The Winemaker in His Vineyard — Jules Renard
土地の便り フィリップ一家の家風 一 フィリップ一家の 住居 ( すまい ) は、おそらく、村じゅうでいちばん古い住居である。 藁 ( わら ) ぶきの屋根は、苔が 生 ( は ) えて、 処 ( ところ ) まんだらに修繕をしたあとが見え、 庇 ( ひさし ) が地べたの上に垂れ、入口は頭がつかえるほどで、小さな十字窓は、てんから開かないようにできている。これで見ると、どうしても、二百年ぐらい 経 ( た ) った 代物 ( しろもの ) としか思えない。フィリップのお 神 ( かみ ) さんは、その点、気がひけるらしい。 「貧乏も、よっぽど貧乏じゃなくっちゃね、これをこのまんまうっちゃらかしとくなんて……」 「どうして? 僕は、とてもいいと思うね、この 家 ( うち ) 」 すると、彼女は、 「壁にさわると壁土が指にくっついて来るんですからね」 フィリップが言うには、 「だから、 小巴里新報 ( プチ・パリジャン ) の古いので、穴をふさげばいいじゃないか。誰も、それをするなとは言やしない」 「お金持の住むような 家 ( うち ) が欲しいわけじゃないのさ。さっぱりしてさえすりゃいいんだから。これで、いくらか溜めてでもありゃ、こんなぼろ家でもすぐに手入れぐらいはするんだけれど」 「それは、よしたほうがいい、おばさん。まったくすてきだもの、この 家 ( うち ) は」 「いつぺしゃんこになるかわからないね」 「心配せんでいい。お前が葬られるまでは大丈夫」 「これが頭の上へ落ちて来てかい」 こう返事をしたが、誰も笑わないので、自分ひとりで笑う。 「何も心配することはないさ」と、わたしは言う――「自分の 家 ( うち ) を軽蔑しちゃいけない。それこそとんだ間違いだ。この家は、たいした値打ちがあるんだからね。御先祖から伝わった家じゃないか。あんたは、 亡 ( な ) くなった人を粗末にはしないだろう。だから、亡くなった人から伝わったものは、大事に取っとくといい。あんたの 家 ( うち ) は、古い時代の思い出なんだ。神聖な形見なんだ」 「そりゃまあそうですね」――フィリップのお神さんは、もう、うれしそうに、こう言うのである。 「僕がもしあんただったら、石ひとつ取替えたくないね。新しい家なんかより、僕はこのほうが好きだ。そりゃ、どんなにいいか――見て面白いと言う点から言っても、いろんなことを教えられると言う点から言っても、あの当世ふうのお邸なんかよりは、ずっとこのほうが好きだよ。そうだろう、第一、この古い懐しい家は、過ぎ去った事を思い出させる。それから、こういう家がなければ、われわれは、自分たちの先祖がどんなふうにして 住居 ( すまい ) をこしらえたかということがわからなくなるからね」 「な、どうだ」――ほとんど常にお神さんに反対して、わたしの意見に同意するフィリップは、この時も、こう言うのである。 「ほんと。こういうような家は、よっぽど遠くへでも行かなけりゃ見当たりませんね。まあこの辺でも、類がないんだから」――彼女は思い出したように――「おはいりなさい、どうぞ」と言った。 まず 閾 ( しきい ) をまたいで驚くのは、脚に車の付いてない、幅も広いが、長さも長い寝台である。想像するに、この寝台は、煙突からでも入れたか、戸口からにしては、戸口があまりせま過ぎる。 「取りはずしができるんです」――フィリップが言う。 お神さんは、決してこれを動かさない。一度壁にくっつけたら、くっついたままになっている。彼女は腕が長くない。それで、敷布をひろげるにも、壁の方の側の縁を折り込むにも、熊手を使う。 「以前には、寝台の上の方に、四つの 紡錘 ( つむ ) に取り付けた四角い板の天蓋があって、そのまわりに、緑色の縁のついた黄色い幕が垂れていたんです」――フィリップがこう言うと、お神さんが、 「麻の地に、太い毛糸で 繍取 ( ぬいと ) りをした幕でしたよ。プウランジって言ったものですけれどね、 擦 ( す ) り切れるなんていうことはありませんでしたよ」 「まったく、もつにゃもった。掛けたっきり、はずさないんです。寝台をかくしているわけですね。はいる時だけ 開 ( あ ) ける、それが芝居小屋のようでね。おやじが寝にはいる時は、――おやすみ、わしはちょっくら芝居に行く――なんて言ったもんです」 「ああいうふうな幕は、もうありませんよ」――お神さんは言う――「お邸の奥さんがみんなはずして行きなすったんですよ。壁掛けにするって買集めていなすった」 「おやじは自分のを五十フランで売ったんです。いい値でさ。二十フランの値打ちもない 代物 ( しろもの ) でしたからね」――フィリップが言う。 