Knocking on a Door with No Handle — Civil Disobedience and the Proof of the Penalty — Epoche C2
場面設定: 公開討論会の直後、舞台裏の控室。かつて市民的不服従で二年を独房で過ごし、今は英雄と呼ばれる老牧師エイモスと、抗議者たちに刑を言い渡さねばならない立場のマーシュ判事。高速道路に座り込む若い抗議者の波をめぐって、二人は、照明の消えた部屋で、向き合う。 牧師さん、もう壇上(だんじょう)を、降りましたから、照明の下では、訊けなかったことを、訊かせてください。あなたは、法を破って、二年、独房で過ごした。そして、この国は、今、それゆえに、あなたを、英雄と呼ぶ。そして、高速道路を塞ぎ、路面に、自らを糊で貼りつける、あの若者たち——あなたは、彼らを、祝福する。でも、彼らに、刑を言い渡さねばならないのは、私です。そして、私を、夜、眠らせないものを、お話ししましょう。法は、弱い者が持つ、ただ一つのものなんです。誠実な良心が、それを破ってよい、と私たちが、ひとたび、認めた瞬間、私たちは、まったく同じ許可を、あらゆる民兵に、あらゆる暴徒に——彼らもまた、間違いなく、完璧に誠実なのですが——手渡してしまう。だから、正直に、教えてください——あなたの、神聖な法破りは、彼らのそれと、どう、違うんですか? それは、正しい問いです、判事さん。そして、あなたが、それで眠りを失う、というその事実こそ、私が、説教ではなく、真剣に、答える理由です。良心だけでは、何の資格にもならない、というのは、あなたの言う通り——診療所を焼く男も、独房の中の私と、同じくらい、自分の正しさを、確信している。だから、誠実さは、その線には、なりえない。それを認めれば、あなたは愚か者で、それを差し出せば、私は、扇動家だ。でも、線は、ある。そして、私の同胞(はらから)は、それを、感情ではなく、血と、規律で、引いたんです。私たちは、法を、白日の下で、破った——決して、闇の中では、なく。私たちは、ただの一人にも、手を上げずに、それを破った。そして、私たちは、留まった——刑罰から、逃げなかった。意図して、牢を、満たしたんです。暴徒は、法から逃れるために、法を破る。私たちは、法に、訴えるために、破った。それが、違いの、すべてで、そして、それは、小さくないんです。 それらが、本物の区別だ、というのは、認めます——公然と、非暴力で、独房を引き受ける——そして、それこそ、私が、法壇から、求めるものです。でも、私の悩みは、これです——それらは、あなたの規則、聖人の規則で、私の高速道路に、自らを糊で貼りつけているものでは、ない。森を救うために、救急車を塞ぐ若者は、誠実で、公然としていて、逮捕される覚悟さえ、ある——そして、その日、自分の大義が、法に勝ると決めたせいで、その救急車の後ろで、子どもが、死ぬ。あなたの規律は、不服従を、名誉あるものにした。でも、あなたは、名誉ある版を、無謀な版も認めずに、許可することは、できない。なぜなら、彼らの一人ひとりが、自分は、あなただ、と信じているから。法は、損害が出る前に、聖人を、狂信者から、どう、見分けるんですか? 事前には、たいてい、できません——そして、それは、私が、決して、負わなくてよかった、あなたの重荷です。だから、軽いふりは、しません。でも、あなたが、何をしたか、ごらん——あなたは、最悪の例、塞がれた救急車を、取り上げて、それを、市民的不服従の、すべてに、した。暴君が、いつも、割れた窓を取り上げて、それを、抗議の、すべてにするように。私たちがしたことの大半は、恵まれた者の、快適さ以外、何も、害さなかった。そして、今、あなたを怖がらせているものの大半も、同じです——大義より、渋滞について話したい人々によって、大惨事に、仕立て上げられた、不都合に、すぎない。抗議者が、本当に、無辜(むこ)の命を、危険にさらすところでは、法は、彼に、下されるべきで、私も、下すのを、手伝います。良心のために苦しむ覚悟は、無辜の者を、そのために苦しませる権利を、決して、含まない。でも、あの一台の救急車に、その聖なる考えまるごとを、葬らせては、いけない。さもなくば、あなたは、一つの難しい事例を使って、一つの神聖なものを、埋めたんです。 公平です——その実践まるごとを、救急車に、賭けたりは、しません。でも、もっと深いことを、押させてください。なぜなら、これは、本当は、渋滞の話じゃ、ないから。あなたは、法に、より高い正義に、訴えるために、法を破った、と言う。でも、どの法が、破るに足るほど高いかを、誰が、あなたを、裁判官に、任命したんです? それは、私の仕事で、立法府の、投票箱の——一つの民全体が、共に、何が正義かを、決める、その、のろくて、退屈で、もどかしい機構の、仕事です。