The Demi-Virgins — Marcel Prévost
脚本作者ピエエル・オオビュルナンの給仕クレマンが、主人の書斎の戸を大切そうに開いた。ちょうど堂守が寺院の扉を開くような工合である。そして郵便物を載せた銀盤を卓の一番端の処へ、注意してそっと置いた。この銀盤は偶然だが、実際ある寺院で使っていたロオマ時代の器具であった。卓の上には物を書いた紙が一ぱいに散らばっていて、ほとんど空地が無い。それから給仕は来た時と同じように静かに謹んで跡へ戻って、書斎の戸を締めた。開いた本を閉じたほどの音もさせなかったのである。 ピエエル・オオビュルナンは構わずに、ゆっくり物を書いている。友人等はこの男を「先生」と称している。それには冷かす心持もあるが、たしかに尊敬する意味もある。この男の物を書く態度はいかにも規則正しく、短い間を置いてはまた書く。その間には人指し指を器械的に 脣 ( くちびる ) の辺まで挙げてまた 卸 ( おろ ) す。しかし目は始終紙を見詰めている。 この男がどんな人物だと云うことは、一目見れば知れる。態度はいかにも威厳があって、自信力に富んでいるらしい。顔は賢そうで、 煎 ( せん ) じ詰めたようで、やや疲労の気色を帯びている。そう云う態度や顔に 適 ( かな ) っているのはこの男の周囲で、隅から隅まで一定の様式によって、主人の趣味に合うように整頓してある。器具は特別に芸術家の手を煩わして図案をさせたものである。書架は豊富である。Bibelots と云う名の附いている小さい装飾品に、 硝子鐘 ( しょうししょう ) が 被 ( かぶ ) せてある。物を書く卓の上には、貴重な文房具が置いてある。主人ピエエルが現代に始めて出来た精神的貴族社会の一員であると云うことは、この周囲を見て察せられる。あるいは精神的富豪社会と云った方が当たっているかも知れない。それはどんな社会だと云うと、国家枢要の地位を占めた官吏の懐抱している思想と同じような思想を懐抱して、著作に従事している文士の形づくっている一階級である。こう云う文士はぜひとも上流社会と同じような物質的生活をしようとしている。そしてその目的を遂げるために、財界の老錬家のような 辣腕 ( らつわん ) を 揮 ( ふる ) って、巧みに自家の資産と芸能との 遣繰 ( やりくり ) をしている。昔は文士を boh m だなんと云ったものだが、今の流行にはもうそんな物は無い。文士や画家や彫塑家の寄合所になっていた、小さい酒店が幾つもあったが、それがたいてい閉店してしまって、そこに出入していた人達は、今では交際社会の 奢 ( おご ) った座敷に出入している。新進文士でも二三の作が少し評判がいいと、すぐに住いや暮しを工面する。ちょいと大使館書記官くらいな体裁にはなってしまう。「当代の文士は商賈の間に没頭せり」と書いた Porto-Riche は、実にわれを欺かずである。 ピエエル・オオビュルナンは三十六歳になっている。鬚を綺麗に剃っている。指の爪と斬髪頭とに特別の手入をしている。衣服は第一流の裁縫師に 拵 ( こしら ) えさせる。冷水浴をして sport に熱中する。昔は Monsieur de Voltaire, Monsieur de Buffon だなんと云って、ロオマンチック派の文士が冷かしたものだが、ピエエルなんぞはたしかにあのたちの貴族的文士の再来である。 オオビュルナン先生は最後に書いた原稿紙三枚を読み返して見て、あちこちに訂正を加え、ある 詞 ( ことば ) やある句を筆太に 塗沫 ( とまつ ) した。先生の書いているのは、新脚本では無い。自家の全集の序である。これは少々難物だ。 余計な謙遜はしたくない。骨を折って自家の占め得た現代文壇における地位だけは、 婉曲 ( えんきょく ) にほのめかして置きたい。ただしほのめかすだけである。傲慢に見えてはならない。 ピエエル・オオビュルナンは満足らしい気色で筆を 擱 ( お ) いた。ぎごちなくなった指を伸ばして、出そうになった 欠 ( あくび ) を噛み潰した。そしてやおらその手を銀盤の方へ差し伸べた。盤上には数通の書簡がおとなしく待っていたのである。 ピエエルは郵便を 選 ( え ) り分けた。そしてイソダン郵便局の消印のある一通を 忙 ( せ ) わしく選り出して別にした。しかしすぐに開けて読もうともしない。 オオビュルナン先生はしずかに身を起して、その手紙を持って街に臨んだ窓の所に往って、今一応丁寧に封筒の上書を検査した。窓の下には幅の広い長椅子がある。先生は手紙をその上に置いて自身は馬乗りに椅子に掛けた。そして気の無さそうに往来を 見卸 ( みおろ ) した。 ちょうど午後三時である。