とんぼの眼玉 — 北原白秋
はしがき 山火事焼けるな、ホウホケキヨ、 可愛 ( かは ) いい小鹿が焼け死ぬぞ。 これは春の暮、夏のはじめの頃に、夕方かけて、赤い山火事の火の燃える箱根あたりの山を眺めて、この小田原の町の子供たちが昔歌つた童謡の一つだと申します。 昔の子供たちはかういふ風におのづと自然そのものから教はつて、うれしいにつけ悲しいにつけ、いかにも子供は子供らしく手拍子をたたいて歌つたものでした。 それが、この頃の子供たちになると、小さい時から、あまりに教訓的な、そして不自然極る大人の心で咏まれた学校唱歌や、郷土的のにほひの薄い西洋風の飜訳歌調やに圧えつけられて、本然の日本の子供としての自分たちの謡を自分たちの心からあどけなく歌ひあげるといふ事がいよいよ無くなつて来てゐるやうに思ひます。 今の子供たちはあまりに自分の欲する童謡やその他を、その学校や親たちから与へられて居りません。それは今の世の中があまりに物質的功利的であるからでもあります。 私たちの子供の頃は今から考へましても、それはなつかしい情味の深いものでした。あの頃子供であつた私たちがいかほど大人になりましても、いつまでも忘れられないのは、幼い時母親や乳母たちからきいたあの子守唄の節まはしです。 でん/″\太皷に笙の笛のあの「ねんねのお守は何処へ行た。」や、山では木のかず萱のかず、天へのぼつて星のかずの「坊やのかはいさ限りない。」や、十三七つの「お月さま」や、十五夜お月さま見て跳ねるのあの「うウさぎ兎」や、こつちの水は甘いぞ、あつちの水は 苦 ( にイが ) いぞの「赤い帽子の蛍」や、一羽の雀が云ふことにのあの「三羽の小さな雀」の謡や、思ひ出せば数かぎりもありません。 あの野山の木萱のそよぎからおのづと湧いて出たと云ふ民謡や、かうした純日本の童謡やが、次第に廃れてゆく心細さはありません。私は一方にさうしたいつまでも新らしい、而かも日本人としての純粋な郷土的民謡を復興さしたいと云ふ考を持つてゐますにつれて、おなじやうにかうした童謡をも今の無味乾燥な唱歌風のものから元の昔に還さなければならないと思つてゐます。さうしてその本然の心を失はないで、さらに新らしい今の日本の童謡をもその上に築き上げなければならないと願つてゐます。 私がかういふ心から童謡に興味を持ち出したのも随分と古い事でした。おそらく今の詩人たちの中でも私がいちばん古くから手をつけたのでないかと思ひます。それに私の曾つて公にしました抒情小曲集の「思ひ出」あたりにも随分と童謡味の勝つたものが載せられてあります。この集の中でも「曼珠沙華」の一篇はその「思ひ出」の中から抜いたのでした。外にもいろ/\ありますが、幾分子供たちに読ませるには大人びすぎるので差控えました。 「南京さん」「屋根の風見」の二篇も七八年前に作つたのです。その外は皆新らしいものです。 昨年から丁度折よく、お友だちの鈴木三重吉さんが、子供たちのためにあの芸術味の深い、純麗な雑誌「赤い鳥」を発行される事になりましたので私もその雑誌で童謡の方を受持つ事になつて、それでいよいよかねての本願に向つて私も進んでゆけるいい機会を得ました。 これらの童謡はおほかたその「赤い鳥」で公にされたものですが、今度改めて今までの分を 一 ( ひと ) まとめにして出版する事になりました。これを第一輯として、これからも次ぎ次ぎに刊行するつもりでゐます。それに私自身のものばかりでなく、いろ/\の国々の童謡をも御参考のために手をつけて訳して見たいと考へて居ります。 