まさに、たった一つの、燃える良心が、ほかの皆の良心を、覆せないように。あなたが、自分の良心を、法の上に置くとき、あなたは、民主主義に、訴えているんじゃ、ない。あなたは、多数派に、あなたの確信が、彼らの一票に、勝る、と告げている。それは、どんなに高貴な大義でも、弱い者の、ただ一つの本物の盾である、その自治そのものへの、洗練された侮蔑なんじゃ、ないですか? いまや、あなたは、本当の反論に、行き着いた。それは、英雄への、手の一振りより、ましな答えに、値する。ええ——投票箱は、神聖で、嫌う法をことごとく覆す良心は、待機中の、暴君です。でも、あなたは、その機構が、私たちに、開かれていた、と、前提した。そして、それこそが、あなたの問いの、ど真ん中にある、嘘なんです。私たちは、投票する代わりに、法を破ったんじゃ、ない。私たちは、投票でき『なかった』から、法を破ったんです——私たちに『正規の手続きを使え』と告げた、まさにその国家が、一世紀かけて、その手続きを、私たちの戸口で、行き止まりになるよう、築いてきたから。『待て、制度の中で動け』は、制度が受け入れる者には、賢明な助言で、それが排除するために設計された者には、残酷な、冗談です。市民的不服従は、民主主義の、敵じゃ、ない。それは、民主主義の、締め出された子どもたちが、自分の側に、取っ手のない扉を、叩くために、することなんです。 それは、あなたが言った中で、一番強く、あなたの闘いについては、本当です——手続きは、本当に、閉ざされていて、不服従が、唯一の扉だった。でも、それは、まさに、それほど高貴だからこそ、危険な、雛形(ひながた)なんです。なぜなら、今や、誰もが、扉は自分に閉ざされている、と主張するから。資金潤沢な、ロビイストと、弁護士と、次の選挙での公正な見込みを持つ運動も、『制度は、我々を見捨てた、街頭以外に、道はない』と言う。彼らは、あなたが、本当にあなたを排除した制度の中で、勝ち取った道徳的権威を、借りて、ただ失望させただけの制度における、性急さを、言い訳する。私は、法壇から、本当に締め出された者を、ただ多数決で負けただけの者から——不服従が最後の手段である者を、ただ、より速い道であるだけの者から——どう、見分けるんですか? まさに、それを、問うことによって——最後の手段か、近道か?——それは、あなた自身の伝統が、すでに、築いた問いです。私が擁護しているのは、無法じゃ、ない。それは、条件付きの、規律で、『合法的な手続きは、本当に、尽くされたか?』は、その一つです。公然性と、非暴力と、独房の受容と、並んで。勝てたはずの投票を飛ばし、火曜の票で変えられたはずの法を破る運動は、その名を、失う——それは、良心ではなく、性急さで、あなたは、そう裁いて、よろしい。でも、試金石は、その手続きが、紙の上に、存在するか、では、ない。それが、この人々にとって、一度でも、現実だったか、です。判事の務めは、難しい、それは認めます。でも、不可能では、ない——あなたは、心を読め、と求められているんじゃない。ただ、その扉に、取っ手が、あったかどうか、そして、彼らが、押す前に、叩いたかどうかを、問えば、いいんです。 (と、間をおいて)……取っ手と、叩くこと。それは、『誠実さ』より、ましな試金石で、先月、私が、あなたの孫娘ほどの歳の少女に、刑を言い渡して、『法は法だ』と、自分に言い聞かせたときに、私が、与えたものより、ましな試金石です。法は、確かに、法です——でも、あなたは、私に、認めさせようとしている——『法は法だ』こそ、まさに、あなたに、言われたことだ、と。同じ、平板な声で、自分たちを完璧に正しいと思っていた男たちに。その一文は、歴史の正しい側にいたのと、ほぼ同じ回数だけ、間違った側にも、いた。でも、牧師さん——それを、すべて認めても——もし、私が、判事が、どの法破りに本物の取っ手があり、どれになかったかを、決めはじめたら、私は、ただ、暴政を、自分自身の椅子に、移しただけ、では? 今度は、私の良心が、法律を、覆す。では、法は、どこに、あるんです? それは、まさに、いつもあった場所、そして、あるべき場所に、あります——それを司る人々の良心の中に、生きて。あなたを含めて。あなたは、法を、中に魂のないまま動く機械であるかのように、そして、判事が、法壇に、判断を持ち込んだ瞬間、何か純粋なものが、汚される、かのように、話す。でも、法は、決して、機械では、なかった。それは、いつも、私たちで——共に、不完全に、互いに何を負うかを、決める、私たちでした。そして、判事の慈悲は、制度の、漏れじゃ、ない——それは、制度の、心臓です。私が引き受けた刑罰は、現実だった。あなたが、それを科したのは、正しかったでしょう。