惜みなく愛は奪う — 有島武郎
Sometimes with one I love, I fill myself with rage, for fear I effuse unreturn'd love; But now I think there is no unreturn'd love―the pay is certain, one way or another; (I loved a certain person ardently, and my love was not return'd; Yet out of that, I have written these songs.) [#右寄せ] -- Walt Whitman -- I exist as I am―that is enough; If no other in the world be aware, I sit content, And if each and all be aware, I sit content. One world is aware, and by far the largest to me, and that is myself; And whether I come to my own to-day, or in ten thousand or ten million years, I can cheerfully take it now, or with equal cheerfulness I can wait. [#右寄せ] -- Walt Whitman -- [#改ページ] 一 太初 ( はじめ ) に 道 ( ことば ) があったか 行 ( おこない ) があったか、私はそれを知らない。 然 ( しか ) し誰がそれを知っていよう、私はそれを知りたいと 希 ( こいねが ) う。そして誰がそれを知りたいと希わぬだろう。けれども私はそれを考えたいとは思わない。知る事と考える事との間には埋め得ない大きな 溝 ( みぞ ) がある。人はよくこの溝を無視して、考えることによって知ることに達しようとはしないだろうか。私はその幻覚にはもう迷うまいと思う。知ることは出来ない。が、知ろうとは欲する。人は生れると直ちにこの「不可能」と「欲求」との間にさいなまれる。不可能であるという理由で私は欲求を 抛 ( なげう ) つことが出来ない。それは私として何という 我儘 ( わがまま ) であろう。そして自分ながら何という 可憐 ( かれん ) さであろう。 太初の事は私の欲求をもってそれに私を結び付けることによって満足しよう。私にはとても目あてがないが、知る日の 来 ( きた ) らんことを欲求して満足しよう。 私がこの奇異な世界に生れ出たことについては、そしてこの世界の中にあって今日まで生命を続けて来たことについては、私は 明 ( あきら ) かに知っている。この認識を誇るべきにせよ、恥ずべきにせよ、私はごまかしておくことが出来ない。私は私の生命を考えてばかりはいない。確かに知っている。哲学者が知っているように知っているのではないかも知れない。又深い生活の冒険者が知っているように知っているのではないかも知れない。然し私は知っている。この私の所有を他のいかなるものもくらますことは出来ない。又他のいかなる威力も私からそれを奪い取ることは出来ない。これこそは私の存在が所有する 唯 ( ただ ) 一つの所有だ。 恐るべき 永劫 ( えいごう ) が私の周囲にはある。永劫は恐ろしい。或る時には氷のように冷やかな、凝然としてよどみわたった或るものとして私にせまる。又或る時は眼もくらむばかりかがやかしい、瞬間も動揺流転をやめぬ或るものとして私にせまる。私はそのものの 隅 ( すみ ) か、中央かに落された点に過ぎない。広さと幅と高さとを点は持たぬと幾何学は私に教える。私は永劫に対して私自身を点に等しいと思う。永劫の前に立つ私は何ものでもないだろう。それでも点が存在する如く私もまた永劫の中に存在する。私は点となって生れ出た。そして 瞬 ( またた ) く 中 ( うち ) に跡形もなく永劫の中に溶け込んでしまって、私はいなくなるのだ。それも私は知っている。そして私はいなくなるのを恐ろしく思うよりも、点となってここに私が私として生れ出たことを恐ろしく思う。 然し私は生れ出た。私はそれを知る。私自身がこの事実を知る主体である以上、この私の生命は何といっても私のものだ。私はこの生命を私の思うように生きることが出来るのだ。私の唯一の所有よ。私は 凡 ( すべ ) ての懐疑にかかわらず、結局それを尊重 愛撫 ( あいぶ ) しないでいられようか。涙にまで私は自身を痛感する。 