Rue de la Faisanderie の大道は広々と目の下に見えていて、人通りは少い。ロンドンの上流社会の住んでいる市区によくこんな立派な、幅の広い町があるが、ここの通りはそれに似ている。 ピエエル・オオビュルナンは 良 ( やや ) 久 ( ひさ ) しく物を案じている。もうよほど前からこの男は自己の思索にある節制を加えることを工夫している。神学者にでも言わせようものなら、「生産的静思」なんぞと云うだろう。そう云う態度に自身を置くことが出来るように、この男は修養しているのである。オオビュルナン先生はこんな風に考えている。もっともそれは先生だけの考えかも知れない。文人は年を取るにしたがって落想が鈍くなる。これは閲歴の爛熟したものの免れないところである。そこで時々想像力を強大にする策を講ぜなくてはならない。それには 苟 ( いやし ) くも想像力にうぶな、原始的な性能を 賦 ( ふ ) し、新しい活動の強みを与えるような偶然の機会があったら、それを善用しなくてはならないと云うのである。 しかるにこのイソダンの消印のある手紙は、幸にもその暗示的作用を有する機会の一つであった。先生はこの手紙が自己の空想の上に、自己の霊の上に、自然に強大に感作するのを見て、独り自ら 娯 ( たの ) しんでいる。 この手紙を書いた女はピエエル・オオビュルナンの記憶にはっきり残っている。この文字はマドレエヌ・スウルヂェエの手である。自分がイソダンで識っていた時は未亡人でいた美人である。それが自分のパリイに出たあとで再縁して、今ではマドレエヌ・ジネストと 名告 ( なの ) っている。スウルヂェエにしろ、ジネストにしろ、いずれも誰にも知られない平民的な 苗字 ( みょうじ ) で目下自分の交際している貴夫人何々の名に比べてみれば、すこぶる殺風景である。しかしこの平民的な苗字が自分の中心を 聳動 ( しょうどう ) して、過ぎ去った初恋の甘い記念を喚び起すことは争われない。 その時のピエエルは高等学校を卒業したばかりで、高慢なくせにはにかんだ、世慣れない青年であった。丈は 不吊合 ( ふつりあい ) に伸びていて、イギリス人の a long lad なんぞと云うたちである。金は無い。親を亡くした当座で、左の腕に喪章を附けている。その時のマドレエヌはどうであったか。栗色の髪の毛がマドンナのような 可哀 ( かわい ) らしい顔を囲んでいる若後家である。その時の場所はどんな所であったか。イソダンの小さい客間である。俗な、見苦しい、古風な座敷で、椅子や長椅子には緋の 天鵝絨 ( びろうど ) が張ってある。その天鵝絨は物を中に詰めてふくらませてあって、その上には目を傷めるような強い色の糸で十文字が縫ってある。アラバステル石の時計がある。壁に塗り込んだ煖炉の上に燭台が載せてある。 ピエエル・オオビュルナンはこんな光景を再び目の前に浮ばせてみた。この男はそう云う昔馴染の影像を思い浮べて、それをわざとあくまで霊の目に眺めさせる。そうして置けば、それが他日物を書くときになって役に立たぬ気遣いは無い。それからピエエルは体を楽にして据わり直して、手紙を 披 ( ひら ) いて読んだ。 ―――――――――――――――――――― イソダン。五月二十三日。 なぜわたくしは今日あなたに出し抜けに手紙を上げようと決心いたしたのでしょう。人の心の事がなんでもお分かりになるあなたに 伺 ( うかが ) ってみたら、それが分かるかも知れません。わたくしこれまで手紙が上げたく思いましたのは、幾度だか知れません。それでいて、いざとなると、いつも大胆に筆を取ることが出来なくなってしまいました。今日は余り大胆な事をいたすことになりましたので、わたくしは自分で自分に呆れています。さて、当り前なら手紙の初めには、相手の方を呼び掛けるのですが、わたくしにはあなたの事を、どう申上げてよろしいか分かりません。「オオビュルナン様」では余りよそよそしゅうございます。「尊い先生様」では気取ったようで厭でございます。「愛する友よ」とか、「愛するピエエルよ」とか申すのでしょうか。どうもそんなのがちょうどよろしいかと存ぜられます。ですけど、頭からそう申す事は、余り 不躾 ( ぶしつけ ) なようで出来かねます。だんだん書いてまいりますうちに、そんな事も申されるようになりますかも知れません。 あなたがわたくしの事を度々思い出して下さるだろう、そしてそれを思い出すのを楽しみにして下さるだろうなんぞとは、わたくしは一度も思った事はございません。あなたはあんまり御用がおありになって、あんまり人に崇拝せられていらっしゃるのですもの。あなたが次第に名高くおなりになるのを、わたくしは蔭ながら胸に動悸をさせて、正直に心から嬉しく存じて 傍看 ( ぼうかん ) いたしていました。