はぬまつりごとにももれ、忠臣の世を思ふなさけにもすてらるゝものは、かずならぬ身ひとつなりけりと思ひ知りながら、またさてしもあらで、猶このうれへこそやるかたなく悲しけれ。さらに思ひつゞくれば、やまとうたの道は、唯まことすくなく、あだなるすさびばかりと思ふ人もやあらむ。ひのもとの國に、あまのいはとひらけし時、よもの神だちのかぐらのことばを始めて、世を治め、物をやはらぐるなかだちとなりにけるとぞ、この道のひじりだちはしるし置かれたりける。さてもまた集を撰ぶ人はためしおほかれど、二たび勅をうけて、世々に聞えあげたるは、たぐひ猶ありがたくやありけむ。そのあとにしもたづさはりて、みたりのをのこゞ〈爲顯爲相爲守〉ども、もゝちのうたのふるほぐどもを、いかなるえにかありけむ、あづかりもたることあれど、「道を助けよ、子をはぐゝめ、後の世をとへ」とて深きちぎりをむすびおかれし細川のながれも、ゆゑなくせきとめられしかば、あととふのりのともしびも、道をまもり、家を助けむ親子の命ももろともに、きえをあらそふ年月を經て、あやふく心ぼそきものから、何としてつれなくけふまではながらふらむ。惜しからぬ身ひとつは、やすく思ひすつれども、子を思ふ心のやみはなほ忍びかたく、道をかへりみるうらみはやらむかたなく、さてもなほあづま〈鎌倉幕府〉の龜のかゞみにうつさば、くもらぬ影もやあらはるゝと、せめておもひあまりて、よろづのはゞかりを忘れ、身をやうなきものになしはてゝ、ゆくりもなく、いざよふ月にさそはれ出でなむとぞ思ひなりぬる。さりとて、文屋康秀がさそふにもあらず、住むべき國もとむるにもあらず、ころはみふゆたつはじめの、さだめなき空なれば、ふりみふらずみ時雨もたえず、あらしにきほふこの葉さへなみだとともに亂れ散りつゝ、事にふれて心ぼそく悲しけれど、人やりならぬ道なれば、いきうしとてもとゞまるべきにもあらで、何となく急ぎ立ちぬ。めかれせざりつるほどだに、荒れまさりつる庭もまがきも、ましてと見まはされて、したはしげなる人々の袖のしづくも、なぐさめかねたる中にも、侍從〈爲相〉、大夫〈爲守〉などのあながちにうちくつしたるさまいと心ぐるしければ、さまざま言ひこしらへ、ねやのうちを見れば、むかしの枕〈爲家の〉さへ、さながらかはらぬを見るにも、今更かなしくて、かたはらに書きつく、 「とゞめおくふるき枕のちりをだにわが立ちさらばたれかはらはむ」。 よゝにかきおかれける歌のさうしどもの奧書して、あだならぬかぎりをえりしたゝめて、侍從のかたへ送るとて、書きそへたるうた、 「和歌の浦にかきとゞめたるもしほぐさこれをむかしのかたみとも見よ。 あなかしこよこ浪かくなはま千鳥ひとかたならぬあとをおもはゞ」。 これを見て、侍從のかへりごといととくあり。 「つひによもあだにはならじもしほぐさかたみをみよの跡にのこせば。 まよはまし敎へざりせばはま千鳥ひとかたならぬあとをそれとも」。 このかへりごといとおとなしければ、心やすくあはれなるにも、昔の人にきかせ奉りたくて、又うちしほたれぬ。大夫のかたはら去らずなれ來つるを、振りすてられなむなごり、あながちに思ひ知りて、手ならひしたるを見れば、 「はるばるとゆくさき遠く慕はれていかにそなたの空をながめむ」 と書きつけたる、ものより殊にあはれにて、おなじ紙に書きそへつ、 「つくづくと空なながめそこひしくば道とほくともはやかへりこむ」 とぞ慰むる。山より侍從の兄のりし〈源承〉も、出でたち見むとておはしたり。