私の童謡はただ美しいとか上品とか云ふばかりを主にして居ますのではありません。それに多少物心のついた十三四歳以上の少年少女たちの謡ひものとしてよりも、それ以下の子供たちに読ませるもの、それには素朴な混り気のない子供の感覚といふこと、さうした 溌剌 ( いき/\ ) とした感覚に根ざしたあるものから、素裸な子供の心を直接にうつ、さうしたものをと心がけて居りますのです。 ほんたうの童謡は何よりわかりやすい子供の言葉で、子供の心を歌ふと同時に、大人にとつても意味の深いものでなければなりません。然し乍ら、なまじ子供の心を思想的に養はうとすると、却つて悪い結果をもたらす事が多いのです。それであくまでもその感覚から子供になつて、子供の心そのままな自由な生活の上に還つて、自然を観、人事を観なければなりません。 子供の感覚が、どんなに鋭く、新らしいか、生きてゐるかと云ふ事について、一例をあげますと、子供はあの陰鬱な灰色の空から、初めて鮮かな白い雪の粉がチラチラと降り出しでもして来ますと、それは喜び勇んで、小躍りしながら、かう歌ひます。 雪花 ( ゆきばな ) ふるわな、 空に虫が湧くわな、 扇腰にさいて、 きりりつと舞ひましよ。 これを大人に咏ませると、「雪は鵝毛に似て飛んで散乱し。」と歌ひます。子供は空に湧く白い粉雪の一片一片を今生れたばかりの活きた羽虫の一匹一匹として喜び、大人は死んだ鵝鳥のそのむしり散らした羽毛の一片一片に譬へて観賞します。子供の感覚は活きて動き、大人の感覚はその智慧から先づ 盲 ( めしひ ) にされて死んで了つてゐます。大した違ひではあるまいかと思ひます。 子供に還ることです。子供に還らなければ、何一つこの忝い大自然のいのちの流をほんたうにわかる筈はありません。 「子供は大人の父だ。」と申す事も、この心をまさしく云つたものに外なりません。私たちはいつも子供に還りたい還りたいと思ひながらも、なかなか子供になれないので残念です。 私の童謡に少しでもまだ大人くさいところがあれば、それは私がまだほんたうの子供の心に還つてゐないのです。さう思ふと、子供自身の生活からおのづと言葉になつて歌ひあげねばならぬ筈の童謡を大人の私が代つて作るなどと云ふ事も私には空おそろしいやうな気がします。然し、私たちから先づ、その子供たちのさうした歌ごころを外へ引き出してあげる事も必要だと思ひます。さういふ心で私は童謡を作つて居りますのです。 私もこれから努めます。だんだんとほんたうの子供の心に還るやうに、ほんたうの童謡をも作れるやうに。 私はいま小田原のとある山の上に木兎の家といふお伽噺の中にあるやうな幼びた小さな家を自分でこしらえて、花を育てたり野菜を栽ゑたりして住つてゐます。子供たちも随分と遊びに見えます。私はその罪のない子供たちの笑ひ声の中に交つて、いつも童謡の中の世界で子供らしく遊んでゐます。どなたでもお子さんのある方は御一緒にお遊びにいらして下さるやうに。 大正八年九月 相州小田原木兎の家にて 白秋 [#改丁] [#ページの左右中央] とんぼの眼玉 [#改丁] 蜻蛉 ( とんぼ ) の 眼玉 ( めだま ) 蜻蛉 ( とんぼ ) の 眼玉 ( めだま ) は 大 ( でつ ) かいな、 銀 ( ぎん ) ピカ 眼玉 ( めだま ) の 碧眼玉 ( あをめだま ) 、 円 ( まア ) るい 円 ( まア ) るい 眼玉 ( めだま ) 、 地球儀 ( ちきうぎ ) の 眼玉 ( めだま ) 、 忙 ( せは ) しな 眼玉 ( めだま ) 、 眼玉 ( めだま ) の 中 ( なか ) に、 小人 ( こびと ) が 住 ( す ) んで、 千 ( せん ) も 万 ( まん ) も 住 ( す ) んで、 てんでんに 虫眼鏡 ( むしめがね ) で、あつちこつち 覗 ( のぞ ) く。 