それにひっきりなしに評判の作をお出しになるものですから、わたくしが断えずあなたの事を思わせられるのも、余儀ないわけでございます。こうは申しますが、実はあんな夢のような御成功が無くたって、大切なる友よ、わたくしはあなたの事を思わずにはいられませんのでした。御覧なさい。あなたをお呼掛け申しまする、お心安立ての 詞 ( ことば ) を、とうとう紙の上に書いてしまいました。あれを書いてしまいましたので、わたくしは重荷を卸したような心持がいたします。それにあなたがわたくしの所へいらっしゃった時の事を、まるでお忘れになるはずは無いように、わたくしには思われてなりません。高等学校を御卒業なさいましても、誰とも交際なさらずに、寂しく暮らしていらっしゃる時の事で、毎週木曜日と日曜日とには、きっとおいでなさいましたのね。あの時はまだお父う様がお亡くなりなすって、お母あ様がお里へお帰りになった当座でございましたのね。それだもんですから、イソダンであなたの御交際なさることの出来ましたのは、御両親を存じていたわたくしだけでございましたわ。 大切なる友よ。あの時がわたくしにとっては、どんなに幸福な時でございましたでしょう。本当にお互に物馴れない、窮屈らしい御交際をいたしました事ね。あの時邪魔の無い所で、久しく御一しょにいますうちに、あなたの人にすぐれていらっしゃること、珍らしい才子でいらっしゃること、何かなさるのに思い切って大胆に手をお下しになることなんぞが、わたくしにはよく分かりましたので、わたくしはあなたをえらい方だと存じましたの。それなのにあなたは大きななりをして、はにかんでばかりいらっしゃったのですもの。それは六つも年上の若後家の前だからでございましたのね。六つ違いますわねえ。おまけに男のかたが十七で、高等学校をお出になったばかりで、後家はもう二十三になっているのですから、その六つが大した懸隔になったのも無理はございませんね。そんな風にしていましたから、人の世話ばかり焼くイソダンの人達も、わたくしの所へあなたのいらっしゃるのをなんとも申さないで、あれは二親の交際した内だから尋ねて往くのだと申していましたのです。 しかしわたくしがそんな気でいましたから、あなただってそう思っていらっしゃったでしょう。二人は内々恋で逢う心持をしていましたのね。本当にあの時は楽しい時でございました事。わたくし今だから打明けて申しますが、あの時が私の一生で一番楽しい時でございましたの。あの時の事をまだ覚えていらっしゃって。あなたのいらっしゃる時とお帰りになる時とにあなたが子供でいらっしゃった時からの習慣で、わたくしはキスをしてお上げ申しましたのね。それはもと姉が弟にするキスであったのに、いつか温い感じが出て来ましたのね。次第に脣と脣との出合ったのが離れにくくなりますのを、わたくしはわざと自分でも気に留めないようにしていましたの。そして手の震えるのをお互に隠し合うようにしていましたっけね。 そのうちお互に何も口に出さずにいて、とうとうあなたは土地を離れておしまいなさいました。それはあなたははにかんでいらっしゃる、わたくしはあなたを 預託品 ( よたくひん ) のように思っていましたからでございます。一体わたくしは前から堅気な女で、今でも堅気でいるのでございますの。 お別れにお互に涙を 飜 ( こぼ ) したことは、まだ覚えていらっしゃって。お互に口に出さないつらさを感じましたわね。 それだのにあなた、パリイにいらっしゃってから、すぐにわたくしの事をお忘れなさいましたのね。お手紙はたった四度しか参りませんでした。それから勲章をお貰いになったお祝を申上げた時、お葉書を一度下さいましたっけ。それにわたくしはどうでございましょう。 わたくしはあなたの記念を心の隅の方に、内証で大切にしまって置いて、昔のようになんの幸福もなしに暮らしていました。それからわたくしは二度目に結婚いたしました。これまで申上げると、わたくしはこの手紙を上げる理由を御話申さなくてはなりませんから、その前に今の夫の事を申しましょう。格別面白いお話ではございませんから、なるたけ簡略に致します。ジネストは情なしの利己主義者でございます。けちな圧制家でございます。わたくしは万事につけて、一足一足と譲歩して参りました。わたくしには自己の意志と云うものがございません。わたくしは持前の快活な性質を包み隠しています。夫がその性質を挑発的だと申すからでございます。わたくしはただ平和が得たいばかりに、自己の個人性を全滅させました。それが大失錯で、夫の要求は次第に大きくなるばかりでございます。今日のところでは、わたくしは主人に屈従している賄方のようなものでございます。そう云う身の上は余り幸福ではございませんわね。それでもわたくしは主人が渡世上手で、家業に勉強して、わた