The Tale of Genji, Chapter 35: 若菜下 — Peter Kropotkin
これは主としてフランス大革命の事実にもとづいて述べたものであるが、僕等はさらにこれをロシアの現状に照らし合せて見て、そのますます真実なことにむしろ驚くものである。 ボルシェヴィキの謀反人バンクハスト女史も、その機関誌『ウォーカース・ドレッドノート』にこれを掲載して、共産主義者の反省を求めている。 革命の時に、どんな奴がどんなことをするかは、だまされまいと思う労働者のよく知っていなければならんことだ。(訳者) 一 革命という言葉は、今では、被圧制者の唇にも、また所有者の唇にすらも、しばしば上る。すでにもう、時々、近い将来の変動の最初の顫えが感ぜられる。そして、大なる変動や変化の近づいて来る時にはいつもそうであるが、現制度の不平者は――その不平がどんなに小さくてもいい――かつては実に危険であった革命家という肩書を争って自分につける。彼等は現制度を見限って、何等かの新制度を試みようとする。それで彼等には十分なのだ。 あらゆる色合の不平家の群が、こうして活動家の列の中に流れこむことは、勿論革命的形勢の力を創り、革命を不可避にする。多少でもいわゆる輿論に支持されていれば、宮殿や議会の中でのちょっとした陰謀でも政権を変え、また時としては政府の形式をすらも変えることができる。 しかし革命は、それが経済組織にもある変化を及ぼそうというには、多数の意志の協力がいる。幾百万の人の多少活発な支持と協力とがなければ、革命はとうてい不可能である。いたるところに、どこの村にも、過去の取壊しに従事する人がいなければ駄目だ。そして他の幾百万の人は何かもっといいことが起るという望みの下に黙ってやらしていなければ駄目だ。 大きな事変の前夜に起って来る、ぼんやりした、曖昧な、そして多くは無意識的なこの不平があり、現制度に対する不信用があって、それで初めて本当の革命家が広大無辺の勤め、すなわち幾世紀かの存在によって神聖なものとされて来た諸制度を数年間にもつくりかえる勤めを成就することができるのである。 しかしまた、これが多くの革命が、その上に乗りあげて、そして倒れた暗礁なのである。 革命が来て日常生活のきまった順序がひっくり返された時。いっさいの善悪の情熱が自由に爆発して真昼間にさらけ出された時。失神のそばに非常な熱誠を見、臆病のそばに勇敢を見、つまらぬ反感や個人的陰謀のそばに非常な自己犠牲を見る時。過去の諸制度が倒れて、新しい制度が相続く変化の中にぼんやりと描き出された時。その時に、さきに自ら革命家と名のったものの大多数は、秩序の守護者の列の中に急いで走って行く。 街の騒ぎや、試みられる諸制度の不安定や、明日の不安やは、もう彼等を疲らせたのだ。彼等は、一方にすでに成就された些細な変化が暴風の中に滅んでしまうのを恐れる。そしてまた彼等は、経済制度のごく小さな変化も、すでにその社会のいっさいの政治的概念の深い変化を必要とし、そしてごく小さな政治上の変革も、経済界でのもっと大きな変化を経なければ行われない、ということが分らない。 そして彼等は、反革命の来るのを見て、急いでそれと一致しようとする。民衆の情熱や、また時としては無遠慮なその表現は、彼等に厭がられる。やがて彼等はもう革命にあきる。そして休息や緩和を促がすものの中に走って行く。 過去がそのもっとも熱心な守護者を集めるのは彼等の間である。彼等はその過去の一部分、勿論それは何でもないものであるが、それを犠牲にしただけ、それだけ熱心な過去の守護者になる。彼等はもっと遠くへ彼等を引きずって行こうとするものを憎む。 そして彼等は、革命的のいろんな手段をその手に握っているところから、それを過去のお役に立てようとするので、いよいよ危険になる。彼等は断行する。反革命も彼等がいなければあえてすることができないほどに断行する。そして彼等は、旧い制度をもっと根深く覆えそうとするものや、将来の中にもっと根深く進んで行こうとするものを捕まえる。彼等は革命を救うという口実の下に、実はそれに轡をはめるために、「狂犬ども」を死刑にしたロベスピエールやサン・ジュストの輩の真似をする。 で、革命の騒ぎの間は、その革命の味方と敵との区別がつかない。そしてまた、これはことに言っておかなければならないことだが、過去の革命の歴史家等は、この点についての考えに混雑を来たさせるよう、その全力を尽して来た。 今、フランス大革命だけを例にとって見る。ある歴史家の理想は、ルイ十六世の立憲内閣に一椅子を占めてすっかり満足したミラボーであった。またある歴史家の理想は、ドイツ人に対しては勇敢な愛国者であるが、しかし経済問題には少しも大胆でないダントンであった。