それもいと心ぼそしと思ひたるを、この手ならひどもを見て、又書きそへたり、 「あだにのみ淚はかけじ旅ごろもこゝろのゆきて立ちかへるほど」 とはこといみしながら、淚のこぼるゝを荒らかに物言ひまきらはすも、さまざまあはれなるを、あざりの君〈慶融〉はやまぶしにて、この人々よりは兄なり。このたびの道のしるべにおくり奉らむとて、いでたゝるめるを、この手ならひに又まじはらざらむやはとて書きつく、 「立ちそふぞうれしかりける旅衣かたみにたのむおやのまもりは」。 をんなごはあまたもなし。唯ひとりにて、この近きほどの女院〈新陽明門院〉に侍ひ給ふ。院のひめ宮ひと所うまれ給ふばかりにて、心づかひもまことしきさまにて、おとなしくおはすれば、宮の御かたの戀しさもかねて申しおくついでに、侍從大夫などのこと、はぐゝみおほすべきよしも〈もイ無〉、こまかに書きつけて、奧に、 「君をこそ朝日とたのめふるさとにのこるなでしこ霜にからすな」 ときこえたれば、御かへりもこまやかに、いとあはれに書きて、歌のかへしには、 「思ひおく心とゞめはふるさとのしもにも枯れじやまとなでしこ」 とぞある。いつゝの子〈慶融源承爲相爲守及女〉どもの歌、のこりなく書きつゞけぬるも、かつはいとをこがましけれど、親の心には、哀におぼゆるまゝに書き集めたり。さのみ心よわくてはいかゞとて、つれなく振りすてつ。粟田口といふ所より車はかへしつ。ほどなく逢坂の關こゆるほどに、 「さだめなき命は知らぬたびなれどまたあふ坂とたのめてぞゆく」。 野路といふ所はこしかたゆくさき人も見えず。日は暮れかゝりて、いと物かなしと思ふに、時雨さへうちそゝぐ。 「うちしぐれふるさと思ふ袖ぬれてゆくさきとほき野路のしの原」。 こよひは、鏡といふ所につくべしとさだめつれど、暮れはてゝ行きつかず、もり山〈近江〉といふ所にとゞまりぬ。こゝにも時雨なほしたひ來にけり、 「いとゞなほ袖ぬらせとや宿りけむまなくしぐれのもる山にしも」。 今日は十六日の夜なりけり。いとくるしくて臥しぬ。いまだ月の光は、かすかに殘りたるあけぼのに、守山を出でゝ行く。やす川わたるほどさきだちて行くたび人の、こまのあしのおとばかりさやかにて、霧いとふかし。 「たび人はみなもろともに朝立ちてこまうちわたす野洲の川ぎり」。 十七日の夜は、小野のしゆくといふ所にとゞまる。月出でゝ、山の峯に立ちつゞきたる松の木のま、けぢめ見えていとおもしろし。こゝは夜ぶかき霧のまよひにたどり出でつ。さめがゐといふ水、夏ならばうち過ぎましやと思ふに、かちびとは、猶立ちよりて汲むめり。 「むすぶ手ににごるこゝろをすゝぎなばうき世の夢やさめが井の水」 とぞおぼゆる。 十八日〈三字イ無〉、美濃のくに關の藤川わたるほどに、まづ思ひつゞけゝる、 「わが子ども君につかへむためならでわたらましやは關のふぢ川」。 不破の關屋のいたびさしは、今もかはらざりけり。 「ひまおほき不破の關屋はこのほどの時雨も月もいかにもるらむ」。 關よりかきくらしつる雨、時雨に過ぎてふりくらせば、道もいとあしくて、心より外に、笠縫のうまやといふ所に、暮れはてねどとゞまる。 「たび人はみのうちはらふゆふぐれの雨にやどかるかさぬひの里」。 十九日、又こゝを出でゝ行く。よもすがらふりける雨に、平野とかやいふほど、道いとわろくて、人かよふべくもあらねば、水田の面をぞさながらわたり行く。明くるまゝに、雨はふらずなりぬ。ひるつかた過ぎ行く道に、目に立つ社あり。人にとへば、「むすぶの神とぞきこゆる」といへば、 「まもれたゞちぎりむすぶの神ならばとけぬうらみに我まよはさで」。 