Poésies — Arthur Rimbaud
1 Ver erat 春であつた、オルビリウスは 羅馬 ( (ローマ) ) で病ひに苦しんでゐた 彼は身動きも出来なかつた、無情な教師、彼の剣術は中止されてゐた その打合ひの 音 ( ね ) は、我が耳を 聾 ( (ろう) ) さなかつた 木刀は、打続く痛みを以つて我が四肢をいためることをやめてゐた。 機 ( をり ) もよし、私は和やかな田園に 赴 ( はし ) つた 全てを 忘 ( ばう ) じ……転地と懸念のなさとで 柔らかい欣びは研究に倦んじた我が精神を休めるのであつた。 云ふべからざる満足に充たされ、我が心は無味乾燥の学校を忘れ、彼、教師の魅力なき学課を忘れ、私ははるかな 野面 ( のづら ) を見遣り、春の大地のおもしろき、幻術を観るに余念なかつた。 子供の私は、かの田園の逍遥なぞと、 洒落 ( しやれ ) ることこそなかつたけれど 小さな我が心臓は、いと 気高 ( けだか ) き渇望に膨らむでゐた 如何なる聖霊が我が 昂 ( たか ) ぶれる五感にまで 翼を与へたか私は知らぬが、押黙つた歎賞を以て 我が眼は諸々の光景を打眺め、我が胸の 裡 ( うち ) に やさしき田園への愛惜は忍び入るのであつた。マニ※ [#小書き片仮名ヱ、10-4] ジイの磁石が或る見えざる力に因つて、音もなくありともわかぬ 鉤 ( かぎ ) もて寄する、かの鉄環の如くであつた。 それにしても私の 四肢 ( てあし ) は、我が浮浪の幾 歳月 ( としつき ) に衰へてゐたので、 私は緑色なす川の岸辺に身をば横たへ、 たをやけきそが呟きのまにまにまどろみ、怠惰のかぎりに 鳥らの楽音、 風神 ( ふうしん ) の 息吹 ( いぶ ) きに揺られてゐた。 さて雌鳩らは谷間の空に飛びかよひ そが白き群は、シイプルの園に、ヴェニュスが摘みし 薫れりし花の冠を 咬 ( くは ) へてゐた。 雌鳩らは、静かに飛んで、我が寝そべつてゐる 芝生の方までやつて来て、私のまはりに 羽搏 ( (はばた) ) いて 私の 頭 ( かうべ ) を取囲み、我が双の手を 草花の鎖で以て 縛 ( いまし ) めた。又、 顳 ( こめかみ ) を 薫り佳き桃金嬢もて飾り付け、さて 軽々 ( かろがろ ) と私を空に連れ去つた 彼女らは雲々の 間 ( あひだ ) を抜けて、薔薇の葉に 仮睡 ( まどろ ) みゐたりし私を運び、風神は、 そが 息吹 ( いぶ ) きもてゆるやかに、我がささやかな 寝台 ( とこ ) をあやした。 鳩ら生れの棲家に到るや 即ち迅き飛翔もて、 高山 ( たかやま ) に懸かるそが宮殿に入るとみるや、 彼女ら私を打棄てて、目覚めた私を置きざりにした。 おお、小鳥らのやさしい 塒 ( ねぐら ) !……目を射る光は 我が肩のめぐりにひろごり、我が総身はそが聖い光で以て纏はれた。 その光といふのは、影をまじへ、我らが瞳を曇らする そのやうな光とは 凡 ( おほよ ) そ 異 ( ちが ) ひ、 その清冽な原質は此の世のものではなかつたのだ。 天界の、それがなにかはしらないが或る 神明 ( しんめい ) が、 私の胸に充ちて来て大浪のやうにただようた。 やがて鳩らはまたやつて来た、 嘴々 ( くちぐち ) に 調べ佳き合唱を、 指 ( および ) もて指揮するを喜んだ アポロンのそれに似た、月桂樹編んで造れる冠 携 ( たづさ ) へ。 さて鳩らそを我が 額 ( ぬか ) に 被 ( かづ ) けるとみるや 空は 展 ( ひら ) かれ、めくるめく我が 眼 ( め ) には、 フ※ [#小書き片仮名ヱ、12-5] ビュス親しく雲の上、黄金の雲の上、飛び翔けり舞ふが見られた。 