蠢く者 — 葛西善蔵
父は一昨年の夏、六十五で、持病の脚氣で、死んだ。前の年義母に死なれて孤獨の身となり、急に家財を片附けて、年暮れに迫つて前觸れもなく出て來て、牛込の弟夫婦の家に居ることになつたのだ。その時分から父はかなり歩くのが難儀な樣子だつた。杖無しには一二町の道も骨が折れる風であつたが、自分等の眼には、一つは老衰も手傳つてゐるのだらうとも、思はれた。自分も時々鎌倉から出て來て、二三度も一緒に風呂に行つたことがあるが、父はいつもそれを非常に億劫がつた。「脚に力が無いので、身體が浮くやうで氣持がわるい」と、父は子供のやうに浴槽の縁に掴まりながら、頼りなげな表情をした。流し場を歩くのを危ぶながつて、私に腕を支へられながら、引きずられるやうにして、やうやくその萎びた細脛を運ぶことが出來た。 「こんなに瘠せてゐるやうで、これでやつぱし 浮腫 ( むく ) んでゐるんだよ」と、父は流し場で向脛を指で押して見せたりした。 「やつぱしすこし續けて藥を飮んで見るんですね」 「いや、わしの脚氣は持病だから、藥は 效 ( き ) かない。それよりも、これから毎日すこしづつそこらを歩いて見ることにしよう。さうして自然に脚を達者にするんだな。そして通じさへついて居れば……」と、父はいつも服藥を退けた。 父、弟夫婦、弟たちのところから小學校に通はせてある私の十四になる倅、父が來て二三日して産れた弟の長男――これだけの家族であつた。牛込の奧の低い谷のやうになつたごみ/\した町の狹い通りは、近所に大きな印刷會社があつて、そのため人通りも荷馬車などの往來も、かなり劇しかつた。さうした通りを、午前午後の時刻を計つては、日當りのいゝ玄關わきの二疊に寢かした赤んぼを根氣よくあやした後で、田舍から着て來た帽子のついた古外套に腰の曲つた身體をつゝみ、竹杖に縋つては、よち/\と軒下を傳ふやうに歩いてゐる父の姿に、偶然鎌倉から出て來た自分が出會ひ、思はず涙を呑むやうな氣持に打たれたことがあつた。自分には、父の氣持が解る氣がした。「父の散歩!」悲しい微笑の氣持で自分は斯う呟いたが、むしろ、それは傷ましい氣持のものだつた。父は孫たちのために生きたく思つてゐる――自分は心の中で父に感謝した。 私と同じやうに父は酒飮みで、どんな病氣の場合でも酒を節するとか、養生に努めたりするとか云ふやうな性質の人ではなかつた。田舍にゐても生來の氣無精と脚の不自由から、滅多に外へは出なかつた父が、この東京のごみ/\した劇しい通りの街中を、脚を達者にするため散歩する――さうした父の心持は、生活に對する自分等の心持までも、いくらか明るい方に向けて呉れた。 父は三度ほど、弟や私の倅といつしよに、私の五年越し部屋借りの、建長寺内の山の上の寺に來て、夜遲くまで酒を飮み合つた。 「此頃やはり、毎日少しづつでも歩くせゐか、脚の具合がたいへんいゝやうだ」と、最後に見えたのは三月下旬だつたが、父はさう云つて悦んでゐた。 「それは結構ですね。しかし、何しろあの邊はあんなにひどい通りだから、散歩も餘程氣を附けなさらないと。もしなんでしたら、どうです、當分こつちへ來てませんか。この通り部屋は廣いんですし、閑靜ですし、散歩も庭だけで間に合ふんだから……」 「いや、わしが來たところで仕方がないさ。獨り者のお前のところより、やはり子供たちといつしよの方がいゝ。わしには東京の散歩で結構だ」と、父はかぶりを振るやうにして云つた。 がその父の日課の散歩も、それから後いくらも續かなかつた。五月初め頃から父は床に就くやうになり、七月中旬に死んだ。