彼は実に、外寇を斥けるためには、立憲君主とも妥協し、ブルジョワ地主に圧迫されている農民とも妥協し、また不動産の投機師とも妥協した執政官であった。そういったいろんなものが不思議にも彼の革命的精神と調和していたのだ。 また他のある歴史家にとっては、その理想は、財産の平等や無神論を主張して革命家等を死刑にした「義人」ロベスピエールであった。彼は一七九三年の夏、パリ市民が饑饉に苦しんでいる時、イギリス憲法の特徴を議論することをジャコバン党に迫った男だ。 最後にまた、他のある歴史家にとってはマラーが理想であった。ある時彼は、二十万の貴族の首を要求した。しかし彼はフランス国民の三分の二を熱中させた問題、ことに農民によって耕作されて来た土地が何人に所有さるべきかの問題の代弁者となることをあえてしなかった。 そしてさらにまた最後に、ある道化者にとっては、その理想は、公爵夫人等やその腰元どもの首を熱心に要求した――それも公爵夫人等はコブランツに行っていたので、実は腰元どもの首にすぎなかったのだ――検事であった。そしてその間に、ブルジョワの泥棒どもはフランスを掠奪し、労働者を飢餓に陥らしめて、その莫大な財産を造ったのである。 そして今日の革命家等の大多数は、過去の諸革命については、不幸にして、歴史家等が一生懸命になって語ったその戯曲的方面しか知らない。彼等は一七八九―一七九三年間に幾百万の無名の民衆がフランスでやり遂げた [#「やり遂げた」は底本では「やり逐げた」] 大事業、一七九四年のフランスをして五年以前のフランスとまったく違った国にしてしまった大事業はほとんど知らない。 私が今この研究を企てたのは、この混雑の中を多少迷わずに辿って行こうとする今日の革命家の手助けにしたいためである。 私はまず、本当の革命家と、今はわれわれの味方だと言っているがやがてわれわれの敵になるだろうものどもとを、あらかじめよく区別しておく必要を力説しておきたいと思う。それから私は、革命家等にそのなし遂げなければならないだろう広大な勤めを説いて、もし彼等が、歴史家等が過去の革命についてわれわれに語ったことをモデルにしてつぎの革命を想像しているならば、そのなめなければならないだろう悔恨を、彼等に予告しておきたいと思う。 そして最後にまた、どれほどの精力の発揮、どれほどの猛烈な激しい仕事を、革命がその子等に要求するかを彼等に説きたいと思う。これは革命の成功のためには、危機のさいの相交換される銃丸と等しく、あるいはそれ以上に肝要なことである。 二 思想の大胆と、その考えていることを実行させるように民衆を引き入れて行く自発力と――これがいつでも今までの革命に、革命家等が欠いたところのものである。そしてこれが、またつぎの革命にもやはり欠けそうなのだ。誰か、過去の諸革命を研究して、つぎのような痛恨の言葉を発しなかったものがあろう。「あれほどの努力があり、あれほどの崇高い熱誠があり、あれほどの血を流し、あれほどの家族に喪服を着せ、あれほどの顛覆をして、そしてこんなちっぽけな結果しか得られなかったのか」――この言葉は文書の中にも、対話の中にも、また革命の宣伝の中にも絶えず繰り返されている。 これは、一部分は、革命が盲目的なあるいは無意識的な過去のともがらの間に出会う大きな障礙について、一般に人はよく知らないからである。彼等が後もどりしてその過去の特権を救おうとする、彼等の力と頑固さとを、とかく人は軽く見すぎようとする。そして、彼等がもう正々堂々として戦いができなくなった時、なお彼等にその過去の特権を救おうとする陰謀や蔭での仕事があることを忘れるからだ。一言でいえば、革命がいつも少数者によって行われることを忘れるからだ。 そしてまた人は、革命家等は一般にその行為では非常な勇気と大胆とを現すが、その思想やその目的や、その将来についての考えには、いつも大胆を欠いていることを忘れる。この将来を革命家等は、彼等がそれに対して叛逆して起った過去の形の下に、それを夢みている。過去は将来への彼等の飛躍にまでも彼等をゆわいつけているのだ。 彼等は旧制度に対してその本当の力を作っているもの、すなわちその宗教とか、法律とか、国家とか、国家に対する服従心とか、宮殿とか、監獄とかに決定的打撃を与えて、それを殺してしまうことをあえてしなかった。新しい生活に大きな門を開くために十分破壊することをあえてしなかった。そしてこの新しい生活についての彼等の考えはごく漠然としたもので、したがって遠慮深くそして範囲が狭くて、その夢においてすらも、彼等がその奴隷の過去に崇め祭っていた礼拝物に触れることをあえてしなかった。 勇敢な心臓を臆病な脳髄の用に立てようとしたところで、それで大きな結果が得られるだろうか。 実際、フランス大革命の諸事業を考えて見ると、われわれの祖父の行為の大胆なのと、その思想の臆病なのとに驚かされないわけに行かない。