上 ( うウへ ) 向 ( む ) いちやピカピカピカ。 下 ( しイた ) 向 ( む ) いちやピカピカピカ。 クルクル 廻 ( まは ) しちやピカピカピカ。 玉蜀黍 ( たうもろこし ) に 留 ( とま ) れば 玉蜀黍 ( たうもろこし ) が 映 ( うつ ) る。 雁来紅 ( はげいとう ) に 留 ( とま ) れば 雁来紅 ( はげいとう ) が 映 ( うつ ) る。 千 ( せん ) も 万 ( まん ) も 映 ( うつ ) る。 綺麗 ( きイれい ) な、 綺麗 ( きれい ) な、 五色 ( ごしき ) のパノラマ、 綺麗 ( きイれい ) な。 ところへ、 子供 ( こども ) が 飛 ( と ) んで 出 ( で ) た、 黐棹 ( もちざを ) ひゆうひゆう 飛 ( と ) んで 出 ( で ) た。 さあ、 逃 ( に ) げ、 わあ、 逃 ( に ) げ、 麦稈帽子 ( むぎわらばうし ) が 追 ( お ) つて 来 ( き ) た。 千 ( せん ) も 万 ( まん ) も 追 ( お ) つて 来 ( き ) た。 おお 怖 ( こは ) 、 ああ 怖 ( こは ) 。 ピカピカピカピカ、ピッカピカ、 クルクル、ピカピカ、ピッカピカ。 夕焼 ( ゆふやけ ) とんぼ 大 ( おほ ) きな、 赤 ( あアか ) い 蟹 ( かに ) が 出 ( で ) て、 藺草 ( ゐぐさ ) をチヨッキリちよぎります。 藺草 ( ゐぐさ ) の 中 ( なか ) から 火 ( ひ ) が 燃 ( も ) えて、 その 火 ( ひ ) が 蜻蛉 ( とんぼ ) に 燃 ( も ) えついた。 蜻蛉 ( とんぼ ) は 逃 ( に ) げても 逃 ( に ) げきれぬ、 唐黍畑 ( たうきびばたけ ) に 逃 ( に ) げて 来 ( く ) る、 唐黍 ( たうきび ) の 頭 ( あたま ) が 紅 ( あこ ) なつた。 蓼 ( たで ) の 花 ( はアな ) に 飛 ( と ) んで 来 ( く ) る、 蓼 ( たで ) の 花 ( はな ) にも 火 ( ひ ) がついた。 野川 ( のがは ) の 薄 ( すゝき ) に 留 ( とヲま ) つた、 薄 ( すゝき ) の 穂 ( ほ ) さきも 火 ( ひ ) になつた。 お 庭 ( には ) の 鶏頭 ( けいとう ) にやすみませう、 鶏頭 ( けいとう ) もいつぱい 火事 ( くわじ ) になる。 助 ( たす ) けて 下 ( くだ ) され 焼 ( や ) け 死 ( し ) ぬる、 蜻蛉 ( とんぼ ) は 藺草 ( ゐぐさ ) に 縋 ( すが ) りつく。 蜻蛉 ( とんぼ ) の 眼玉 ( めだま ) は 円 ( まる ) ござる、 くるくる 廻 ( まは ) せば 山 ( やま ) が 見 ( み ) え、 山 ( やま ) の 中 ( なか ) から 猿 ( さる ) が 出 ( で ) て、 あつち 向 ( む ) いちや、 赤 ( あアか ) んべ、 こつち 向 ( む ) いちや、 赤 ( あアか ) んべ。 