泥棒と若殿 — 山本周五郎
一 その物音は初め広縁のあたりから聞えた。縁側の板がぎしっとかなり高く鳴ったのである、 成信 ( しげのぶ ) は本能的に 枕許 ( まくらもと ) の刀へ手をのばした、しかし指が 鞘 ( さや ) に触れると、いまさらなんだという気持になって手をひっこめた。 ――もうたくさんだ、どうにでも好きなようにするがいい、飽き飽きした。 こう思いながら、仰向きに寝たまま腹の上で手を組み合せた。右がわの壁に切ってある高窓の戸の隙間から、月の光が青白い細布を 曳 ( ひ ) いたように 三条 ( みすじ ) ながれこんでいる。ついさっきまで夜具の裾のほうにあったのが、今はずっと短かくなって、 破 ( や ) れ畳の中ほどまでを染めているにすぎない、するともう三時ころなのだなと思った。 物音は広縁から とのい の間へはいった。ひどく用心ぶかい足つきである。床板の落ちているところが多いから、そこでもときおりぎしっぎしっと 軋 ( きし ) むが、そのたびに物音はぴたりと止って、暫らくは息をひそめているようすだった。そのうちにあまり用心しすぎたせいだろう、畳の破れ め にでも 躓 ( つま ) ずいたらしく、どさどさとよろけざま、なにかを踏みぬく激しい音が聞えた。 ――切炉へ踏みこんだな。 成信はこう思ってついにやにやした。うろたえた相手の顔が見えるようである。へまな人間をよこしたものだと、苦笑いをもらしたとき、そっちでぶつぶつ 呟 ( つぶ ) やくのが聞えた。 「おう痛え、擦り 剥 ( む ) いちまった、ちきしょう、なんてえ家だ、どこもかしこもぎしぎし鳴りあがって、こんな陥し穴みてえなものまで有りあがって、――へっ、おまけにすっからかんで、どこになにがあるかわかりあしねえ、ちきしょう、まるで化物屋敷だ」 擦り剥いたところを縛るのだろう。手拭かなにか裂く音がした。こんどは人がいないものと信じたか、独りでしきりにぐちや不平をこぼしながら、暫らくそこらをごそごそやっていた。それからやがて 襖 ( ふすま ) をあけ、この寝所へとはいって来た。 ずんぐりと小柄の男だった。短かい 半纏 ( はんてん ) のようなものを着て、 股引 ( ももひき ) をはき、素足で、頬かぶりをしていた。もちろん武士ではないし、刺客などというものとも類の違う人間だ。 ――とするとこれは、ことによると盗人というやつかもしれぬ。 そう思うと 可笑 ( おかし ) くなって、成信はついくすくす笑いだした。相手はぎょっとしたらしい。こっちへふり返り、眼をすぼめて、そこに敷いてある夜具を眺め、その中に人間の寝ているのを見た。それからとつぜん「ひょう」というような奇声をあげてとびのいた。 「だ、誰だ、――なんだ」 男はこう叫びながら、及び腰になってこちらを 覗 ( のぞ ) いた。成信は黙っていた、仰向けに寝たまま身動きもしない、――男は迷って、逃げようかどうしようかと考え、そのあげくやっと決心したのだろう、やおら片手の出刃 庖丁 ( ぼうちょう ) を持ちなおし、それを前方へつき出してどなった。 「やい起きろ、金を出せ、起きて来い野郎」 「――――」 「金を出せってんだ、おとなしく有り金を出しあよし四の五のぬかすと唯あおかねえ、どてっ腹へこいつをおんめえ申すぞ」 成信はやっぱり黙っていた。男はじっとようすをうかがい、ひと足そろっと前へ出た。 