The End of the World — Simon Newcomb
一 驚くべき信号 一 「暗黒星! 暗黒星!」 遥か天の一方に、怪しき暗黒星が現われたとの信号が、火星世界の天文台から発せられた。 この信号がヒマラヤ山の絶頂にある我中央天文台に達し、中央天文台から全世界に電光信号を 以 ( もっ ) て伝えた。 この時の世界は、もはや学術上の発明なども数千年前に極度まで達して、この上に進歩する道が無く、極めて無事太平に、極めて静かに、何事も定滞の状とは為っていた、つまり科学的知識が応用の出来るだけ応用せられ、一歩だも進む余地が無くなってから既に数千年を経たのだ。人間の事務という事務は 悉 ( ことごと ) く機械の作用の如く完全に達せられる。戦争の如きも無くなった。万国公法が極点まで進歩して 一切 ( いっさい ) の条項が完備したから、国と国との間にどの様な問題が在っても総て公法の主義に従って落着する。 二 であるからこの頃の歴史には面白い事が少しも無い。面白いのはもう 漠 ( ばく ) たる太古の霧に包まれ、よく分からぬほど以前の蛮族時代、人と人とが武器を以て戦争し、命の遣り取りをした頃の記事のみだ。 新聞紙とても、日々 発兌 ( はつだ ) はするものの、何にも報道する事が無い。誕生と結婚と死亡との日表の様なもので、それに天気の報道が少しある。話の種にも成らぬ様なつまらぬ 埋草 ( うめくさ ) は掲載せぬので、時によると「前号発兌以来、一つも注目するに足る事件無し」とのみ記して、他は皆余白の 儘 ( まま ) に存している新聞が、読者の家の戸口に置かれる事もある。 三 言葉は全世界通して同一である、総ての紳士が緑色の服に金色のボタンを付け、縁を赤く隈取った白い襟飾りを着ける、これより外に正服はない。 最も遠隔した支那国すらも数千年前に列に入り全世界と同様に生活している。 四 まことに人心を動かした事件を尋ねれば、今より三千年前、初めて火星とこの世界と交通の開けた時代に 遡 ( さかのぼ ) らねばならぬ。これ以来は何事も無いのだ。この交通の開始は実に 壮 ( さか ) んな手段であった。何しろ火星の人種に見える程の合図を送るには、太陽の様な白熱の強い光を凝集して一哩四方の大光明となさねばならぬ。これだけの大光明を機械で以て使用するまでに幾千年の試験を要した。試験が済んで 愈々 ( いよいよ ) 実行したのは 西伯里亜 ( しべりあ ) の広野に於いてであった。 地球と火星との対面する度にこれを行なった。二回三回と対面したけれど何の功も無かった。 五 もはや火星からは返辞の無いものかと疑われたが、 忽 ( たちま ) ち全世界の人は殆ど電気に打たれた如く驚動した。火星の表面から返辞があった。返辞と見る外は無い様に、強い光線が地球に向かって発射した。サアこの信号を解するのがむつかしい。その困難は仲々以て古物学者が太古のモアブ人の石碑文を解読する様な比では無かった。 漸 ( ようや ) く解釈が出来て見ると、分かった。火星の人種は地球の人種よりも天文の知識がよほど優れている。新星の出現などは必ず知らせてくれる、その知らせ方は、本から末に行くに従い次第に薄色となる四種の光線を以てするので、光線の方向が新星出現の方を指すのであった。 六 勿論新星の出現は 極 ( きょく ) の昔から二年目又は三年目ごとには有った。近来はヒマラヤ山 嶺 ( いただき ) の天文台で、極めて鋭敏な写真機を以て天を写すのだから、よほど早く分かりはするが、それでも火星人の方が更に早い、 毎 ( いつ ) でも我が地球へ注意してくれる。 今度の暗黒星などもそれなんだ、唯この暗黒星がどの様な意味を以っているか、何事の前兆であるかは未だ分からぬ。 二 何事の前兆 七 不意に現われる怪星の中で最も人のよく知っているは彗星であるが、彗星はもはや珍しく無い。記録にのっているのが既に二万五千もあってなお年々に新発見が加わって行く。ただ暗黒星に至っては実に珍しい。天文の歴史に記されたのが二十に足らぬ、しかして最近に現われたのが三百年も前である。 八 勿論暗黒星は太陽系統に属していぬ。天のどの方面にいるかも分からぬ。恐らくは無籍者だろう。色は名の通り暗黒で、短い尾を引いたのも有り全く尾の無いのも有る。 何方 ( いづかた ) から来て何方へ行くか少しも見当がつかぬ。しかし火星の人が暗黒星を示すに用いる信号は分かっている。五条の大光線を以て、妙な具合に十字形を見せるので、十字の頭が丁度星の方角に当たるのだ。 九 何しろ永い間、無事に退屈していた世界だから、この暗黒星の報道が達するや、人心が一時に 聳動 ( しょうどう ) した。「その星は 何処 ( どこ ) にある?」「どの様な性質だ?」