一切の藥餌も受けなくなり、絶食同樣の日が二十日近くも續いて、ほとんど骸骨のやうに瘠せてしまつたが、元來が頑丈な體質の、殊に永年の飮酒や持病の脚氣にも左程に弱らされてゐなかつたらしい強い心臟のために、却つて死の苦痛を長引かせることになつた。失敗と不幸の一代を送つて來て、殊に生の執着心を失つてゐたらしく見えた父の、最後に見せて呉れた根強い生への執着は、其後自分にいろいろなことを考へさせた。…… が、こゝまで書いて來て、フツト、自分ながらひどく意氣込んで書いて來たことにテレた氣持になり、ペンを止めて、ついこの四五日前から始めた日課の散歩にと、下宿を出た。六疊の部屋の隅の壁に押附けられたやうに坐つて、何ヶ月にも油も附けない蓬々とした櫛卷の髮を見せて、おせいは、此間友人のTの細君から裏地まで添へて貰つて來た木綿縞の袷を、幾日かかゝつて縫つてゐるのを、今日もひろげてゐた。自分は外套を着、鳥打帽をかぶつて、默つて出て來た。 近くの本郷三丁目の交叉點を横切るのさへ、自分にはいつもかなりの思ひだつた。きまりのやうに一二囘は屹度交通巡査の合圖を躊躇した後、思ひ切つて不自由な脚してよちよちと駈けるやうに線路を越して、初めてほつと息を吐く。そこから左り側の歩道を、店屋の飾り窓を覗いたり、本屋の雜誌の表紙を見たり、露店の古本をひやかしたりしては、出來るだけゆつくりと一高前の角のところまで歩き、そこから同じ道を歸つて來る。――と云ふだけのほんの短い散歩なのだ。父のやうに竹の杖は持たないが、外套の襟を立て、兩手をポケツトに突込み、背を曲げて、膝の屈折が自由にならないやうな頼りない感じで、一歩々々と氣をつけて歩くのだ。一二ヶ月前から痲痺の感じは消えたのだが、運動筋の神經は容易に恢復しないのらしい。自分はあの窪地のごみ/\した通りを歩いてゐた父の姿を思ひ出す。そして自分の姿を顧みる。だが散歩と云ふことも、日課とするべく何と云ふ億劫な、面白味のない退屈な仕事だらう。父にもさうだつたに違ひないのだ。だが、父は長生きしたいと思つてそれを續けたのだらうが、俺もやはり、それなんか知ら? 同じ退屈するなら、やはり蒲團の中にもぐり込んでゐるか、地震で柱の歪んだ部屋の黄色い壁――附鴨居の下の天井下の小壁などにひどいひゞを見せた壁に向つて、煙草の煙でも吹いてゐた方が、まだしもましぢやないか知ら? 部屋の隅にはおせいが借りられて來た猫かのやうに、座蒲團も敷かず火鉢も當がはれず、ぼろ/\になつた着物を着て、背を丸くして坐つて、ちよい/\臆病らしく眼をあげて俺の不機嫌な顏色をぬすみ見てゐる。俺は氣の附かないやうな風をして「これがまだ二十五と云ふ若い女なのだ。そして俺だつてまだ三十八と云ふ年齡の男なのだ。それがどうしたと云ふのだらうこの老いぼれ方がさ……」と云つたやうなことを、ぼんやり考へてゐる。それが、斯うした生活が、もう半年から續いてゐる――とふと考へて來ると、自分は譯の分らない呻き聲のやうなものが、腹の底からこみあげて來るやうな衝動を感じて、ついふら/\とこの億劫な日課に出かけて來ると云つたやうな氣持でもあつた。 三月上旬だと云ふに、前晩の小指大の雹が降つたとかで、厭な寒い風の吹く日だつた。一高前から例に依つて引返さうとして、ふとTの休みの日なことを思ひ出し、勇氣を出して駒込まで歩いて行つた。Tは二三日前から風邪を引いて休んでゐると云つて、床に就いてゐた。 「君の方へも何とも云つて來ないかい? 僕の方へもあれつきりなんだがね……」と、Tが私が坐るなり云ひ出した。 「いや、僕の方へは何とも云つて來つこないだらう、あゝして歸したんだから。