すのまたとかやいふ川には、舟をならべて、まさきのつなにやあらむ、かけとゞめたる浮橋あり。いとあやふけれど渡る。この川つゝみのかたはいと深くて、かたかたは淺ければ、 「かたぶちのふかき心はありながら人めづゝみにさぞせかるらむ。 かりの世のゆきゝと見るもはかなしや身をうき舟を〈のイ〉浮橋にして」 とぞ思ひつゞけゝる。また一の宮といふ社を過ぐとて、 「一の宮名さへなつかしふたつなくみつなきのりをまもるなるべし」。 二十日、尾張の國おりとといふうまやを行く、よきぬ道なれば熱田の宮へまゐりて、硯とり出でゝ、書きつけて奉るうた、 「いのるぞよ我がおもふことなるみがたかたひくしほも神のまにまに。 鳴海がた和歌のうら風へだてずばおなじこゝろに神もうくらむ。 みつしほのさしてぞ來つるなるみがた神やあはれとみるめたづねて。 雨かぜも神のこゝろにまかすらむ我がゆくさきのさはりあらすな」。 なるみのかたを過ぐるに、しほひのほどなれば、さはりなくひかたを行く。をりしも、濱千鳥いと多くさき立ちて行くも、しるべがほなるこゝちして、 「濱千鳥なきてぞさそふ世の中にあととめむとはおもはざりしを」。 隅田川のわたりにこそありと聞きしかど、都鳥といふ鳥の、はしとあしと赤きは、この浦にもありけり。 「こととはむはしと足とはあかざりしわが住むかたのみやこ鳥かと」。 二村山を越えて行くに、山も野もいと遠くて、日も暮れはてぬ。 「はるばると二村山をゆき過ぎてなほすゑたどる野べのゆふやみ」。 やつはしにとゞまらむといふ。暗きに橋も見えずなりぬ。 「さゝがにのくもであやふき八橋をゆふぐれかけて渡りぬるかな」。 廿一日、八橋を出でゝ行くに、いとよく晴れたり。山遠きはら野を分けゆく。ひるつ方になりて、もみぢいとおほき山にむかひて行く。風につれなきところどころ、くちばにそめかへてけり。ときは木どもゝ立ちまじりて、あをぢの錦を見るこゝちす。人にとへば、みやぢの山といふ。 「しぐれけり染むるちしほのはてはまた紅葉の錦いろかへるまて」。 この山までは、むかし見しこゝちするに、ころさへかはらねば、 「待ちけりなむかしもこえし宮路山おなじ時雨のめぐりあふ世を」。 山のすそのに竹のある所に、かややのひとつ見ゆる、いかにして、何のたよりにかくて住むらむと見ゆ。 「ぬしやたれ山のすそ野に宿しめてあたりさびしき竹のひとむら」。 日は入りはてゝ、なほものゝあやめもわかぬほどに、わたうどとかやいふ所にとゞまりぬ。 廿二日のあかつき、夜ふかく有明のかげに出でゝ行く。いつよりもものかなし。 「住みわびて月の都をいでしかどうき身はなれぬありあけのかげ」 とぞ思ひつゞくる。供なる人、有明の月さへ笠きたりといふを聞きて、 「たび人のおなじみちにや出でつらむ笠うちきたるありあけの月」。 たかしの山もこえつ。海見ゆるほど、いとおもしろし。浦風あれて、松のひゞきすごく、浪いとたかし。 「わがためや浪もたかしの濱ならむ袖のみなとのなみはやすまで」。 いとしろき洲崎に、くろき鳥のむれ居たるは、うといふ鳥なりけり。 「しら濱にすみの色なるしまつ鳥ふでもおよばゞゑにかきてまし」。 濱名の橋より見わたせば、かもめといふ鳥、いとおほく飛びちがひて、水のそこへも入る。岩のうへにもゐたり。 「かもめゐる洲崎の岩もよそならず浪のかけこすそでにみなれて」。 こよひは、ひくまのしゆくといふ所にとゞまる。こゝのおほかたの名をば、濱松とぞいひし。したしといひしばかりの人々なども住む所なり。