「何事の前兆か?」等問い合わせが続々とヒマラヤ山頂の天文台へ全世界から集まって、係員は 全 ( みな ) で電信の中に埋められる様な 状 ( ありさま ) であった。けれど彼等は未だその星を見出し得ぬ。ただ火星の信号がドラゴン星座の辺りを指しているので、その辺へ現われるだろうと答える外は無かった。 三 人心の動揺 十 未だ仲々、この地球へ見えはせぬ。よほど度の強い望遠鏡にも写らぬ程だけれど、それでも人々は持ち合わせの双眼鏡などを取り出してしきりに天を眺めた。 信号を受けて一週間を経ても未だ見えぬので人々は疑い始めた。もしや信号を読み違えたでは無いか、もしや火星世界の望遠鏡が地球のより劣っているでは無いかなどと、しかして殆ど人心が 靖 ( やす ) り掛けた所であった。 忽 ( たちま ) ちヒマラヤ天文台が再報告を発した。 愈々 ( いよいよ ) 暗黒星が写真の板面に影を印した。場所は火星の指示した辺りの天である。ドラゴン星座の頭とリラ星の中間をば東南の方へ行く様である。 十一 サアこうなると多くの天文学者はこの新星の軌道を実測するに熱中した。何処を通って何処へ行く星であるか、何しろ進行が遅々としているから、これを測り定めるには一二週間の時日を要する。 四 驚くべき方角 十二 軌道測定の結果が分からぬうちに又火星からの信号が、非常な変調を現わした。かの五条の信号光線が今までにかつて例の無い動き方を始めた。その意味は更に分からぬけれど、何しろ火星世界ではこれを一大事変となして、人心が一方ならず騒いでいるものと察せらる。 吾人 ( ごじん ) の世界では、何故に火星がこの暗黒星の為に、かくまで激しい信号を発するか、その理由さえ解せられぬ、ただ気長く分かる時を待つのみだ。 十三 天文学者は益々熱心に軌道の測量をするけれど、どうしても測量が届かぬ。天文学の開けて以来この様なためしは無い。何度の曲線を描いて運行するか、少し見れば分かるはずだのに一月経っても分からぬ。 その中にヒマラヤ天文台は過日 来 ( らい ) の報告よりも更に驚愕すべき報道を発した。左の如くに、 この暗黒星は軌道を有せず、太陽を指して落下しつつあり。 落下の速力は目下の所、既に一秒時三十キロメートルに達したり。(一時間におおよそ日本の二万五十里)勿論益々速力を加うるなり。 この速力の割合にて二百十箇日(七ヶ月)の後には太陽に到着するはずなり。 五 理学博士の先見 十四 暗黒星が来て太陽と衝突する、その結果はどうなるだろう、誰も知る者は無い。しかるに、 唯一人、あらかじめその結果の容易ならぬを見抜いたのは理学研究所の長を勤める理学博士である。 この時は既にすべての学問が極点まで進歩してこの上に発明の余地が無い事ときまっているのに、なお理学研究所など云うものの有るのは、おかしいでは無いかと怪しむ人もあろう。けれど人の欲には限りが無い。もしやどの様な事で、多少の発明や多少の改良が出来ようかも知れぬとの見込みから、大いな理学研究所を設けてある。まず研究所の大要を記して置こう。 六 理学研究所 十五 理学研究所はある半島の南端に在る。その土地は昔ニーオークとか云って、非常に繁華な都会で有ったそうだ。 何時 ( いつ ) 頃の事だか考古学者に聞かねばよく分からぬが、大きな地震が有って、町全体が地底に埋まった。今は只大きな古跡として残っている。何でも市の広さが幾哩にも 渉 ( わた ) っていた様だ。 十六 この同じ半島の北の部分には、今の世界の大市場が建っている。これは名を「ハットン」市と云うのだ。その道路の美しく 甃石 ( しきいし ) を 布 ( し ) いてある 状 ( かたち ) や、建築物の高大な状などは言語に絶する。市全体は北と西の方へ広く伸び、端から端まで行くのに一日を費やさねばならぬ。高い塔や、公の官衛や、これ以上の建築は出来ぬ、すべて世界の富がここへ集まるので、何事も豊富である。世界中の人が、たとえ用事は無くとも見物の為に集まって来る。何でも生涯に一度はこの市を見ねば成らぬ、理学研究所はこの市隣りに当たるのだ。 勿論理想的に作ったのだから、何の点から見ても欠点の無い研究所である。第一には、 春夏秋冬、 暑寒 ( しょかん ) の変化が有っては不都合だから、それを防ぐ為に地の底百尺以上の深い所へ掘り込んで作ってある。 しかしてその広さは幾百間四方に及ぶので、まず地底の建築物としてはこれに及ぶものは無い。おおよそ人間の知恵でもって作る事の出来る理学機械は 悉 ( ことごと ) く備わっている。 七 博士の異様なる挙動 十七 勿論この博士も、他の人々と同じく、怪しい暗黒星が太陽に衝突することを聞いた。聞いて後の博士の挙動はよほど変であった。常ならば人が見て怪しむだろうけれど、誰も只暗黒星の事にのみ心を奪われている際だから気が付かなかった。 