一人の旅客が永劫の道を行く。彼を彼自身のように知っているものは 何処 ( どこ ) にもいない。陽の照る時には、彼の忠実な 伴侶 ( はんりょ ) はその影であるだろう。空が曇り果てる時には、そして夜には、伴侶たるべき彼の影もない。その時彼は 独 ( ひと ) り彼の 衷 ( うち ) にのみ忠実な伴侶を 見出 ( みいだ ) さねばならぬ。 拙 ( つたな ) くとも、醜くとも、彼にとっては、彼以上のものを何処に求め得よう。こう私は自分を一人の旅客にして見る時もある。 私はかくの如くにして私自身である。けれども私の周囲に 在 ( あ ) る人や物やは明かに私ではない。私が一つの言葉を申し出る時、私以外の誰が、そして何が、私がその言葉をあらしめるようにあらしめ得るか。私は周囲の人と物とにどう 繋 ( つな ) がれたら正しい関係におかれるのであろう。 如何 ( いか ) なる関係も可能ではあり得ないのか。可能ならばそれを私はどうして見出せばいいのか。誰がそれを私に教えてくれるのだろう。……結局それは私自身ではないか。 思えばそれは寂しい道である。最も無力なる私は私自身にたよる外の何物をも持っていない。自己に矛盾し、自己に 蹉跌 ( さてつ ) し、自己に困迷する、それに何の不思議があろうぞ。私は時々私自身に対して神のように寛大になる。それは時々私の姿が、母を失った 嬰児 ( えいじ ) の如く私の眼に映るからだ。嬰児は何処をあてどもなく 匍匐 ( ほふく ) する。その姿は既に十分 憐 ( あわ ) れまれるに足る。嬰児は 屡 ※(二の字点、1-2-22) ( しばしば ) 過って火に陥る、 若 ( も ) しくは水に 溺 ( おぼ ) れる。そして 僅 ( わず ) かにそこから 這 ( は ) い出ると、べそをかきながら又匍匐を続けて行く。このいたいけな姿を憐れむのを自己に 阿 ( おもね ) るものとのみ云い退けられるものであろうか。 縦令 ( たとい ) 道徳がそれを自己 耽溺 ( たんでき ) と 罵 ( ののし ) らば罵れ、私は自己に対するこの 哀憐 ( あいれん ) の情を失うに忍びない。孤独な者は自分の 掌 ( てのひら ) を見つめることにすら、熱い涙をさそわれるのではないか。 思えばそれは 嶮 ( けわ ) しい道でもある。私の主体とは私自身だと知るのは、私を極度に厳粛にする。他人に対しては与え得ないきびしい 鞭打 ( むちうち ) を与えざるを得ないものは 畢竟 ( ひっきょう ) 自身に対してだ。誘惑にかかったように私はそこに導かれる。 笞 ( しもと ) にはげまされて振い立つ私を見るのも、打撲に抵抗し切れなくなって倒れ伏す私を見るのも、共に私が生きて行く上に、無くてはならぬものであるのを知る。その時に私は勇ましい。私の前には力一杯に生活する私の外には何物をも見ない。私は乗り越え乗り越え、自分の力に押され押されて未見の境界へと険難を侵して進む。そして如何なる生命の威脅にもおびえまいとする。その時傷の痛みは私に或る甘さを 味 ( あじわ ) わせる。然しこの自己緊張の極点には往々にして恐ろしい自己疑惑が私を待ち設けている。遂に私は疲れ果てようとする。私の力がもうこの上には私を動かし得ないと思われるような瞬間が来る。私の唯一つの城廓なる私自身が見る見る 廃墟 ( はいきょ ) の姿を現わすのを見なければならないのは、私の眼前を暗黒にする。 けれどもそれらの不安や失望が常に私を脅かすにもかかわらず、 太初 ( はじめ ) の何であるかを知らない私には、自身を 措 ( お ) いてたよるべき何物もない。凡ての矛盾と 渾沌 ( こんとん ) との中にあって私は私自身であろう。私を実価以上に 値 ( ね ) ぶみすることをしまい。私を実価以下に虐待することもしまい。私は私の正しい価の中にあることを勉めよう。私の価値がいかに低いものであろうとも、私の正しい価値の中にあろうとするそのこと自身は何物かであらねばならぬ。 縦 ( よ ) しそれが何物でもないにしろ、その外に私の採るべき態度はないではないか。一個の金剛石を持つものは、その宝玉の正しい価値に 於 ( おい ) てそれを持とうと願うのだろう。私の私自身は宝玉のように尊いものではないかも知れない。然し心持に於ては宝玉を持つ人の心持と少しも変るところがない。 私は私のもの、私のただ一つのもの。私は私自身を何物にも代え難く愛することから始めねばならない。 若し私のこの貧しい感想を読む人があった時、この出発点を首肯することが出来ないならば、私はその人に更にいい進むべき何物をも持ち得ない。太初が 道 ( ことば ) であるか 行 ( おこない ) であるかを(考えるのではなく)知り切っている人に取っては、この感想は無視さるべき無益なものであろう。