デジタルネイティブと活字派 — Epoche C1
場面設定: ソウル・ハンナム洞の自宅、春の土曜の朝。30年勤続の新聞記者・パク・ジェフン(57歳)と、ソウル大学社会学部の大学院生で報道系YouTuberもしている娘パク・ソヨン(24歳)。朝食のテーブルで、父の朝刊と娘のスマホをめぐる対話が始まる。 ソヨン、土曜の朝刊を一面から読まないお前を、30年の記者として黙って見ているのは、もう限界だ。なぜ、新聞を最初の情報源にしないのか。今朝のトップ記事は、お前の専攻分野である韓国の若年雇用問題だ。これを読まずにSNSで他の話題を追うのは、知の怠慢だ。 お父さん、その「知の怠慢」という言葉、私は受け入れられない。私はSNSで雇用問題を追っている。今朝もすでに、若年雇用統計を批判する大学院生たちのスレッドを20分読んだ。お父さんの新聞より、データの細部が深い。 「データの細部が深い」というのは、SNSの匿名スレッドを読んでの感想か? 新聞は事実確認、相互参照、編集会議の3層を経た情報だ。SNSスレッドにそのプロセスはない。情報の質と量を混同している。 そのプロセス神話を、メディア論の世代として疑わせて。ハーバーマスの公共圏論によれば、新聞という制度は20世紀のブルジョア公共圏の産物で、その3層プロセスもジャーナリズム業界の自己正当化の側面が強い。SNSスレッドの集合知は、別種の検証構造を持っている。 ハーバーマスを引用して父親に説教するのは、お前の世代の知的な特権だな。けれど、彼の公共圏論は、SNSの集合知を肯定する論拠にはならない。彼自身、晩年に新自由主義的メディア環境を批判している。マクルーハンの「メディアはメッセージである」を踏まえても、SNSというメディアそのものが、思考の浅薄化を構造的に強いる。 マクルーハンを引かれると痛い、認める。けれど、ニコラス・カーの『ザ・シャロウズ』も読んでいる。SNS環境がディープリーディングの能力を侵食する、という議論は知っている。それを認めた上で言うが、新聞の「深さ」もまた、ブルジョア的余暇を前提とした制度的特権の上に成り立っている。SNSの「浅さ」は、深さを失ったのではなく、別種の知的形式を生み出している。 「別種の知的形式」というのは、便宜的な言い訳に聞こえる。SNSで100文字の意見を1日100本読むことと、新聞の3000字の論説を1日2本読むことの間には、質的な違いがある。前者は反応であり、後者は思考だ。 父さんの「反応 vs 思考」の二分法は、20世紀的すぎる。SNSの100文字は、新聞の3000字とは異なる方向で機能する。それは「思考の連結」であり、複数の人の意見が連鎖して、一人では到達できない結論に集合的にたどり着く。私のYouTubeチャンネルが、その実践例。 お前のYouTubeチャンネル、登録者は何人だ? ……8万2千人。今朝の動画は、若年雇用問題について、12時間で15万回再生されている。新聞の発行部数と比べたら、たぶん私の方が読者層が広いのよ、お父さん。 ……8万2千。発行部数の話を持ち出されると、新聞業界の現実は厳しい。けれど、再生数は読者数ではない。15分の動画を最後まで見る人は、おそらく15万人のうち2割以下だろう。新聞の3000字を読む人は、ほぼ100%最後まで読む。 その指摘は正しい。完読率は新聞の方が高い。けれど、最後まで読む2万8千人と、新聞の0人を比べるなら、私の方がリーチしている。新聞の読者層は、若年層を完全に失っているのよ、お父さん。 「新聞の0人」というのは、若年層についての話だな。新聞全体の話ではない。お前の世代だけで議論するなら、確かにSNSの方がリーチしている。けれど、若年層を捨てたメディア環境が、社会全体の知的基盤として機能するか、僕は懐疑的だ。 ……お父さん、ここで一つ皮肉を言わせて。今朝、私のチャンネルで取り上げた論考、出典はお父さんが3年前に書いた朝鮮日報の長期連載「韓国若年層の構造的不利」よ。私はその記事をPDFで保存して、何度も引用している。新聞は紙では読まれないけれど、SNS世代がそこから引用するという形で、別の生命を生きている。皮肉でしょう? ……それは知らなかった。お前のチャンネルを、僕は一度も見たことがない。新聞記者として、自分の記事がどこで読まれているかを把握していなかったのは、僕の側の不勉強だな。今夜、お前のチャンネルを見るよ。引用元の親としてだけでなく、新聞記者として、SNS世代の知の在り方を学ぶために。 解説: ハーバーマス、マクルーハン、ニコラス・カーを踏まえつつ、メディア環境の世代差を批判理論的に解体する。14ターン目の娘の予想外の返し――父の長期連載がSNS世代によって別の形で延命している――は、新聞 vs SNSの二項対立を超えて、メディアの「再媒介」という現代的現象を可視化する。世代間の対立は、相互引用の関係に反転する。