「ふてえ野郎だ、狸ねえりなんぞしやあがって、それとも何か計略でも考げえてやがるのか、へっ、こっちあな、表に三十人から待ってるんだぞ、ぴいとひとつ 呼笛 ( よびこ ) を吹きあよ、へっ、命知らずの野郎どもが だんびら 物をひからしてとびこんで来るんだ、じたばたすると命あねえぞ」 「――面白いな、ひとつそれを吹いてみろ」 「なにょう、な、なんだと野郎」 「――その呼笛を吹いてみろと云うんだ」 含み笑いをしながら成信がそう云うと、男は うっ と詰り、それから出刃庖丁をゆらゆらさせ、精いっぱい 凄 ( すご ) んで喚きたてた。 「ふざけるな、しゃらくせえや、なにょうぬかす。笑あせるな野郎、ちきしょうめ、――やい、なんでもいいから金を出せ」 「――気の毒だが金はない」 「てめえおれを素人だと思ってるのか、これだけの大屋敷で金がねえ、へっ、金はないってやがる、ばかにするなってんだ、やい起きろ、こっちあちゃんとめどをつけて来たんだ、四の五のぬかすと家捜しをするぞ」 「それはいい思いつきだ、遠慮はいらないからすぐやってみろ」 成信はさらに、こうつけ加えた。 「捜してみてもしも有ったらおれにも少し分けて呉れ」 「ふざけたことを云いやがる、しゃらくせえや、ばかにしやあがるな、野郎、みていろ、そこを動くと命あねえぞ」 こう脅迫して、こちらがじっとしているのを認め、そろそろ家捜しにとりかかった。しかしそれはそう安楽にはゆかなかった。襖はすぐ倒れるし、戸棚の戸はあけるなりおっこちた。がらがらとなにかが倒れ、「痛え」という声がしたと思うと、またどこかを踏みぬいたとみえ、板のへし折れるはげしい音が聞えた。 「ええいめえましい、こんちきしょう、なんてえ家だ、なんてひでえ家だ」 こう云ったとたん、男はばりばりどすんとどこかへ落ちこんだ。 二 助けて呉れと云ったようでもある。だがそうではないかもしれない、「やい」とか「しゃらくせえまねをするな」というような 罵 ( のの ) しり声は、 慥 ( たし ) かに床下のほうから聞えて来た。――それから暫らくごそごそやっていたが、間もなく 這 ( は ) いあがったのだろう、そこでまたぶつぶつ不平をこぼした。 「とんでもねえ家へへえっちゃった、がたがたですっからかんで、満足な建具ひとつ有りあしねえ、うっ、――ぺっぺっ、ちきしょう、なにか口ん中へとびこみあがった」 だがまだ 諦 ( あき ) らめきれないとみえ、 納戸 ( なんど ) のほうへいってなにか 掻 ( か ) きまわしていた。そのうちに天床から大きな石でも落ちたように、がらがらずしんめりめりと 凄 ( すさ ) まじい物音がした。男は悲鳴をあげ、とびのくとたんに柱へ頭でもぶっつけたものか、ごつんという音がして、こんどはもっと大きな悲鳴が聞えた。 「おい、たくさんだ、もうよせ」成信はふきだしながらこう呼んだ、「――本当になにも有りあしない、捜してもむだだからやめるがいい」 ああ 吃驚 ( びっくり ) した、とんだめにあった、ひでえ家だ、なっちゃねえや。こんなことを云いながら男はこっちへ戻って来た。 「やい、本当になんにもねえのか」 「おまえの云うとおりすっからかんだ、おれも始めにそう云ったではないか」 「笑いごっちあねえや、おお痛え」 男は方々を 撫 ( な ) でまわしながら、夜具のそばへ来て坐った。右足の股引を 捲 ( まく ) りあげて、そこを布切で縛ってある。さっき擦り剥いたところなんだろう。――男はあたりを眺めやり、 溜息 ( ためいき ) をついた。するとそのとき彼の腹の中でくうくうぐるぐると妙な音がした。 「腹がへってるんだが、なにか食う物はねえか」 「ないようだな」 「晩飯の残りでいいんだ、なにか食わしてくれ」 「――それがないんだ」 舌打ちをして男は立上った。