それにしても君の方へ何とも云つて來ないと云ふのは、をかしいね。また人事相談へでも持込むつもりかね。無茶なことを考へ出されちや、弱るからね」 「人事相談とはしかし考へたもんだね。が二度とはもうあんなことしやしないだらう。だいぶ悄げてゐたやうだつたぢやないか」 「しかし田舍の人たちのやることはわからないからな。どつちみちあれが歸ると一等いゝんだがね。無理に追出すと云ふ譯にも行かず、實際今度は僕も弱つたよ。仕事は手に附かず、下宿の方は溜るし、いつそどこかへ遁走でもしようかと考へてゐる」 「そいつは可哀相だよ。それにしても一體どんな考へでゐるのかね。あの子も。一生君のそばに居りたいと云ふほどの考へでもなささうだし、君の妻子のことも何もかも承知してゐるんだしね。それに毎日あゝして小さくなつてゐて、晩には晩で醉拂つては打たれるだらうしね。それでも歸らうとは云はないんだから、一寸あの子の了見にもわからないところがあるね」と、Tは探るやうな眼付を見せた。 「それが僕にもわからないんだよ。それがはつきりわかつてゐると、どうにも僕の氣持をきめることが出來るんだけれど、幾ら問詰めて行つても更にはつきりした 手應 ( てごた ) へがないんでね。そして何かしら野生の動物めいた感じの執拗な眼付をして、あゝしていちんち部屋の隅つこにうずくまつてゐるんだから、つい酒でも飮むと打つたりなんかするやうなことになるんだよ。ゆうべも夜中に隣りの學生君に怒鳴られたよ。解決は明日俺がつけてやるから、今夜は寢つちまへ、毎晩々々勉強の邪魔ぢやないか、もう二時だぞ、人間には誰にだつて神經と云ふものがあるんだからね――ひどく叱られちやつたね」 「神經があるはよかつたな。何しろ下宿でひどく迷惑してゐることだらうから、少し氣をつけるんだね。自分の身から出た錆ぢやないか。それでは兎に角先方から手紙の來次第僕が鎌倉へ行つてどつちかへ話をきめて來るが、その結果で、それでは當分君のところへ預けると云ひ出したら、君にそれだけの責任が持てるか?」 「そりや仕方がないだらう。僕は田舍の女房にもすつかり打明けて、田舍へ引込むやうな場合には伴れて行つてもいゝと云ふことになつてゐるんだがね、唯一つ困つたことは、あれがもう姙娠してゐて、何故かそれを俺に隱してゐるんぢやないかと云ふ氣がされて仕方がないんだがね。それを此間來た叔父さんと云ふのに打明けたか打明けなかつたか、打明けてあるとすると、君が出かけて行つても話が一寸面倒になると思ふんだ。俺は實際永い間あれが女だと云ふことを頭に入れたことがなかつたやうで、今度いつしよに居られて見て、初めてあれもやはり女と云ふ恐ろしい難物なんだつたと氣がついて見ると、俺も實はほんとから怖くなり出して、此頃では僕の方がだん/\降參しかけてゐる形なんだ。子供の出來ることは怖くないが、女そのものが俺には怖い……」と自分もつい昂奮して來て、嘆息するやうに云つた。 「それは迂濶だつたねえ!」と、Tも難かしい顏付を見せて云つた。 「たしかに迂濶だつた。僕もあれが來た當座から、そのことを考へなかつたわけではなかつたのだが、どうも、不自然な防ぎ方をしようと云ふやうな氣にはなれなかつたのだね。あゝ、自然と云ふ奴にはかなはないなあ……」と、自分はまたも嘆息せずに居れなかつた。 「しかしそれが、確かにさうなのか? さうときまつたとなると、一寸問題だよ」 「それが僕にもはつきりしたことがわからないのだ。あいつが何かしら意地くねわるい氣持から俺にまだ隱してゐるのか、さうらしく見せかけてゐるのか、どうもよくわからない、よし! 