大菩薩峠 禹門三級の巻 — 中里介山
一 宇治山田の米友は、あれから毎日のように夢を見ます。その夢は、いつもはんで 捺 ( お ) したように不動明王の夢であります。夢や新聞は、毎日変ったものを見せられるところにねうちがあるのだが、米友のように、毎夜毎夜同じ夢ばかりを見せられては、驚かなければなりません。 夢から 醒 ( さ ) めたたびに米友の驚き 呆 ( あき ) れた 面 ( かお ) も、やはりはんで捺したようなものです。米友はついに堪り兼ねて、床の間にかけてあった不動明王の画像を取外しました。この画像があるから、夢を見せられるのである、画像が無ければ、夢も無くなるであろうと思って、その晩は取外して床の間へ捲いておいたけれど、やはり同じように、不動明王の像が夢に現われました。米友は 癪 ( しゃく ) にさわってこの画像を、よそへうつしてしまおうと思って、今、かつぎ出したところであります。 今日は例の手槍を持って出ることの代りに、かなり大きな不動尊の画像を担いで、例によって両国橋を渡りかけました。そこで米友が思うには、これを 打捨 ( うっちゃ ) るにしても不動尊である、有難がっても有難がらなくっても、不動明王のお 像 ( すがた ) である。 芥溜 ( ごみため ) の中へ打捨るわけにはゆかない。さりとて、道の真中へ 抛 ( ほう ) り出してもおけない。また米友には、屑屋に売り飛ばすというほどの知恵も浮ばない。売り飛ばしてそれを 己 ( おの ) れの 巾着銭 ( きんちゃくぜに ) にしようというような知恵は米友には出ない。出て来たところで彼の良心が許さない。この場合、不動尊の殊勝な信心家が現われて、この画像を米友の手から乞い受けて、 祀 ( まつ ) りあがめる人が出て来れば米友は一議に及ばず、その画像を譲り渡したものであろうと思われるが、不幸にしてその人を得ることができない。せっかく、不動尊を担ぎ出して来たものの、実際、米友はこれをどう扱っていいかということに迷いきっているのです。この点においては、 曾 ( かつ ) て京都へ遊びに行った弥次郎兵衛と喜多八とが、梯子を買ってもてあまして、京都の町を担ぎ歩いたようで、米友のは梯子よりは有難い不動様であるだけに、なおさら捨場に困るのであります。 ほかのことにはあまり頓着はしない米友が、こういうことになると真面目に苦心するのです。甲州の 袖切坂 ( そできりざか ) で鼻緒の切れたお角の下駄を、どう処分しようかと思って、二里も三里も持ち歩いたこともあります。今はその下駄とも違って、不動明王のお 像 ( すがた ) だから、担ぎ出しは担ぎ出したものの、その心の中の苦心は容易なものではありません。 で、両国橋へ来て、フト思案半ばに思いついたのは、やっぱりここから川の中へ投げ込むのがよかろうということでありました。両国橋から物を投げ込んだことは、米友には今までに経験がないではありません。第一には、 天誅組 ( てんちゅうぐみ ) の貼紙をした立札を引っこぬいて、この川の中へ 抛 ( ほう ) り込みました。第二には、金助から侮辱されて腹立ちまぎれに、頭からかぶって金助を、大川の真中へ抛り込んだこともあります。 それで米友は、こんどもその伝で不動明王を、ここから川の中へ抛り込もうと考えたものらしい。それで米友は、恐る恐る画像を肩から取り卸して、橋の前後を見渡しました。あいにくのことに往来の人がかなりに多い。それがいちいち変な目つきをして、米友の挙動をジロジロと見るのが癪にさわる。どうも自分ながら盗み物でもするように気がとがめてならない。前に立札を投げ込んだ時のように、また金助を抛り込んだ時のように、端的に、痛快にやっつけてしまうことのできないのが 忌々 ( いまいま ) しい。そこで米友は、せっかくの名案も実行が渋って、いったん肩から取下ろした不動尊の画像を、また担ぎ直して、非常な不機嫌な顔色をして、 「ちぇッ」 舌打ちをして 焦 ( じ ) れったそうに、また両国橋を渡り出しました。 彼は事をなす時には端的にやっつけてしまうが、その端的が外れると、もう底知れずにぐずついてしまいます。一旦、川へ投げ込みそこねてみると、もう駄目です。大川へ投げ込めないものが、神田川へ投げ込めるはずがない。大川へも神田川へも投げ込めないものを、そこらの堀や溝へ投げ込めるものではない。米友は思案に暮れながら不動尊を担いで、どこを歩むともなく歩み歩んで行きました。 しかしながら、いくら歩いてもこの上いい知恵の出ないことが哀れです。誰かしかるべき人に預けたのがよかろうと、それは幾度も思案にのぼらないではありません。けれども、こうなってみると、預けた先も心配になるし、預けるというそのことも心配になります。