それから 厨 ( くりや ) のほうへいったが、なにかがたがたやりながら、ひどく腹を立てたように、「だだっ広くってなにがどこに有るかわからねえ」とか、「ここに 竈 ( かまど ) があるとすれば」とか、「ちぇっ、こいつも空っぽだ」とか、いろいろ独り言を云ったのち、がっかりしてまた夜具のそばへ戻って来た。 「 米櫃 ( こめびつ ) も空っぽみてえだが、米もねえのか」 「――おれは嘘は云わない」 「じあおめえどうしてるんだ」 「――ごらんのとおりさ」 「だって飯は食ってるんだろう」 「――今日で三日、なにも口へは入れない」 「しようがねえなあ」 男は太息をついてこちらを眺めた。するとまた腹がくうくうと鳴ったので、なま睡をのみながら立ち、なにか考えていたが、もういちど、「しようがねえなあ」と呟やき、広縁からどこか外へと出ていった。 成信は間もなく眠ったらしい、誰かゆり起す者があるので眼をさますと、障子が 仄明 ( ほのあか ) るくなり、すぐ側にさっきの男が立っていた。 「起きて顔を洗わねえか、飯ができたぜ」 「――飯、……どうしたんだ」 「どうしたっていいや、早く起きねえ」 男は厨のほうへ去った。年は三十四、五だろうか、色のくろい愚直そうな顔で、ちから仕事をした者に特有の、こごんだ 逞 ( たく ) ましい肩と外へ曲った太い足とが眼立った。 ――それも面白い。にが笑いをして成信は起き、少しばかりふらふらするが、 嗽 ( すす ) ぎ口の廊下から井戸のほうへと出ていった。 表のほうは正門から段下りに、畑や田のある村里へとひらけているが、裏は二千坪にあまる庭がそのまま、片ほうは黒谷の深い渓流へさがり、奥へゆけばしぜんと鬼塚山へつづいている。そちらにも昔は 柵 ( さく ) をまわしてあったのだが、ずっとまえに朽ち倒れて、今では山との境界がなにもない。それで鹿とか 猪 ( いのしし ) とか、ときには熊などまでのこのこはいって来るし、狐や狸などは常住の巣をもっているようだ。――二十年以上も人が住まず、もちろん手入れなどもながくしないので、樹という樹は勝手なほうへ伸びたいだけ伸び、お互いの枝と枝、葉と葉をさし交わし重ねあうところへ、 藪枯 ( やぶか ) らしや藤や 葛 ( くず ) などがむやみに絡みついているから、どれが松どれが梅とも差別がつかなかった。……もちろん見るかぎり夏草の繁みで、地面のみえるところはごく僅かしかない。そのひとところ、ちょうど厨口の外に当るところに井戸があり、その四、五間さきには山水を集めたほそい流れが、夏でも指のこごえるほど冷たい水を湛えて屋敷の内をよこぎっていた。 顔を洗って戻ると、夜具があげてあり、広縁のほうへ寄って男が 膳 ( ぜん ) ごしらえをしている、大きな 鍋 ( なべ ) からはこうばしい味噌汁の匂いがひろがり、蓋をとった 釜 ( かま ) から飯の湯気が立っていた。 「顔を洗ったか、じあここへ坐んねえ」 男はこう云って膳のそっちを指さした。 三 坐って 箸 ( はし ) をとったものの、成信はちょっとそこで 躊躇 ( ちゅうちょ ) した。つまらないようなはなしだが、 渇 ( かっ ) しても 盗泉 ( とうせん ) の水をのまずということが頭にうかんだのである。 「どうしたんだ、食わねえのか」 「――いや、食わなくは、ないが」 「じあさっさとやんねえな、ちっとも遠慮するこたあねえんだ、ひもじいときあお互いさまよ、にんげん三日も食わずにいて堪るもんか」 こう云ったが、やはり成信は食べようとしない。