「まだこの手の寝台が一つ 納屋 ( なや ) の中にあるんですよ」――お神さんがこう言う。 「どうして使わないの。あんた方の年では、もう 寝床 ( ねどこ ) を別々にしたほうが楽だろうに」 「フィリップは、別の寝床に寝たけりゃ寝るがいいんですよ。わたしは、わたしの寝床に寝るんだから」――お神さんはこう答える。 「お前のだ? つまりわしのじゃないか」――フィリップは言う。 「婚礼の時の寝床なんだから」――お神さんが言う。 「じゃ、別の寝床では眠られまいっていうわけだね」 「自分一人じゃ眠れないでしょうよ」 「あんたは、フィリップさん」 「わたしゃ外で泊ったっていうことがないんだからね」 愛情とか、節操とかいう問題ではない。彼らは、最初の夜一緒に寝る、そこで、それが一生習慣になってしまう。二人とも、死ぬ時でなければ、この共同の寝床を離れないのだ。 彼らは枕があるのに、その枕を使わない。夜は、それを 椅子 ( いす ) の上に置く。というのは、枕が、昼間、寝床の上に置いておくのに、見たところ、張り切って、固く、真っ白で、さっぱりしていなければならないからである。 「そうすると 綺麗 ( きれい ) でしょう」――お神さんは言う――「人が見た時、くしゃくしゃになってるといけないじゃありませんか」 「掛け布団の下へ隠しとくさ。誰にも見えやしない」 「上へ出しとくのが 流行 ( はやり ) ですもの」 「だけど、枕があれば、枕を頭の下に敷くのはあたりまえだ」 すると、フィリップは言う。 「棺桶の中で、枕を頭の下に敷くんです。だから相続するものは、きっと枕だけ死んだものにつけてやることになっています」 「どんなのをつけてやっても勝手ですからね」――お神さんが言う――「なにも一番いいのを持たしてやらなけりゃならんと限ったわけじゃないんだから」 フィリップ夫婦は、 藁 ( わら ) 布団と、 羽根 ( はね ) 布団とを敷いてその上に寝るのである。毛布団というものをついぞ使ったことがない。羊や馬の毛は高過ぎるし、そのかわり、金を出さずに 鵞鳥 ( がちょう ) の羽根は手にはいるのである。 わたしは言う。 「道ばたで、かわいそうに、羽根の抜けた鵞鳥を、そう言えば、よく見かけたよ。僕は病気なのかと思っていた」 「わざわざ抜いたんです」――フィリップは言う――「ただ、あいつはたしかに抜き過ぎましたよ。翼を支えている羽根を抜いちゃいけないんです。さもないと、翼が垂れて、鳥がよわります」 「痛がって 啼 ( な ) くだろうね、あんなに、生きながら羽根を抜かれては」 「羽根が熟して、ひとりでに抜けるのを待っているんです。その時機が、羽根を抜く時で、年に三度抜きます」――お神さんが言う。 「所帯持ちの上手な女は、その時機を間違えません。一本の羽根も無駄になくなさないんです。羽根の落ちたのを一本拾うために、小川を七度飛び越すくらいの娘でなけりゃ、お嫁に行けないというくらいです」――フィリップが言う。 「いいな、その話は」 「いや、それは 冗談 ( じょうだん ) ですよ」と、フィリップ。 フィリップは寝台のこっちの 端 ( はし ) に寝、お神さんは奥のほうに寝るのである。 「夜は夜の 襦袢 ( じゅばん ) を着て寝るの?」 「昼のじゃどうしてわるいんです」――フィリップが言う。 その昼の襦袢は、わるいはずがない。少くとも一週間、どうかすると二週間ぐらい着ていて平気なのだから。わたしは、お神さんが下の 肌着 ( はだぎ ) を脱ぐかどうか怪しいと思う。そんなにいろんなものを脱いだところで別段役にも立つまいではないか。彼らは眠るためだけに寝床にはいるようになってから、もういいかげんたつのである。彼らは、それにその羽根布団の中で、別々の巣を作って寝るのである。めいめい勝手にその中へもぐりこんでしまう。そして、身動きもせず、 茹 ( うだ ) ったように、寝しずまっている。彼らは、すうすう言って眠る。そして汗をかく。朝がた、戸を開けると、洗濯物の臭いがする。 「夢を見るかね、あんたは、フィリップさん」 「めったに」と、彼は言う――「夢はどうもいやでね、よく眠られなくって」 彼は、夢というのは不愉快なものだと思い込んでいる。お神さんのほうはどうかというと、いまだかつて夢を見たことがない。 「夢を見るのかも知れないけど、気がつきませんよ」――こう言う。 「つまり、夢ってどんなものか知らないわけだね」 「知りません」 「話して聞かせたじゃないか」――フィリップが言うと、 「お前さんの頭の中であったことは聞いたよ。だけど、あたしの頭の中じゃ、そんなことは一度もないんだからね、だからさ」 そのかわり、先に起きるのは、いつもお神さんである。 「 何時 ( なんじ ) に起きるの?」 