十八 まず博士は沢山理学の機械の在る上に、今までかつて持って来た事の無い様な品々を運び入れた。その重なるは 麺麭 ( ぱん ) に作る麦粉、生麦を始め 一切 ( いっさい ) の食物及び植物学上に知られているすべての草木の種などであった。 洪水の時にノアが種々の品物を船に取り入れたのと、ほぼ似通った振舞いである。多少はこの事に気の付いた人が有っても、唯博士が植物の研究を始めるのだろうと思う位で、別に怪しみはしなかった。 八 秘密の契約 十九 かかる貯蔵の用意が済むや、さて博士はこの研究所の役員一同を集め、重々しく説き出した。 「私は重大な事柄をここに述べます。これは極めて秘密の事ゆえ、決して他に 洩 ( も ) らさぬと云う条件に服して頂かねば成らぬ。 もしこの条件に不服の方は立ち退いて下さる様に願います。」 何事であるかは知らぬが誰一人立ち退かなかった。博士はこれだけでは未だ満足しない。よほど秘密な相談と見える。更に念を押す様に「決して他言をせぬ、決して人に 洩 ( も ) らさぬ、と誓う方は右の手を挙げて下さい」と云った。一同は右の手を挙げた。 九 博士の演説 二十 博士は一同の挙げた手を見て 漸 ( ようや ) く安心した様である。しかしてその驚くべき演説を左の如く始めた。 「諸君、私は、ここにいる吾々より外の人へは決して知らせて成らぬ事柄をお耳に入れます。歴史に 由 ( よ ) って諸君の知る通り、昔から時々、天界で新たな星が 忽然 ( こつぜん ) と光り出す事が有ります。しかしこれは今まで無かった星が新たに生まれ出づる訳では無く、以前から有った星が急に光を増すのです。 「何故に光を増すか、その原因に就いては一定の説が有りませんけれど、数箇月の後には或いはその光を減じて、我我の目に見えぬ迄に小さくなったり或いは一種の星雲に変じて 了 ( しま ) います。 二十一 「これに就いて、私の確信を申しますならば、天には天文学者の云う通り無数の暗黒星が飛遊している。この暗黒星が他の星に衝突した場合に右の様な非常な光を発するのです。何故と云えば、暗黒星は冷え固まっているから堅い、光や熱をもっている星は膨張しているから柔らかです。それだから、暗黒星が他の星の皮を突き破り、中に包まれている熱と光とを一時に爆発させるのです。爆発した熱と光とは恐ろしい力を以て発散します。 この度の暗黒星と太陽との事柄もこの理を以て考えて見ねば成りません」 云う中にも博士の顔には、恐れと心配との色が見えている。 十 理学者と世人と哲学者 二十二 恐れて心配の色を浮かべた理学博士の秘密演説は左の如く続いた。 「ヒマラヤ天文台の報告によると来たる十二月には 愈々 ( いよいよ ) 暗黒星と太陽と衝突する、との事ですが、私は無益に人々を驚かせることを好みません。しかし事実は事実の様に正面から観察して見ねば成らん。もし今申し上げた私の確信が正当とすれば、この衝突の為に、太陽の光と熱とは 忽 ( たちま ) ち幾千倍に増加するのです。 その結果は推量するに難くは有りません。 二十三 「地球の表面は 宛 ( あたか ) も、眼鏡の玉で光線を引き集めたその焦点に置かれるのと同じ事でしょう、ただ木で作った品物が 悉 ( ことごと ) く焼けて 了 ( しま ) うのみでありませぬ。鉄類はすべて 鎔 ( と ) け、石造の物は皆 微塵 ( みじん ) に砕けます。詰まる所、大いなる熱火の洪水とも云うべきですから、おおよそ地球の上に有る人工のすべての事業及び物件は皆破壊し、人類は勿論 一切 ( いっさい ) の生物が残らず焼き殺されて 了 ( しま ) います。 二十四 「こうなると太陽の光に接せぬ北極とか南極とかの地方のみが無事に残るかとも思われますけれども、これとても助かりません。いわば空気総体が火となって燃える様なありさまですから、熱した空気、熱した蒸気が恐ろしい勢いを以て極地を襲います。極地とても 禍 ( わざわい ) を受ける結果は他の地方と大した相違が無いのです。 二十五 [#「二十五」は底本では「 二十五」] 「この様な天然の巨大なる魔力に向かって、私は全く策の出づる所を知りません。ただ私の学説の全く 誤謬 ( あやまり ) であることを切望するのみです。それと同時に諸君に望みます。諸君は 愈々 ( いよいよ ) と云う危急の場合に至らば、諸君の細君や子供を連れて、この地底に在る理学研究所へ逃げてお出でなさい、ここならばあるいは避難が出来ようかとも思われます。もしも何事も無く済めばそれに越す幸いは無い。しかし我我がこの様な準備をしている事は誰にも知らせては成りません、勿論、 一切 ( いっさい ) の生類、一切の人類が 悉 ( こと