どうしたんだ、と、男は 訝 ( いぶ ) かしげにこちらを見まもった。それからふいに肩をいからせ、 「そうか、おめえこの米や味噌をおれが盗んで来たと思ってるんだな、冗談じゃあねえ、そんなべらぼうな、おめえ、とんでもねえこった」 本気に怒った顔で口をとがらした。 「おらあ身銭を出して、この米も味噌もちゃんと買って来たんだぜ、嘘だと思うならいってきいてみねえ、この下の 柘榴 ( ざくろ ) の花の咲いている百姓家だ、 石臼 ( いしうす ) みてえに肥えたかみさんからちゃんと買って来たんだから」 「いや勘弁して呉れ、おれが悪かった、それでは馳走になる」 ほっとして成信は茶碗を持った。 終ると男は膳をさげ、厨口から出ていって、向うの流れでよごれものを洗うらしい。成信は風とおしのよい小書院へいって横になり、ぼんやり庭の樹立を眺めやった。――まもなく男がやって来た。手を拭きながらあたりを見まわし、さてと云ったが、なにか迷うようにこちらを見て、ぶしょう 鬚 ( ひげ ) の伸びた 顎 ( あご ) を撫でたり、ぼんのくぼを掻いたりした。 「じあこれでおらあゆくが、おめえまだずっと 此処 ( ここ ) にいるのか」 「――まあ、そうだ」 「それでその、飯なんぞどうするんだ、なにか当はあるのか」 「――なんにも、ない」 「ないったって、そんなおめえ、それじあ かつえ て死んじまうぜ」 「――まあそうだろう」 男はまた 頤 ( おとがい ) を撫で、ぼんのくぼを掻いた。こちらを見たり、肩をゆすったりして、なにかあいまいなことを云って、不決断にいちど出てゆこうとした。が、すぐ引返して来て、 「しようがねえ、冗談じあねえ」 こう云って赤児の頭ほどの風呂敷包を腰からとり、成信の前へどさりと置いた。 「まさかおめえが飢死にをするってえのに、おれがみすててゆかれるもんじあねえ、とんだところへへえっちまった、こんなべらぼうなはなしがあるもんか、――だが、まあしようがねえ、なんとかするから、これでも食べて待っていねえ」 「――おまえそれで、どうするんだ」 「どうするったってどうしようもねえじゃねえか、なんとかするよりしようがねえ、まあいいから此処に待っていねえ」 男は怒ったような顔でどこかへ出ていった。 ――土地の人間ではないな。 成信はこう思った。この附近はいうまでもない、城下町の者でさえ、この鬼塚山の御殿が廃屋であり、近づくことを禁じられ、それを犯すと罰せられることを知っている。ときおり百姓とか猟人とか 樵 ( きこり ) などにやつして、まわりをうろうろする者があるが、それは滝沢一派の監視者たちで、そのなかには成信の命をちぢめる役を受持った人間もいるのである。 三年まえに此処へ幽閉されるまで、成信は江戸の京橋 木挽町 ( こびきちょう ) にある中屋敷にいた。彼は 大炊頭成豊 ( おおいのかみしげとよ ) の二男に生れ、成豊の側室である生母とともに、ずっと中屋敷で育った。 大炊頭はいちど大坂城代で五年ちかく江戸を留守にしたが、その他のときは寺社奉行とか、若年寄とか、勘定奉行とか老中などとかいうぐあいに、重職の席からはなれることが少なく、 参覲 ( さんきん ) のいとまで領地へ帰るのもごく 稀 ( まれ ) であった。――そういう多忙なためでもあろう、成信は二十歳になるまで数えるほどしか父に会っていない。また丸の内にある上屋敷には、長男の 成武 ( しげたけ ) のほかに女姉妹が三人いて、兄とは定日には挨拶にゆくので話しもしたが、姉や