八百屋 ( やをや ) さん 大枇杷 ( おほびわ ) 、 小枇杷 ( こびわ ) 、 水蜜桃 ( すゐみつ ) 、 葡萄 ( ぶだう ) 、 苺 ( いちご ) や 野菜 ( やさい ) 、 お 籠 ( かご ) に 入 ( い ) れて、 頭 ( あたま ) に 載 ( の ) せて、 かつこ、かつこ、 行 ( ゆ ) けば、 薄紫 ( うすむらさアき ) の、 馬鈴薯畑 ( じやがいもばたけ ) の 花盛 ( はなざか ) り。 あちらでもかつこう、 こちらでもかつこう、 郭公 ( かつこう ) が 啼 ( な ) いて、 雨 ( あアめ ) が 霽 ( は ) れて、 田舎 ( ゐなか ) は 涼 ( すゞ ) しい 涼 ( すゞ ) しいな。 かつこう、かつこう、 私 ( わたし ) もいそいそ 口笛 ( くちぶえ ) 吹 ( ふ ) いて、 足拍子 ( あしべうし ) とつて、 お 靴 ( くつ ) でかつこかつこ、 躍 ( をど ) りませう。 かつこ、かつこ、かつこな、 たららら、らるら。 小母 ( をば ) さん、 今日 ( こんにち ) は、 小父 ( をぢ ) さん、 今日 ( こんにち ) は。 お 祭 ( まつり ) わつしよい、わつしよい、 わつしよい、わつしよい。 祭 ( まつり ) だ、 祭 ( まつり ) だ。 脊中 ( せなか ) に 花笠 ( はながさ ) 、 胸 ( むね ) には 腹掛 ( はらがけ ) 、 向 ( むか ) う 鉢巻 ( はちまき ) 、そろひの 半被 ( はつぴ ) で、 わつしよい、わつしよい。 わつしよい、わつしよい、 わつしよい、わつしよい。 神輿 ( みこし ) だ、 神輿 ( みこし ) だ。 神輿 ( みこし ) のお 練 ( ねり ) だ。 山椒 ( さんせう ) は 粒 ( つぶ ) でも、ピリッと 辛 ( から ) いぞ、 これでも 勇 ( いさ ) みの 山王 ( さんのう ) の 氏子 ( うぢこ ) だ。 わつしよい、わつしよい。 わつしよい、わつしよい。 わつしよい、わつしよい。 真赤 ( まつか ) だ、 真赤 ( まつか ) だ、 夕焼小焼 ( ゆふやけこやけ ) だ。 しつかり 担 ( かつ ) いだ。 明日 ( あした ) も 天気 ( てんき ) だ。 そら、 揉 ( も ) め、 揉 ( も ) め、 揉 ( も ) め。 わつしよい、わつしよい。 わつしよい、わつしよい。 わつしよい、わつしよい。 俺 ( おい ) らの 神輿 ( みこし ) だ。 死 ( し ) んでも 離 ( はな ) すな。 泣虫 ( なきむし ) やすつ 飛 ( と ) べ。 差上 ( さしあ ) げて 廻 ( まは ) した。 揉 ( も ) め、 揉 ( も ) め、 揉 ( も ) め、 揉 ( も ) め。 わつしよい、わつしよい。 わつしよい、わつしよい、 わつしよい、わつしよい。 廻 ( まは ) すぞ、 廻 ( まは ) すぞ、 金魚屋 ( きんぎよや ) も 逃 ( に ) げろ、 鬼灯屋 ( ほゝづきや ) も 逃 ( に ) げろ。 ぶつかつたつて 知 ( し ) らぬぞ。 そら 退 ( ど ) け、 退 ( ど ) け、 退 ( ど ) け、 わつしよい、わつしよい。 わつしよい、わつしよい、 わつしよい、わつしよい、 子供 ( こども ) の 祭 ( まつり ) だ、 祭 ( まつり ) だ、 祭 ( まつり ) だ、 提灯 ( てうちん ) 点 ( つ ) けろ、 御神燈 ( ごしんとう ) 献 ( あ ) げろ、 十五夜 ( じふごや ) お 月様 ( つきさま ) まんまる