たとえば道庵先生とか、盲法師の弁信とかいうような者に、事情を打明けて頼めば、いやとは言うまいけれど、米友の気象では、そう言って頼むのが癪にさわります。なんだか自分が、この一幅の画像に怖れをなして、逃げ隠れでもするように見られるのが癪にさわらない限りもない。それで米友は、しかるべき相談相手を求めようとする気にもならないのであります。自分で自分の心が済むように始末しなければ、男の一分が立たないように思われてなりません。ですから、土にかじりついても、この画像だけは自分で始末をしようとして、 煩悶 ( はんもん ) しながら歩いているのです。 ところが、これほど煩悶している米友の眼の前へ、ちらちらと不動様のお姿が現われます。今までは夢にのみ現われた不動様が、米友がこうして煩悶していると、ありありとその怖い面を向けて米友を 睨 ( にら ) みつけるのだから、米友は 焦 ( じ ) れるばかりです。いったい、不動尊という奴がなんの恨みがあって、おれにこうして附き廻るのだ。今までに米友は、なにも不動様に恨まれるようなことをした覚えがない。夢になり、うつつになって自分の眼先へちらついて、こうまで俺を苦しめる不動様という奴の 了見方 ( りょうけんかた ) がわからねえと、米友は腹が立ってたまりません。 米友の 風采 ( ふうさい ) もかなり奇怪に出来てはいるが、どうも不動様とは太刀打ちができないらしい。ややもすればその不動様に睨みすくめられてしまうのが残念でたまらない。事実あるものならばそれでもよいが、画像はこうしてクルクルと捲き込んでしまってある以上は、この世のいずこを尋ねても、不動様なんていうものがあったらお目にかかる。ありもしないえそらごとの不動様に、夜も昼も睨められて、こっちの睨みが利かなくなるとは、腹が立って腹が立ってたまらない。腹が立つけれども、どうも喧嘩の相手がないには閉口です。相手といえばこの画像だが、さてこの画像を相手に、どう処分していいか、それの思案に思い悩まされているのだから、どうにもこうにも仕方がない。 いつのまにか米友は、柳原の土手の通りを通り過ぎて、加賀ッ原のところまで来て見ると、加賀ッ原の真中に足軽のような者が、 塵芥 ( じんかい ) を集めて焼き捨てていました。多分、貧窮組の捨てて行った米の空俵や、 蓙 ( ござ ) や 蓆 ( むしろ ) の 類 ( たぐい ) であろうと思われる。それをじっと立って見ていた米友が、また一思案を思い浮べました。 「そうだ、焼いてしまえば、元も子もなくなる」 そこで、ブルブルと身を振わして、自分ながらこの名案を喜んだものらしい。けれども、ここで焼こうとするのではない、どこかしかるべきところを選んで、心静かに焼いてしまいたい。そう感づいたから、急ぎ足で歩き出しました。 少しは遠くなっても、なるべくは、ずっと江戸の町を離れた人のいないところで、心静かに不動様を焼いてしまいたい。米友は、そう思って、 跛者 ( びっこ ) ではあるけれども達者な足を引きずって、昌平橋をずんずんとのぼって行きました。 足に任せて歩いた米友は、幾時かの後に広々とした野原に出ました。そこは代々木の原であります。米友は、代々木の原とは知らないで、ここいらならばよかろうと思いました。そうして不動尊の画像は、木の枝にかけておき、それから 四辺 ( あたり ) の山林へ分け入って、杉の落葉だの、 雑木 ( ぞうき ) の枯枝だのというものを盛んに 掻 ( か ) き集めて来ては山を築きました。さて、時分はよしと思ったのに、気のつかないことったら仕方がないもので、米友は火道具というものを持っておりませんでした。この人は煙草を喫わない人だから、常に火打道具を携帯しているというわけにはゆきません。途中で、そんなことに考えつきそうなものだが、この場に立至るまでそれと気がつかなかったのは、おぞましいともなんとも言いようがありません。泥棒をつかまえて縄を 綯 ( な ) うような、ブマなことをしでかした自分を、米友は 歯痒 ( はがゆ ) く思って 地団駄 ( じだんだ ) を踏みました。 四辺 ( あたり ) を見廻したところで、その時分の代々木あたりは、深山幽谷も同じものであります。旅人をつかまえて火種を借りるというわけにもゆかないし、どうしても 最寄 ( もよ ) りの百姓家へでも行って、火打道具を無心しなければならない羽目です。 詮方 ( せんかた ) なく米友は、代々木の原を立ち出でました。林のはずれを見ると、天気がいいものだから丹沢や秩父あたりの山々が見えるし、富士の山は、くっきり姿をあらわしていました。米友も久しく見なかった広い原と、高い山の景色に触れると、 胸膈 ( きょうかく ) がすっと開くようにいい心持になりました。