住みこし人のおもかげも、さまざま思ひ出でられて、又めぐり逢ひて見つるいのちのほども、かへすがへすあはれなり。 「濱松のかはらぬかげをたづねきて見し人なみにむかしをぞとふ」。 その世に見し人のこうまごなど、よび出でゝあひしらふ。 廿三日、てんりうのわたりといふ舟に乘るに、西行がむかしも思ひ出でられて、いと心ぼそし。くみあはせたる舟たゞひとつにて、おほくの人のゆきゝに、さしかへるひまもなし。 「水のあわのうき世にわたるほどを見よはや瀨の小舟竿もやすめず」。 こよひは、とをつあふみ見つけのこふといふ所にとゞまる。里あれて物おそろし。傍に水の井あり。 「たれか來てみつけの里と聞くからにいとゞたびねの空おそろしき」。 廿四日、ひるになりて、さやの中山こゆ。ことのまゝとかやいふ社のほど、紅葉いとさかりにおもしろし。山かげにてあらしもおよばぬなめり。深く入るまゝに、をちこちの峯つゞき、こと山に似ず。心ぼそくあはれなり。ふもとの里に、菊川といふ所にとゞまる。 「こえくらすふもとの里のゆふやみにまつかぜおくるさやの中山」。 あかつきおきて見れば、月もいでにけり。 「雲かゝるさやのなか山こえぬとはみやこに吿げよありあけの月」。 川音いとすごし。 「渡らむとおもひやかけしあづま路にありとばかりはきく川の水」。 廿五日、菊川を出でゝ、けふは大井河といふ河をわたる。水いとあせて、聞きしにはたがひてわづらひなし。河原いくりとかや、いとはるかなり。みづの出でたらむおもかげおしはからる。 「思ひいづるみやこのことはおほゐ河いく瀨の石のかずもおよばじ」。 うつの山こゆるほどにしも、あざりの見知りたる山ぶし行き逢ひたり。夢にも人をなど、昔をわざとまねびたらむこゝちして、いとめづらかに、をかしくもあはれにもやさしくもおぼゆ。いそぐ道なりといへば、文もあまたはえかゝず、唯やんごとなき所、ひとつにぞおとづれきこゆる。 「我がこゝろうつゝともなしうつの山ゆめにも遠きむかしこふとて。 つたかへでしぐれぬひまもうつの山なみだに袖の色ぞこがるゝ」。 こよひは、手越といふ所にとゞまる。なにがしの僧正とかやのぼり給ふとて、いと人しげし。やどかりかねたりつれど、さすがに人のなき宿もありけり。 廿六日、わらしな河とかや渡りて、息津の濱にうち出づ。「なくなく出でしあとの月かげ」など、まづ思ひ出いでらる。ひるたち入りたる所に、あやしき黃楊のこまくらあり。いとくるしければ、うちふしたるに、硯も見ゆれば、まくらのしやうじに、ふしながら書きつけつ、 「なほざりにみるめばかりをかり枕むすびおきつと人にかたるな」。 暮れかゝるほど淸見が關を過ぐ。岩こす浪の、白ききぬをうちきつるやうに見ゆるいとをかし。 「きよみがた年ふる岩にこととはむ浪のぬれぎぬいくかさねきつ」。 ほどなく暮れて、そのわたりの海〈浦イ〉近き里にとゞまりぬ。浦人のしわざにや、となりよりくゆりかゝる煙、いとむつかしきにほひなれば、「よるのやどなまぐさし」といひける人の詞も思ひ出でらる。よもすがら風いとあれて、浪たゞ枕のうへに立ちさわぐ。 「ならはずよよそにきゝこし淸見潟あらいそ浪のかゝるねざめは」。 富士の山を見れば煙もたゝず。むかし父の朝臣にさそはれて、「いかになるみの浦なれば」などよみしころ、とほつあふみの國までは見しかば、「富士のけぶりの末も、あさゆふたしかに見えしものを、いつの年よりか絕えし」と問へば、さだかにこたふる人だになし。 「たが方になびきはてゝか富士のねの煙のす