極端な革命的方法と臆病で保守的な思想とだ。自分の生命も享楽も投げ棄てた豪胆と果断との浪費と、ごく近い将来についての考えには信ずることのできないほどの臆病とだ。 民衆がそのかつて尊敬をもってめぐらしていた操り人形の一つに触れることをあえてするまでには、そしてまた民衆がその尊敬し服従する首領等に過去の制度のただ一つを犠牲にすることを余儀なくさせるまでには、幾月も幾年もかかった。 これがフランス大革命の特徴なのだ。ちょうどこれは敵の砲台を取るには非常な勇気と大胆とを示す兵隊が、その砲台の向うを見ようともせず、またその戦争の原因とか目的とかについての全体の観察をしようともしないのと同じようなものだ。 武器を持たない民衆がバスティーユの厚い城壁と大砲とに向って進んで行く。女どもがヴェルサイユへ走って行って王を捕虜にして連れて来る。いたるところに、各々の小都市に、丸太棒を持った若干の男が、あしたは自分等が「秩序に復した」市会によって死刑に処せられることなぞは少しも思わずに市役所を占領する。武器もない民衆がテュルリー宮殿に侵入して、赤い帽子をかぶった王を捕まえる。そしてさらに二カ月たって、彼等はスイスの雇兵やブルジョワの国防軍に不信を抱いて、このテュルリーを襲い取る。無名のものらは政府を軽んじて、自ら九月の虐殺に責任を負う。軍隊を持たない共和政府が、内に王党と闘いながら連合諸王と対立する。ダントンは革命を救うための至上の方法として大胆不敵を要求する。革命議会の断頭台も、ヴァンデの溺死も、車裂きの刑も、何ものもこの革命家等がその革命的方法を取ることを止めることはできない。そしてしかも、この雄大なドラマに伴うものは、思想の臆病、いっさいのものの上に天がける思想に大胆のないことであった。思想の臆病なことは、高貴なる努力をも非常なる情熱をも、無辺の熱誠をも、いっさい殺してしまうものである。 八月十日近くなって王室が倒れかかった時、ダントンやロベスピエールやコルドリエの輩は、彼等が王を恐れたよりも以上に共和政治を恐れた。そしてテュルリー宮殿の奥から呼び寄せられ指揮されていた外国軍の侵入によって、初めて彼等は、フランスは王冠を戴いた操り人形がなくなってもすむということを考えるようになったのだ。 坊主どもが新制度に対するその広大な陰謀によって全フランスを蔽うていた時、そしてこの陰謀がフランスの三分の二をその掌中に握っていた時、革命家等はうやうやしく教会を取り囲んで、それを革命の保護の下に置き、そして旧教を侮辱する「無政府主義者」等を断頭台に上ぼせた。 経済問題では、彼等の臆病はもっともっと大きく、そしてもっともっと醜劣なものだった。封建制度はもう事実上存在しない。領主は百姓どもに逐われて国外に走った。領主の森は荒されて、そこの鳥獣は退治された。封建の課税はもう払わない。しかるに革命の指導者等は国民議会の時まで封建制度の最後の遺物を保存して、それをつぎの世紀にまで残そうと努めた。そして、名声嚇々たる [#「名声嚇々たる」はママ] ジロンド党の徒や謹厳なロベスピエールは、財産の平等などという言葉を聞くと、民衆がもう私有財産を尊敬しないのかという考えだけで慄えていた。何故なら、彼等はそれを過去から伝えて来た。国家はこの私有財産の上にもとづくものだからである。 実際彼等指導者等はこれらのあらゆる点において遅れていた。そして民衆は彼等よりも過去からの解放に進んでいて彼等よりももっと遠くを見ていた。が、この将来の幻が実に漠然とした曖昧なふらふらしたものだったのだ。そして民衆それ自身の中にも、この曖昧とぐずぐずとが革命全体に伝わって、その思想がいろいろと分れていた。六月二十日に民衆をテュルリー宮殿に走らした肉屋のレジャンドルも、王を廃するということは夢にも考えなかった。王はその槍の下に押えている民衆がみんなそうであるように、さらにその槍の先きを打ちこんで王権をおしまいにしてしまうことができなかった。そしてその後、バブーフの共産的陰謀が起った時には、山岳党ですらもびっくり仰天してしまった。彼等は民衆の漠然とした社会主義的平等の憧憬をよく知っていた。しかし彼等はそれがはっきりした綱領になって現れると、びっくりしてしまったのだ。 一八四八年でも同じことだ。それまでの十五年間のあらゆる社会主義的宣伝の後に、フーリエやカペーの後に、共産主義について幾千の演説会で話され、また幾多の小冊子で説かれた後に――生存の権利とか幸福の権利とかいうことがすでにそれらのものの中に論ぜられていた――これらいっさいの宣伝の後に「民主的」革命家等は、すなわち自ら革命家であると信じ、また世間でもそれで通り、彼等の間のもっとも進歩したものとすらいわれていたものらが、共産主義を主張するものはすべて銃殺しようと