フ※ [#小書き片仮名ヱ、12-6] ビュスは我が上にそが神聖な腕を伸べ、 又頭の上には、天上の炎もて 汝 ( なんぢ ) 詩人たるべし! と 記 ( しる ) した。すると我が四肢に 異常の温暖は昇り来り、そが清澄もて光り耀く 清らの泉は太陽の光に 炎 ( (も) ) え立つた。 扨 ( (さて) ) も鳩ら 先刻 ( さき ) にせる姿を改め、 美神 ( ニュス ) 等 合唱隊 ( コーラス ) を 作 ( な ) し優しき声もて歌を唱へば 鳩らそが腕に私を抱きとり、空の方へと連れ去つた 三度 ( みたび ) 汝、詩人たるべし! と呼び、 三度 ( みたび ) 我が 額 ( ぬか ) を月桂樹もて 装 ( よそほ ) うて、空の方へと連れ去つた。 千八百六十八年十一月六日 シャルルヴィル公立中学通学生 ランボオ・アルチュル シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生 [#改ページ] 2 天使と子供 ながくは待たれ、すみやかに、忘れ去られる新年の 子供等喜ぶ元日の日も、 茲 ( (ここ) ) に終りを告げてゐた! 熟睡 ( うまい ) の 床 ( とこ ) に埋もれて、子供は眠る 羽毛 ( はね ) しつらへし 揺籠 ( ゆりかご ) に 音の出るそのお 舐子 ( しやぶり ) は置き去られ、 子供はそれを幸福な夢の裡にて思ひ出す その母の年玉貰つたあとからは、天国の小父さん達からまた貰ふ。 笑ましげの 脣 ( くち ) そと開けて、唇を半ば動かし 神様を呼ぶ心持。枕許には天使立ち、 子供の上に身をかしげ、 無辜 ( (むこ) ) な心の呟きに耳を傾け、 ほがらかなそれの額の喜びや その魂の喜びや。南の風のまだ触れぬ 此の花を褒め讃へたのだ。 此の子は私にそつくりだ、 空へ一緒に行かないか! その天上の王国に おまへが夢に見たといふその宮殿はあるのだよ、 おまへはほんとに立派だね! 地球 住 ( ずま ) ひは沢山だ! 地球では、 真 ( しん ) の勝利はないのだし、まことの 幸 ( さち ) を 崇 ( (あが) ) めない。 花の薫りもなほにがく、騒がしい人の心は 哀れなる喜びをしか知りはせぬ。 曇りなき 怡 ( (よろこ) ) びはなく、 不慥 ( (ふたし) ) かな笑ひのうちに涙は光る。 おまへの純な額とて、浮世の風には萎むだらう、 憂き苦しみは蒼い眼を、涙で以て濡らすだらう、 おまへの顔の薔薇色は、死の影が来て逐ふだらう。 いやいやおまへを伴れだつて、私は空の国へ行かう、 すればおまへのその声は天の 御国 ( みくに ) の住民の佳い音楽にまさるだらう。 おまへは浮世の人々とその 騒擾 ( どよもし ) を避けるがよい。 おまへを此の世に繋ぐ糸、今こそ神は断ち給ふ。 ただただおまへの母さんが、喪の悲しみをしないやう! その揺籃を見るやうにおまへの 柩 ( (ひつぎ) ) も見るやうに! 流る涙を打払ひ、葬儀の時にもほがらかに 手に一杯の百合の花、捧げてくれればよいと思ふ げに汚れなき人の子の、最期の日こそは飾らるべきだ! いちはやく天使は翼を薔薇色の、子供の脣に近づけて、 ためらひもせず空色の翼に載せて 魂を、摘まれた子供の魂を、至上の国へと運び去る ゆるやかなその羽搏きよ……揺籃に、残れるははや五体のみ、なほ美しさ漂へど 息づくけはひさらになく、 生命 ( いのち ) 絶えたる 亡骸 ( なきがら ) よ。 そは死せり!