私は自分が 極 ( きわ ) めて低い生活途上に立っているものであることをよく知りぬいている。ただ、今の私はそこに一番堅固な立場を持っているが故に、そこに立つことを恥じまいとするものだ。前にもいったように、私はより高い大きなものに対する欲求を 以 ( もっ ) て、知り得たる現在に安住し得るのを自己に感謝する。 二 私の言おうとする事が読者に十分の理解を与え得なくはないかと恐れる。人が人自身を言い現わすのは一番容易なことであらねばならぬ。何となれば、それはその人自身が最もよく知り抜いている 筈 ( はず ) の事柄だから。 実際は然しそうではない。私達の用いている言葉は 謂 ( い ) わば 狼穽 ( ろうせい ) のようなものだ。それは獲物を取るには役立つけれども、私達自身に向っては妨げにこそなれ、役には立たない。 或 ( あるい ) は拡大鏡のようなものだ。私達はそれによって身外を見得るけれども、私達自身の顔を見ることは出来ない。或は又精巧な機械といってもよい。私達はそれによって有らゆるものを造り出し得るとしても、遂に私達自身を造り出すことは出来ない。 言葉は意味を表わす為めに案じ出された。然しそれは当初の目的から段々に堕落した。心の要求が言葉を 創 ( つく ) った。然し今は物がそれを占有する。 吃 ( ども ) る事なしには私達は自分の心を語る事が出来ない。恋人の耳にささやかれる言葉はいつでも 流暢 ( りゅうちょう ) であるためしがない。心から心に通う為めには、何んという不完全な乗り物に私達は乗らねばならぬのだろう。 のみならず言葉は不従順な 僕 ( しもべ ) である。私達は屡 ※(二の字点、1-2-22) 言葉の為めに裏切られる。私達の発した言葉は私達が針ほどの 誤謬 ( ごびゅう ) を犯すや否や、すぐに 刃 ( やいば ) を 反 ( か ) えして私達に切ってかかる。私達は自分の言葉故に人の前に高慢となり、卑屈となり、 狡智 ( こうち ) となり、 魯鈍 ( ろどん ) となる。 かかる言葉に依頼して私はどうして私自身を誤りなく云い現わすことが出来よう。私は 已 ( や ) むを得ず言葉に潜む暗示により多くの頼みをかけなければならない。言葉は私を言い現わしてくれないとしても、その後につつましやかに隠れているあの 睿智 ( えいち ) の 独子 ( ひとりご ) なる暗示こそは、裏切る事なく私を求める者に伝えてくれるだろう。 暗示こそは人に与えられた子等の中、最も 優 ( すぐ ) れた娘の一人だ。然し彼女が慎み深く、穏かで、かつ容易にその 面紗 ( ヴェール ) を顔からかきのけない為めに、人は屡 ※(二の字点、1-2-22) この気高く美しい娘の存在を忘れようとする。 殊 ( こと ) に近代の科学は何の容赦もなく、 如何 ( いか ) なる場合にも抵抗しない彼女を、幽閉の憂目にさえ 遇 ( あ ) わせようとした。抵抗しないという美徳を逆用して人は彼女を無視しようとする。 人間がどうしてか程優れた娘を生み出したかと私は驚くばかりだ。彼女は自分の美徳を認めるものが現われ出るまで、それを 沽 ( う ) ろうと企てたことが 嘗 ( かつ ) てない。沽ろうとした瞬間に美徳が美徳でなくなるという第一義的な真理を本能の如く知っているのは彼女だ。又正しく彼女を取り扱うことの出来ないものが、 仮初 ( かりそめ ) にも彼女に近づけば、彼女は見る見るそのやさしい存在から 萎 ( しお ) れて行く。そんな人が彼女を捕え得たと思った時には、必ず美しい死を遂げたその 亡骸 ( なきがら ) を抱くのみだ。粘土から創り上げられた人間が、どうしてかかる気高い娘を生み得たろう。 私は私自身を言い現わす為めに彼女に優しい助力を乞おう。私は自分の生長が彼女の柔らかな胸の中に抱かれることによって成就したのを経験しているから。しかし人間そのものの向上がどれ程彼女――人間の不断の無視にかかわらず――によって運ばれたかを知っているから。 けれども私は暗示に私を託するに当って私自身を恥じねばならぬ。私を最もよく知るものは私自身であるとは思うけれども、私の知りかたは余りに乱雑で不秩序だ。そして私は言葉の正当な使い道すらも十分には心得ていない。その言葉の後ろに安んじて巣喰うべき暗示の座が成り立つだろうかとそれを私は恐れる。 然し私は行こう。私に取って已み難き要求なる個性の表現の為めに、あらゆる 有縁 ( うえん ) の個性と私のそれとを結び付けようとする 厳 ( きび ) しい欲求の為めに、私は 敢 ( あ ) えて私から出発して歩み出して行こう。 私が餓えているように、或る