今夜こそひとつはつきりと 訊 ( き ) いて見てやらう……」 「そんな話は醉はん時優しく訊いて見る方がいゝから、今夜は止したまへよ。もし何だつたら、うちの細君に訊かして見るから、何とか云つてうちへよこすことにしたまへ」 Tに忠告されて、すつかり疲れた暗い氣持になつて、電車で歸つて來た。ところがまた、その晩遲く、醉つた揚句に飛んでもない淺ましい活劇を演じてしまつた。 姙娠の詰問から、つい此間の警察の人事相談の方へと脱線したのが始まりだつた。日暮れ時分巡査が差紙を持つて來て、おせいが顏色を變へて行つて見ると、鎌倉から叔父が出て來てゐた。が結局警察でも「もう子供のことではないんだから、無理に引擦るやうにして伴れて行つても、女の方から追かけて來るやうなんだと、また飛び出して來るんだから、そこはよく納得の行くやうに話をして、伴れて歸るがいゝだらう」と、叔父に云ふほかなかつた。おせいには「お前さんは、その人への貸金を取立てゝ歸ると云つて出て來たんださうだが、今訊くと、うちへは當分歸りたくないからどこか奉公口の見つかるまでその人の下宿に厄介になつて居ると云ふんだが、そんなに永く厄介になつてゐて、もし宿料でも請求されるやうなことにでもなると、折角のお前さんとこの貸金だつて取れないやうなことにならんとも限らんからね。よくその邊のことも考へて見て、叔父さんといつしよに歸ることにしたらいゝだらう。兎に角一應その人の下宿へ行つてよく相談するんだな」と云つた。叔父はその晩私の部屋に泊つたが、結局伴れて歸ることが出來なかつた。 「俺が迷惑だ! 歸れ! 歸れ!」と、自分は例の調子で、眼を据ゑて、大聲で怒鳴つた。「いきなり警察へ持込んだりなんかして、俺だつていゝ恥さらしぢやないか。惡黨奴! お前さへ歸つて行けば、双方に文句がないんぢやないか。一體どんな氣持で、いつまでも斯うしてゐるのか、それをはつきり云つて見たらいゝぢやないか。俺が迷惑だと云ふことが、お前にわからないのか。俺は獨りになりたいんだ。それでないと仕事が出來ないんだ。さう頼むやうに、云つて來てるんぢやないか。斯うして毎日氣を腐らして、仕事は出來ないし、宿料は溜るし、今日も女房から、長男も長女もこの頃入學試驗の準備で夜も十二時近くまで勉強してゐる、せめて毎日玉子の一つ宛でもやりたいと思ふがそれも自由にならない有樣で不憫だと、云つて來てる位なんだ。さうした受驗準備の費用さへ俺には送れないんだ。試驗が受かれば受かつたで、その準備も考へなければならないんだから、そして後一ヶ月と間がないんだからね。兎に角明日にも早速歸つて行つて貰はう。俺も隨分永い間お前の厄介になつた。それは知つてる。がそれは、別の方法で屹度返す。が斯うした下宿での同居生活だけは、これ以上俺には我慢が出來ない。そして田舍の女房子供たちまでも、お前といつしよのことを知つてゐる。そして俺は子供たちに玉子喰はす金さへ送れないのだ。歸つて呉れ! 歸つて呉れ! 俺は氣が狂つちまふぞ! 氣が狂つちまふぞ!」と、自分は齒をギリ/\噛み合しながら、あたりの學生たちが此頃試驗前の勉強中なのも忘れて、怒鳴り續けた。 今朝妻の手紙を讀んだ時には左程にも強く感じなかつた玉子と云ふ言葉が、斯う怒鳴り續けてゐるうち、醉拂つた頭の中にふと閃くやうに喚びかへされた。自分は一寸眼を瞑つて、拂ひ退けたい氣持から、頭を激しく振つて見た。あの九月一日の地震當時の思ひ出――鬼門々々、あれが一切の破壞者だつたのだ。「だが玉子? 玉子がどうしたと云ふんだつたつけな?……あ、さうか、俺