……さはれ 接唇 ( くちづけ ) 脣の 上 ( へ ) に、今も薫れり、 笑ひこそ今はやみたれ、母の名はなほ脣の 辺 ( へ ) に波立てる、 臨終 ( いまは ) の時にもお年玉、思ひ出したりしてゐたのだ。 なごやかな眠りにその眼は閉ぢられて なんといはうか死の誉れ? いと清冽な輝きが、額のまはりにまつはつた。 地上の子とは思はれぬ、天上の子とおもはれた。 如何なる涙をその上に母はそそいだことだらう! 親しい我が子の 奥津城 ( (おくつき) ) に、流す涙ははてもない! さはれ夜 闌 ( た ) けて眠る時、 薔薇色の、天の 御国 ( みくに ) の 閾 ( しきみ ) から 小さな天使は顕れて、 母 ( かあ ) さんと、しづかに呼んで喜んだ!…… 母も亦 微笑 ( ほゝゑ ) みかへせば……小天使、やがて空へと 辷 ( (すべ) ) り出で、 雪の翼で舞ひながら、母のそばまでやつて来て その 脣 ( くち ) に、天使の 脣 ( くち ) をつけました…… 千八百六十九年九月一日 ランボオ・アルチュル シャルルヴィルにて、千八百五十四年十月二十日生 [#改ページ] 3 エルキュルとアケロユス河の戦ひ 嘗て水に膨らむだアケロユスの河は氾濫し、 谷間に入つて 迸 ( (ほとばし) ) り、その騒擾いはんかたなく、 そが浪に畜群と稔りよき収穫を薙ぎ倒し、 人家悉く潰滅し、みはるかす 田畠 ( でんぱた ) は砂漠と化した。 かくてニムフはその谷を去り、 フォーヌ合唱隊亦鳴りを静め、 人々は唯手を 拱 ( こまぬ ) いて河の怒りを眺めてゐた。 此の有様をみたエルキュルは、憐憫の思ひに駆られ、 河の怒りを鎮めむものと巨大な 躯 ( み ) をば 跳 ( をど ) らせて、 逞しい双腕に泡立つ浪を逐ひまくし、 そがもとの河床に治まるやうに努めたのだ。 制 ( おさ ) へられたる河浪は、怒濤をなして呟きながらも、 やがて 蜿蜒 ( (ゑんえん) ) たるもとの姿にかへつたが、 河は 息切 ( いきぎ ) れ、 歯軋 ( はぎし ) りし、そが蒼曇る背をのたくらし、 そが 険呑 ( けんのん ) な尾で以て 荒 ( すが ) れた岸を打つてゐた。 エルキュルは再び身をば投入れて、腕をもて河の頸をば締めつけた、その抵抗も物の数かは 河は懲され、エルキュルは、その上に、大木の幹を振り 翳 ( かざ ) し、 ひつぱたきひつぱたく、河は瀕死の 態 ( てい ) となり砂原の上にのめされた。 扨エルキュルは立直り、 此の腕前を知らんかい、たはけ 奴 ( め ) が! 我猶揺籃にありし頃、二頭の 竜 ( ドラゴン ) 打つて取つたる かの時既に鍛へたる此の我が腕を知らんかい!…… 河は慚愧に顛動し、覆へされたる栄誉をば、 思へば胸は悲痛に 滾 ( たぎ ) ち、跳ねて狂へば 獰猛の 眼 ( まなこ ) は炎と燃え 熾 ( さか ) り、角は突つ立ち風を切り、 咆 ( (ほ) ) ゆれば天も 顫 ( (ふる) ) へたり。 エルキュルこれを見ていたく笑ひて ひつ捉へ、振り廻し、 痙攣 ( ひきつけ ) はじめしその五体 ( (たう) ) とばかりに投げ出だし、膝にて頸をば圧へ付け、 腰に 咽喉 ( のど ) をば敷き据ゑて、打ち叩き打ち叩き 力の限りに懲しめば、やがては河も悶絶す。 息を絶えたる怪物に、勇ましきかなエルキュルは、 打 跨 ( (またが) ) つて血濡れたる、額の角を引抜いて、茲に捷利を完うす。 かくてフォーヌやドリアード、ニムフ姉妹の 合唱隊 ( コーラス ) は、 減水と富源のために働いた、彼等が勇士の愉しげに 今は木蔭に憩ひつつ、 古き捷利を思ひ合はする勇士に近づき、 かろやかに彼のめぐりをとりかこみ、 花の冠・葉飾りを、それの額に 冠 ( かづ ) けたり。 