別れた父の遺品 — Epoche C1
場面設定: 札幌・郊外の実家、雪の降る冬の午後。30年前に両親が離婚し、それきり父と疎遠だった兄修一(54)と弟健二(50)が、孤独死した父の遺品整理に集まる。冷えた家の中で、兄弟は黙々と段ボールを開けていく。 健二、思ったより物が少ないな。30年も一人で住んでいたとは思えん。整理は2日もあれば終わるだろう。父の通帳と権利関係の書類は俺の方で見ておくから、お前は遺品の方を見てくれ。 分かった、兄さん。物が少ないのは、父さんなりに身辺を整理していたってことだろう。手紙の束はあるか?段ボールの3番目に、何か日記みたいなのがあったような気がする。あれ、母さん宛じゃないかと、ちらっと思ったんだ。 ……ああ、これか。日記というより、書きかけの手紙の束だ。母さん宛のもあるし、俺たち宛のもある。「修一へ、東京の様子はどうだ」と書きかけて、止まっている。1998年の日付だ。お前にも宛てたものがあるぞ、健二。 ……俺にも書いてくれていたのか。「健二、お前のサッカーの試合、見に行きたかった」――1996年。俺が高校3年で、全道大会の決勝に出た年だ。父さんが見に来てくれていたら、俺は……いや、過去のことだ、もう。 父さんは父さんなりに、俺たちのことを気にかけていたんだな。とはいえ、書きかけのまま投函しなかったのは、結局父さんの問題だ。母さんを苦しめた人だ、俺は許す気にはなれん。書類仕事を済ませて、葬儀の段取りに移ろう。 兄さん、ちょっと待ってくれ。俺、父さんに会いに行ってたんだ。10年前、母さんが亡くなったあと、年に1回くらい。兄さんに言わなかったのは、兄さんが許せないと言うだろうから。俺、父さんの晩年を、ある程度知っている。 ……何だと?お前、俺に黙って父さんと会っていたのか。10年も。それは、兄弟として、フェアじゃないだろう。母さんがどれだけ苦しんだか、俺はずっと一人で抱えていた、それなのに。 すまん。兄さんにしてみれば、裏切りに見えるだろう。俺は俺なりに、父さんに会いに行っては、兄さんの葛藤を父さんに伝えていたつもりだ。父さんは「修一は強い、俺の子じゃない、母さんの子だ」と何度も言っていた。誇らしげにね。 「俺の子じゃない」って……それは父さんの自虐か、それとも、俺との断絶を父さんが受け入れたってことか。10年前なら、母さんの葬儀の少し後だ。父さんは葬儀に来なかった。来てほしくなかったのは、俺だ。来なかったのは、父さんも分かっていたんだろうな。 父さんは葬儀の日、家のすぐ近くまで来ていたよ。母さんへの花束を持って。俺、駅で偶然会った。「修一に迷惑をかけたくないから、ここで帰る」って、花束を俺に渡して、また札幌に戻った。あの花束、母さんの墓に俺がそっと置いた。 ……知らなかった。墓に花束があったのは覚えている。誰のものか、ずっと不思議だった。健二、お前は10年間、二つの家族の間で板挟みになっていたんだな。俺は気付いてやれなかった。すまん。 板挟みってほどじゃない、好きでやってたことだ。それと、兄さん、もう一つ言わせてくれ。父さんが本当に大切にしていたのは、兄さんが17歳の時に「ダサい」って捨てた、あの紺色の野球帽だ。父さんが、ゴミ捨て場から拾い直して、30年間、ベッドの横に置いていた。 ……あの帽子……父さんが俺の中学入学祝いに買ってくれた、初めての帽子だ。確かに、俺、17の時、反抗期で「こんなダサい帽子いらん」って捨てた。父さんが拾っていたのか。30年間、ベッドの横に。……健二、見せてくれ。今、どこにある。 2階の寝室、ベッドの右側の小棚の上にある。俺、最初にこの家に来た時、それを見てね。父さんが、誰にも見せず、誰にも言わず、その帽子を30年間そばに置いていた。それが、俺が知っている父さんだ。兄さん、上に行ってこい。 ……健二、ありがとう。お前、俺の罪を、俺以上に知っていてくれた。許せない人だ、なんて言いきっていた俺の方が、許されるべきだった。あの帽子、俺たち二人で大切にしよう。父さんの墓参り、毎年、二人で行く。約束する。 約束。それと、兄さん、書きかけの手紙のうち、母さん宛のは、母さんの墓に持って行こう。父さんが言葉にできなかった分を、母さんが今頃読んでくれている。たぶん、母さんは父さんを、もう赦している。俺たちが赦すのは、これからだ。 解説: 30年疎遠だった父の遺品整理を通して、兄弟が父の人生と自らの罪に向き合う。13ターン目の弟による「兄が捨てた帽子を父が拾って30年置いていた」という告白は、相手の罪を罰として返すのではなく、父の愛として返す上級レトリック。兄の絶対的な「許せない」が、自分の罪の発見によって解体される。〜にしてみれば・〜なりに・〜きり・〜とあって等の表現が、家族の歴史の重みを支える。