We Took the Overseer Inside — The Clock and the Uncounted Hour — Epoche C2
場面設定: 夕方近くの、ある歴史学者の書斎。本棚の隙間という隙間に、時を計る道具の歴史が、並んでいる——窓辺の日時計、止まった砂時計、振り子時計、そして、片隅には、かつて労働者が出退勤を刻んだ、古い工場のタイムレコーダー。机には、ひらいたままの古い農事暦と、冷めたお茶。生産性のコーチで、時間術についての本を準備しているダルトン氏(三十代、糊のきいたシャツ、手首には通知の光るスマートウォッチ、膝にはタブレットと、分刻みで色分けされた予定表)が、味方を求めて、訪ねてきた。向かいに座るのは、労働と時間の社会史を半世紀講じてきた歴史学者フェレイラ教授(七十代、ゆったりとしたショール、節くれだった手、その目は、面白がるように、しかし鋭く、相手のスマートウォッチを、見ている)。窓の外では、日時計の影が、ゆっくりと、伸びていく。 取材を、ありがとうございます、教授。私の企てを、ご説明しますと——時間を、使いこなすことについての本です。時間を、ブロックに区切り、予定表を、成し遂げる人生の、土台に据える。『時は金なり』。だから、お金のように、管理する。あなたが、時間の、偉大な歴史家でいらっしゃると、伺いまして、私は、確信しているんです。あなたなら、計測された時間を、規律をもって使うことこそ、人類の、最も偉大な道具だと、きっと、ご同意くださる、と。(と、壁に並ぶ、古い時計の数々を、感嘆して、見やる) 推薦の言葉を、いただきに、来る歴史家を、間違えましたね、ダルトンさん——けれど、おかけなさい。なぜなら、その不一致のほうが、一致よりも、あなたの役に立つからです。あなたは、『時は金なり』と、まるで、重力のような、自然の法則であるかのように、仰った。それが、引用だと、ご存じですか。ベンジャミン・フランクリン、一七四八年、若い商人への、助言です。その一文が書かれる前は、地上の、ただの一人の人間も、そんなことを、考えたことが、なかった。あなたは、広告を引用して、それを、算術と、呼んでいるんですよ。 でも、それは『算術』ですよ——私の仕事の一時間には、値段がある。その一時間を無駄にすれば、お金を、無駄にする。それは、イデオロギーではない。ただ、本当のことです。時間は、私たちが、もっと作り出すことのできない、唯一の資源だ。だから、それを管理することは、人が、なしうる、最も理にかなったことなんです。 『唯一の資源』——ご自分の言葉を、お聞きなさい。あなたは、時間を、一つの『物質』に、あなたが『持って』いて、使ったり、溜め込んだり、失ったりできる、『物』に、変えてしまった。その隠喩は、せいぜい、三百年ほどのものです。人類の歴史の、大半において、人々は、時間を『使い』は、しなかった。それを『過ごした』のです。彼らは、時計ではなく、課業と、季節によって、働いた——牛が鳴けば、乳を搾り、実れば、収穫を取り入れ、その課業と課業の間は、罪もなく、無為だった。トンプソンは、その古いやり方を、課業志向と、呼びました。時計は、その生を、計りは、しなかった。それは、その生に、取って代わったのですよ。 そして、ありがたいことに、そうなった——その『課業志向』の生は、混沌と、貧困のように、聞こえますよ。時計が、私たちに、調整させ、計画させ、複雑な社会を、築かせた。鉄道も、病院も、都市も、『牛が鳴いたら』では、運営できません。 運営できません、そして、私は、鉄道を、返上したりは、決してしません——そこを、握っておいてください。私は、ロマン主義者では、ないし、その総合こそが、肝心なのですから。けれど、時計が、工場に、やってきたとき、それが、何の『ために』あったかを、ごらんなさい。それは、労働者を、自由にするために、そこにあったのでは、ない。それは、彼の身体を、機械に、同期させるために、そこにあったのです。マンフォードが、私より先に、言いました——蒸気機関ではなく、時計こそが、産業時代の、鍵となる機械だ、と。工場の鐘が鳴り、人間は、信号一つで、動き出し、止まる、一つの『物』に、なった。そして、最も深い変化は、工場の作業場に、あったのでは、ない。それは、ここに、あった。(と、自分の胸を、こつこつと叩く)私たちは、監督を、内に、取り込んだのです。 