「時候によりますね」 「夏は」 「夏ね。時間をきめてあるわけじゃないんですよ。お 天道 ( てんとう ) 様のかげんなんですよ」 「 鎧戸 ( よろいど ) が閉めてあっても?」 「閉めたことはありませんもの」――彼女は言う――「真っ暗がりは気味がわるくってね。お日様があたって眼をさますのはいい気持ですよ。お日様は、そこの、窓のまん前におうちがあって、うちから出なさると、わたしの鼻の上へ遊びに来られる」 二 わたしは年始に彼らを訪ねた。 この土地を去ったのは、野山が一面に繁りきったころであった。今度来て見ると、木の葉は散ってはいたが、麦が土から芽を出しているので、十月ごろよりも緑は鮮やかだった。長い間、日に乾いた草が、新しい短い草に変って、 清々 ( すがすが ) しい色を見せていた。牛は、あの厚ぼったい 唇 ( くちびる ) でそれをつまむことができない。それで、小屋に入れて置かなければならなかった。かつてそこに 棲 ( す ) んでいた牛の家族を、野にはもう見ることができない。ただ、幾匹かの馬が、草原に残されている。牛にはなんにもありつけなかったような場所で、馬は食いものを拾うことができるのである。それに、寒さにも比較的よく 耐 ( た ) える。冬になると、ビロードのような光沢をもつ、ぱさぱさした毛が、からだ一面に生えるのである。 ある種類の柏、それは葉のついた、その葉は新しい葉が出て来なければ落ちない、その柏を除いて、あとはどの木も、すっかり葉が散ってしまっている。 通り抜けることはできないと思っていた生け垣が、今では、 隙間 ( すきま ) だらけになって、黒 つぐみ は、そこへ隠れるのに骨が折れる。 白楊 ( ポプラ ) は、梢に、狼の頭のように突っ立った 鵲 ( かささぎ ) の古巣をつけ、空にかかっている雲、 蜘蛛 ( くも ) の巣よりも細い雲を、掃いているかのよう。 鵲はと見ると、遠くには行かないで、地上を、脚を組合わせるようにして跳ねまわり、やがて真直ぐな、例の機械仕掛けのような飛び方で、一本の木に向かって飛んで行く。ときどき、その木に止まり 損 ( そこ ) なって、隣の木のところでやっと止まるようなことがある。一羽はなれて、人目さえ 惹 ( ひ ) かずにいる――道ばたで見かけるのは、この鵲ばかりである。朝から晩まできちんと燕尾服を着込んでいる。これこそまったくわがフランスの鳥である。 渋い 林檎 ( りんご ) がみんなちぎられ、 榛 ( はしばみ ) の実がことごとく割られる。 桑の実は長く伸びた 棘 ( とげ ) の枝から姿を消してしまっている。 うつぼ 草の実が、しなびて、種をもってしまう。霜にあった後を、その実が好きなものはうまがって食う。 しかし、赤い野 薔薇 ( ばら ) の実はいつまでも取られずにいる。最後になくなるのだろう。名前が 怖 ( おそ ) ろしいのと、 心臓形 ( ハートがた ) の実に毛がいっぱい 生 ( は ) えているからである。 村の入口で、わたしは、その村がばかに小さいのに驚いた。裏庭で仕切られていた家という家――その裏庭の木の葉が落ちつくして――それが一かたまりになって、天主堂の向こうを張っているように見える。例のお邸が近く見える。農家がまばらになり、畑がきわ立ち、ぶどう畑が明るく開け、森が透いて見える。限られた地平線の一端から一端へ、小川が裸のまま流れている。 外 ( そと ) には誰もいない。わたしが通っても、戸が一つ開くでもない。処々の 煙突 ( えんとつ ) が煙を吐いている。ほかの煙突はたぶん室内に煙を吐き込んでいるのだろう。 やっと、フィリップの家にたどり着く。わたしは、彼と彼のお神さんとに会ってうれしかった。彼は八月ごろと同じ服装をしている。ただ、冬の 髭 ( ひげ ) をたくわえている。わたしの訪問は、ある程度までしか彼を驚かさない、感動させない。 皹 ( ひび ) のはいった手をわたしに握らせて置いて、別に変ったこともないと言う。 「死んだ人は一人もないかね、僕が行ってから?」 「無いほうがいいでしょう」と、彼は言うから 「そりゃそう」と、わたしが――「だけど、あっても別に不思議はないね」 「土地のものが、そんなふうに死んでしまったら、そのうち一人も残らなくなりますよ」 「もっともだ……。今、仕事は忙しいの?」 「畑が 耡 ( す ) けるようになるまで、なんでもござれです。村の課役で石割りもします。薪束もこさえます。ぶどう畑の杭も削ります。 肥車 ( こえぐるま ) を畑へひっぱっても行きます。それで、暇があれば火にあたっています。それから寝るんです」 「 何時 ( なんじ ) ごろ」 「八時過ぎまで起きているのは 辛 ( つら ) いですよ。年鑑を出して読んで見ることもあるんですが