でも、苦悶(くもん)とともにそれを科す判事、その苦悶を、見せる判事、法を言い渡し、そして同時に、その法が、間違っているかもしれない、と証言する判事——その判事は、法の支配を、汚しちゃいない。彼女は、それを内側から改革してきた、ただ一つのことを、しているんです——合法と正義が、同じ言葉だ、というふりを、拒むこと、を。 でも、もし、合法と正義が、同じ言葉じゃ、ないなら——そして、私も、違うと、認めます——あなたは、あらゆる判事に、あらゆる市民に、公法に対する、私的な拒否権を、与えて、それを、美徳と、着飾った。私は、『法は間違っているかもしれない』が、私の法廷で、最悪の人間たちの、お気に入りの一文になるのを、見てきました——脱税者、許可証を持った偏屈者、自分の良心に背くからと、自分の子を、誘拐する父親。彼らは、皆、合法と正義のあいだの、隙間を感じて、皆、その中へ、踏み込む。あなたのより高い法と、彼らのより高い法は、同一の主張を、する。もし、良心が、法律に対する一票を得るなら、なぜ、あなたのは数えられて、誘拐犯のは、数えられないんです? 『あなたが正しかったから』とは、言わないでください——誰もが、自分にとっては、正しいんですから。 なぜなら——そして、これこそ、すべてが、その上で回る、蝶番(ちょうつがい)です——誘拐犯は、自分自身に仕えるために、法を破り、隠れ、害し、そして、刑罰から、逃げる。彼は、合法と正義のあいだの隙間を、欲しがる、『彼』が、独りで、子らを連れて、闇の中を、通り抜けられるように。本物の市民的不服従の印は、それが、不服従者が、公然と、普遍化し、苦しむ覚悟のある原則に、仕える、ということです——私は、この法を、公然と破り、誰も害さず、そして、あなたの牢に、座る、私が、単なる欲望ではなく、あなたの良心に、訴えていることを、証すために。誘拐犯は、親権(しんけん)の法を、皆のために変えようと、意図して牢を満たしたりは、決して、しない。彼は、ただ、抜け出したいだけだ。刑罰を受け入れる覚悟は、高貴な飾りじゃ、ない。それは、違いの、証明です——それは、犯罪を、論証に、私的な欲望を、公的な主張に、変えるもの。それを剥げば、あなたは正しい——それは、ただ、後光を差した、皆の身勝手です。それを保てば、線は、くっきりと、明るい。 では、刑罰は、逃れるべき部分じゃ、ない——それこそが、仕事をする、部分なんですね。法を破って、逃げる男は、犯罪者。法を破って、公然と、留まり、あなたが、彼にも適用してよい原則のために、そうする男は、法そのものが、聞かねばならない、論証を、している。(と、ひと呼吸おいて)ということは、刑を軽くしたい、という私の本能は、まさに、間違っているのかもしれない。独房は、彼の抗議の、失敗じゃ、ない——それは、その、完成です。私が、たまたま気に入った大義のために、刑罰を、免じれば、私は、彼の不服従を、敬っちゃいない。私は、それを、犯罪以上のものにした、まさにそのものを、奪い——そして、彼ではなく、私を、どの良心が神聖かを決める、裁判官に、してしまったんです。 いまや、あなたは、私の弁護士たちが、ついぞ分からなかったより、よく、私の古い独房を、分かっている。私を称賛するあまり、私を、軽く済ませた判事は、私を、侮辱したでしょう——彼女は、私の証言を、施しに、私の原則を、特権に、変えてしまった。悲しみとともに私を見て、法が求める刑を、私に与えた判事——彼女は、私の行為を、完成させた。彼女は、それに、私が意図した意味を持つために、かからねばならなかった、その代償を、かけさせたんです。刑罰を、科してください、判事さん。それは、良心の、裏切りじゃ、ない——その、伴侶です。でも、自分の机の上の法が、以前も間違っていて、また間違うだろうと、知っている人間として、それを、科してください——そして、家に帰って、判事としてではなく、一市民として、自分に、問うてください——あの少女が破った法が、存在するに値するか、を。法服(ほうふく)は、法を破った者を、裁く。法服の下の人間は、なお、法を、裁いてよい。最初のものを与えたからといって、彼らに、二つ目を、解雇させては、いけません。 では、私が、実際に、歩かねばならない線で、助けてください。明日、私の事件簿に、九人、いるんですから。彼らを、無罪には、できない——あなたは、私が、それを望むことすら、しないよう、説き伏せた。でも、私は、機械でも、ない。あなたを聞いた判事は、実際に、法壇で、何をするんです? 誠実で、公然で、非暴力の、本物の取っ手がなく、押す前に、何年も、叩いた抗議者に対して。理論では、なく。月曜の朝、片手に法を、もう片手に、あなたの言ったことを、持って。 彼女を、有罪に、しなさい——法が、それを求めるし、彼女が、本物なら、あなたに、そうしてほしいんです。なぜなら、その有罪判決は、彼女の論証の、もう半分だから。でも、真実を語るや