さて皆の者、彼の近くにころがりゐたりし かの角をばその手にとらせ、血に濡れたその戦利品をば 美味な果実と薫り佳き花々をもて飾つたのだ。 千八百六十九年九月一日 シャルルヴィル公立中学通学生 ランボオ・アルチュル [#改ページ] 4 ジュギュルタ王 諸世紀を通じ、神は此の者をば、 折々此の世に降し給ふ…… バルザック書簡。 彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は 健 ( すこや ) かに 軟風 ( そよかぜ ) の云ふを聞けば、 これはこれジュギュルタが孫!…… やがては国のため人民のため、大ジュギュルタ王とはならん此の者が、 いたいけなりし或る日のこと、 来るべき日の大ジュギュルタの幻影は、 その両親のゐる前で、此の子の上に顕れて、 その境涯を述べた後、さて次のやうに語つた おお我が祖国よ! おお我が労苦に護られし国土よ!…… と その声は、寸時、風の神に 障 ( さまた ) げられて杜切れたが…… 嘗て悪漢の巣窟、不純なりし羅馬は、 そが狭隘の四壁を 毀 ( こぼ ) ち、 雪崩 ( なだ ) れ出で、兇悪にも、 そが近隣諸国を併合した。 それより漸く諸方に進み、やがては世界を我が 有 ( もの ) とした。 国々は、その圧迫を 逃 ( のが ) れんものと、 競ふて武器を執りはしたが、 空しく流血するばかり。 彼等に 優 ( まさ ) りし羅馬の軍は、 盟約不賛の諸国をば、その 民 ( たみ ) 等をば攻め立てた。 彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は 健 ( すこや ) かに 軟風 ( そよかぜ ) の云ふを聞けば、 これはこれジュギュルタが孫!…… 我、久しきより羅馬の民は、 気高 ( けだか ) き 魂 ( たま ) を持てると信ぜり、 さはれ成人するに及びて、よくよく見るに そが胸には、大いなる傷、口を開け、 そが四肢には、有毒な物流れたり。 それや黄金の崇拝!……そは彼等武器執る手にも現れゐたり!…… 穢 ( けが ) れたるかの都こそ、世界に君臨しゐたるかと、 よい 力試 ( ちからだめ ) し、我こそはそを打倒さんと決心し、世界を統べるその民を、爾来白眼、以て注視を怠らず!…… 彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は 健 ( すこや ) かに 軟風 ( そよかぜ ) の云ふを聞けば、 これはこれジュギュルタが孫!…… 当時羅馬はジュギュルタが事に、 介入せんとは企てゐたり、我は 迫りくるそが 縄目 ( なはめ ) をば見逃さざりき。立つて羅馬を討たんとは決意せり かくて我日夜悶々、辛酸の極を 甞 ( (な) ) めたり! おお我が民よ! 我が戦士! わが聖なる 下々 ( しもじも ) の者よ! 羅馬、かの至大の女王、世界の誇り、 かの 土 ( ど ) は、やがてぞ我が手に瓦解しゆかん。 おお如何に、我等羅馬のかの傭兵、ニュミイド 人 ( びと ) 等を 嗤 ( (わら) ) ひしことぞ! 此の蛮民等はジュギュルタが、あらゆる 隙 ( すき ) に乗ぜんとせり 当時世に、彼等に手向ふものとてなかりし!…… 彼はアラビヤの山多き地方に生れた、彼は 健 ( すこや ) かに 軟風 ( そよかぜ ) の云ふを聞けば、 これはこれジュギュルタが孫!…… 我こそは羅馬の国土に乗り込めり、 その都までも。ニュミイドよ! 汝