原を出ると大根畑があって、その向うに 生垣 ( いけがき ) があって、そこでギーッと 刎釣瓶 ( はねつるべ ) の音がします。米友は、畑の中の道を突切って行って見ると百姓家です。その百姓家の門口へ立ってみたが、さて何と言って火種を借りていいか、ハタと当惑してしまいました。煙草の火とも言えないし、さりとて不動様を焼くのだからとはなお言えない。なんと言いこしらえて火種を借りようとグッと詰まって、 空 ( むな ) しく百姓家の門口に突立っていました。そうすると百姓家の台所から、けたたましい声と羽バタキをして、大きな鶏が一つ飛び出して来て、戸惑いして、米友の頭に乗っかろうとしました。さすがの米友もこれには面喰って、鶏を払いのけると、そのあとから小犬が飛び出して来て、米友に向って 頻 ( しき ) りに吠え立てるのです。 こんなことでは駄目だと、米友は観念しました。まだ頼みもしない先から鶏にばかにされたり、犬に吠えられたりするようでは、頼み込んでみたところで 剣突 ( けんつく ) を食うか、そうでなければ泥棒扱いでも受けるぐらいが関の山だろうと思ったから、米友はそのままでスゴスゴとまた畑道を引返したものです。仕方がない、少しく遠くなっても町のあるところまで出かけて、銭を出して、火打道具を買い求めて来るよりほかはないと思いました。 米友が畑道を引返して来ると、畑の 畔 ( くろ ) で、百姓が一人、子供を相手に話しています。 「これ見ろ作十、誰か 榛 ( はん ) の木山ん中へ、こんな掛物を置きっぱなしにして行っただあ、ことによると泥棒かも知んねえ」 「 爺 ( ちゃん ) 、あにが 書 ( け ) えてあるだえ」 百姓の 老爺 ( おやじ ) と子供とがその掛物を拡げて見ようとするところだから、米友は眼の色を変えて駈け寄って、横の方から、それをひったくりました。 「おいらの不動様だイッ」 百姓親子は、眼を円くしました。 水に入れようとしてやりそこない、火に焼こうとしてまたやりそこなった米友は、ぜひなく不動尊の像をかついで、代々木の林を立ち出でました。 その途すがら米友は、なお 頻 ( しき ) りにこの画像の処分方を考えていました。そうして最後に考えついたのは、前よりはずっと穏健な仕方であります。それは個人に頼むことこそ 億劫 ( おっくう ) だが、しかるべき 堂宮 ( どうみや ) へ納めてしまえば文句はなかろう。堂宮といううちには、神仏それぞれ持ち分があるのだから、不動様を 閻魔様 ( えんまさま ) の 許 ( もと ) に頼むわけにはゆくまい。不動様は不動堂に限ると思いました。で、住職か或いは堂守に、事情を言いこしらえて納めてしまえばイヤとは言うまい。イヤと言えば 抛 ( ほう ) り込んで逃げてしまおう、とまで決心して、ようやく人通りのあるところへ出た時に、この辺にしかるべき不動堂はないものかと人に尋ねました。その人が、下総の成田山の出張所が、御府内のどこそこにあるということをよく教えて聞かせました。しかし米友は、江戸の市中まで持って帰りたくはないのだから、江戸に近い田舎でしかるべき不動様はないかというようなことを尋ねると、それはまた滝の川の不動様と、目黒の不動様だろうという返事でありました。 その二つの不動様のうち、どれが近いかと尋ねると、ここからでは目黒の方が、ずっと近いということでしたから米友は、よし、それでは目黒の不動にしようと、その方角を、よくよく聞き取ってそちらに足を向けました。 米友が不動尊の画像をかついで、目黒不動の 境内 ( けいだい ) まで来て見ると、そこが大変に賑やかで、お祭か縁日かであるらしい。あんまり賑やかで、かえってきまりが悪いと思いながら米友は、その人混みの中へずんずんと入って行くと、その日にこの庭で「 富 ( とみ ) 」があったものです。 米友には、まだ「富」の観念がよく定まっておらないながらに、 札場 ( ふだば ) の中へ入って、人の蔭になって様子をながめていたものです。 世話人が箱の中から、 錐 ( きり ) で 本札 ( もとふだ ) を突き出して番号を読むと、みんなが持合せの影札を見比べて、当ったものは嬉しそうに、当らないものは、しおらしい 面 ( かお ) をしています。当った番号は紙に書いて、向うの柱へ貼り並べられました。それが大変な人気ですから、札には利害関係のない米友も、つい面白くなって頻りに富札の景気を見ていました。 面白がって見ているうちに、一の富七十三番の札が落ちました。 跳 ( おど ) り上って喜んだのは品川宿の建具屋の平吉という若い男で、この百両が平吉の手に落ちることにきまると、当人も嬉ぶし、誰も彼も羨ましそうに見えました。平さんは札とひきかえにその百両を受取って、