内に、取り込んだ? 初期の工場は、時間規律を、それを持たない人々に、『強いる』ほか、なかったのです——遅刻者に、罰金を科し、無為を、説教で戒め、文字どおり、時計の針を、動かして、労働者から、分単位を、騙し取った。労働者は、それと、闘いました。彼らは、『聖月曜日』を、守りつづけた——月曜は、休んで、酒を飲み、体を癒し、人間が、昔からそうしてきたように、ひと息に、ぐっと働いた。それを成し遂げるのに、時計と、学校と、説教の、一世紀がかかった——けれど、ついに、彼らが、勝った。そして、その勝利の証が、あなたなんです、ダルトンさん。あなたには、もはや、鐘を持った監督が、要らない。あなたは、予定の入っていない一時間に、その罪悪感を、自分で、感じる。あなたは、工場が、築こうとしていた、当のものに、なったのです——自分自身の時間を、無償で、取り締まり、そして、それを、自己統制と、呼ぶ人間に。 (と、ひと呼吸おいて)……予定表アプリを、ずいぶん、暗く読むものですね。でも、あなたは、何かを、飛ばしている。時計は、労働者『のために』も、勝ち取ったんです。八時間労働——『八時間の労働、八時間の休息、八時間の、我らが意のままに』——あれは、時計の標語です。計測された時間に対してしか、人は、公正な賃金を、要求できない。時計がなければ、雇い主は、ただ、『終わるまで』、あなたを、働かせる。計測された一時間は、鎖であると同じくらい、労働者の、盾なのでは、ありませんか。 今、あなたは、本物の歴史家に、なっていますし、まさに、その結び目に、指を、置きました。そう——労働者を、規律づけた、その同じ時計が、彼を、武装も、させた。八時間労働は、時計『の』勝利です。ひとたび時間が計測されれば、その計測を、区切ることができ、そして、『六時を過ぎれば、私の時間は、私のものだ』が、人が、闘って勝ち取れる、一つのものに、なる。時計は、敵では、ない。時計は、一つの『武器』で、そして、問いは——唯一の問いは——誰が、それを、握っているか、そして、どの時間に対して、握っているか、なのです。 では、私たちは、時計は、ただの道具だ、ということで、合意したわけですね。それなら、私の時間管理は、ただ……その道具を、上手に使っているだけ、です。 そうでしょう、もし、あなたが、八時間労働が止まった、その場所で、止まっていたなら——計測された仕事のための、計測された時間、そして、その先には、時計が、口を出す筋合いのない、一つの『柵』。けれど、あなたが、したのは、それでは、ないでしょう? あなたの夕方を、予定表から、読み上げてごらんなさい。さあ。 (ゆっくりと)……六時十五分、ジム、ブロック。七時、『家族との、上質な時間』、ブロック。八時半、『自己啓発の読書』。十時、『就寝導入に向けて最適化した、入眠ルーティン』。……あなたは、私が、自分自身の夕方に、工場の時計を、据えつけた、と仰るおつもりですね。 私が、告げる必要は、ありません。あなたが、たった今、それを、聞いたのですから。あなたは、八時間労働を、勝ち取って、そして、計測されない時間を、自ら進んで、監督に、返してしまった——あなたは、自分自身の休息を、ブロックに区切り、自分自身の余暇を、最適化し、その値打ちの、すべてが、予定されていないことにあった、まさにその時間を、予定に、組み込んだ。クラリーは、私たちの時代を、二十四時間七日(にじゅうよんじかんしちにち)と、呼んでいます——最後に残った、計測されない時間の、植民地化。睡眠さえも。工場は、決して、あなたの日曜日に、手を伸ばすことが、できなかった。あなたが、それを、招き入れて、その招待を、『生産性』と、呼んでいるんです。あなたの曽祖父、あの聖月曜日の男が、持っていて、あなたが、持っていない、ただ一つのもの——それは、どんな時計も、所有しない、一時間です。 ……だから、回復は、時計を、叩き壊すことでは、ありえない——それは、ただ、日が暮れるまで、あなたを働かせた、あの課業の親方への、郷愁だ。回復は、その『柵』を、建て直すことだ。一部の時間は、計測され、負っているものとして、保ち、もう一方の種類を、猛烈に、守ること——『回復をもたらす上質な余暇』ではなく、それは、変装した工場の時計です——そうではなく、本当に、目的のない、計測されない、無駄にされた、時間を。 (と、窓辺の日時計を、見やる。そこでは、光が、移ろっている)それが、ことの全てで、あなたは、たいていの人より、速く、そこに、辿り着きました。時計自身が、可能にした、あの区別を、取り戻しなさい——ある時間は、費やされ、ある時間は、ただ、過ごされる、と。(と、微笑む)なぜ、私が、これだけの時計を、取っておくか、お分かりですか、ダルトンさん——生涯、時計と闘ってきた、一人の歴史家が。それらを、崇めるためでは、ない。一つひとつが、かつて、新しかったことを、思い出すためです——『時は金なり』にも、初日があった、ということは、最後の日が、ありうる、ということ。私たちが、時間によって生きるそのやり方は、空気でも、潮でもなく、人が、作ったものであり、それゆえ、人は、それを、一時間ずつ、作り変えられる、ということを。さあ——(と、彼の手首のスマートウォッチを、自分の、染みの浮いた、老いた手で、覆う)六時を、過ぎました。あなた自身の標語によれば、次の一時間は、あなたのもので、あなたの予定表のものでは、ない。それを、私に、読み上げないこと。それを、最適化しないこと。それを、無駄にしなさい。座って、光が、床を、横切っていくに任せて、そして、何も、計らないこと。それこそが——時間ブロックではなく——その名に値する、唯一の、時間管理です。どの時間を、数えるべきかを知り、そして、残りを、見事に、意図して、数えぬまま、置いておく、その胆力を、持つこと、なのですよ。 解説: 夕方近くの歴史学者の書斎を舞台にした C2 級・十六ターンの弁証法。日時計・砂時計・工場のタイムレコーダーという、時を計る道具の歴史そのものが、論証の実物になっている。正:時間術の本を準備する生産性コーチ、ダルトンの立場——『時は金なり』は重力のような真理で、時間は唯一作り出せぬ資源、ブロックに区切り予定表を土台にするのが理にかなう。計測された時間の規律ある使用こそ人類最大の道具だ。反:労働と時間の社会史家フェレイラの立場——『時は金なり』はフランクリン一七四八年の引用で、時間を『物質』とする隠喩はせいぜい三百年。人類の大半は時間を使わず過ごし、課業と季節で働いた(トンプソンの課業志向)。マンフォードの言う通り時計は産業時代の鍵機械で、労働者の身体を機械に同期させた。初期工場は時間規律を強い、労働者は聖月曜日で抵抗したが、一世紀で敗れ、私たちは監督を内に取り込んだ——予定の無い一時間に自ら罪悪感を感じる自己統制。合:時計は道具でなく『武器』で、誰がどの時間に対し握るかが唯一の問い。八時間労働は時計の勝利(計測された時間は労働者の盾)。だが我々は八時間労働を勝ち取った後、計測されない時間を自ら監督に返した——休息をブロック化し余暇を最適化し、予定されぬことにこそ値打ちがあった時間を予定に組んだ。クラリーの二十四時間七日は最後の植民地化(睡眠さえ)。回復は時計を壊すことでなく(課業の親方への郷愁)、柵を建て直し『回復的な上質余暇』(変装した工場の時計)でなく真に目的なき・計測されぬ・無駄な時間を守ること。最後は『時計自身が可能にした区別=費やす時間と過ごす時間を取り戻せ/どの時間を数えるべきかを知り残りを意図して数えぬまま置く胆力こそ唯一の時間管理』へ収束する。 参考文献 Thompson, E. P. (1967). 「Time, Work-Discipline, and Industrial Capitalism」. Past & Present, 38, 56-97. Mumford, L. (1934). 『Technics and Civilization』. New York: Harcourt Brace. Le Goff, J. (1980). 『Time, Work, and Culture in the Middle Ages』. Chicago: University of Chicago Press. Crary, J. (2013). 『24/7: Late Capitalism and the Ends of Sleep』. London: Verso. Rosa, H. (2013). 『Social Acceleration: A New Theory of Modernity』. New York: Columbia University Press.