The Tale of Genji, Chapter 11: 花散里 — Peter Kropotkin
一 革命といふ言葉は、今では、被壓制者の唇にも、また所有者の唇にすらも、屡々上る。既にもう、時々、近い將來の變動の最初の顫えが感ぜられる。そして、大なる變動や變化の近づいて來る時にはいつもさうであるが、現制度の不平者は――その不平がどんなに小さくてもいゝ――嘗ては實に危險であつた革命家といふ肩書を爭つて自分につける。彼等は現制度を見限つて、何等かの新制度を試みようとする。それで彼等には十分なのだ。 あらゆる色合の不平家の群が、かうして活動家の列の中に流れこむことは、勿論革命的形勢の力を創り、革命を不可避にする。多少でもいはゆる輿論に支持されてゐれば、宮殿や議會の中でのちよつとした陰謀でも政權を變へ、また時としては政府の形式をすらも變へることが出來る。 しかし革命は、それが經濟組織にもある變化を及ぼさうといふには、多數の意思の協力が要る。幾百萬の人の多少活溌な支持と協力とがなければ、革命は到底不可能である。到る所に、どこの村にも、過去の取壞しに從事する人がゐなければ駄目だ。そして他の幾百萬の人は何かもつといゝことが起るといふ望みの下に默つてやらしてゐなければ駄目だ。 大きな事變の前夜に起つて來る、ぼんやりした、曖昧な、そして多くは無意識的なこの不平があり、現制度に對する不信用があつて、それで始めて本當の革命家が廣大無邊の勤め、即ち幾世紀かの存在によつて神聖なものとされて來た諸制度を數年間にもつくりかへる勤めを成就することが出來るのである。 しかし又、これが多くの革命が、その上に乘り上げて、そして倒れた暗礁なのである。 革命が來て日常生活のきまつた順序がひつくりかへされた時。一切の善惡の情熱が自由に爆發して眞畫間にさらけ出された時。失神のそばに非常な熱誠を見、臆病のそばに勇敢を見、つまらぬ反感や個人的陰謀のそばに非常な自己犧牲を見る時。過去の諸制度が倒れて、新しい制度が相續く變化の中にぼんやりと描き出された時。その時に、さきに自ら革命家と名のつたものの大多數は、秩序の守護者の列の中に急いで走つて行く。 街の騷ぎや、試みられる諸制度の不安定や、明日の不安やは、もう彼等を疲らせたのだ。彼等は、一方に既に成就された些細な變化が暴風の中に滅んでしまふのを恐れる。そしてまた彼等は、經濟制度のごく小さな變化も、既にその社會の一切の政治的概念の深い變化を必要とし、そしてごく小さな政治上の變革も、經濟界でのもつと大きな變化を經なければ行はれない、といふことが分らない。 そして彼等は、反革命の來るのを見て、急いでそれと一致しようとする。民衆の情熱や、また時としては無遠慮なその表現は、彼等に厭がられる。やがて彼等はもう革命にあきる。そして休息や緩和を促すものの中に走つて行く。 過去がその最も熱心な守護者を集めるのは彼等の間である。彼等はその過去の一部分、勿論それは何んでもないものであるが、それを犧牲にしただけ、それだけ熱心な過去の守護者になる。彼等は [#「彼等は」は底本では「役等は」] もつと遠くへ引きずつて行かうとするものを憎む。 そして彼等は、革命的のいろんな手段をその手に握つてゐるところから、それを過去のお役に立てようとするので、愈々危險になる。彼等は斷行する。反革命も彼等がゐなければ敢てすることが出來ないほどに斷行する。そして彼等は、舊い制度をもつと根深く覆へさうとする者や、將來の中にもつと根深く進んで行かうとする者を捕まへる。彼等は革命を救ふといふ口實の下に、實はそれに轡をはめるために、『狂犬共』を死刑にしたロベスピエルやセン・ジユストの輩の眞似をする。 で、革命の騷ぎの間は、その革命の味方と敵との區別がつかない。そして又、これは殊に云つておかなければならないことだが、過去の革命の歴史家等は、この點についての考へに混雜を來たさせるやう、その全力を盡して來た。 [#「盡して來た。」は底本では「盡して來た」] 今、フランス大革命だけを例にとつて見る。ある歴史家の理想は、ルイ十六世の立憲内閣に一椅子を占めてすつかり滿足したミラボオであつた。またある歴史家の理想は、ドイツ人に對しては勇敢な愛國者であるが、しかし經濟問題には少しも大膽でないダントンであつた。彼は實に、外寇を斥けるためには、立憲君主とも妥協し、ブルジユワ地主に壓迫されてゐる農民とも妥協し、また不動産の投機師とも妥協した執政官であつた。さういつたいろんなものが不思議にも彼の革命的精神と調和してゐたのだ。 また他のある歴史家にとつては、その理想は、財産の平等や無神論を主張した革命家等を死刑にした『義人』ロベスピエルであつた。彼は一七九三年の夏、パリ市民が饑饉に苦しんでゐる時、イギリス憲法の特長を議論することをジヤコビン黨に迫つた男だ。 最後にまた、他のある歴史家にとつてはマラが理想であつた。ある時彼は、二十萬の貴族の首を要求した。しかし彼はフランス國民の三分の二を熱中させた問題、殊に農民によつて耕作されて來た土地が何人に所有さるべきかの問題の代辨者となることを敢てしなかつた。 そして更にまた最後に、ある道化者にとつては、その理想は、公爵夫人等やその腰元共の首を熱心に要求した――それも公爵夫人等はコブランツに行つてゐたので、實は腰元共の首にすぎなかつたのだ――檢事であつた。そしてその間に、ブルジユワの泥棒共はフランスを掠奪し勞働者を飢餓に陷らしめて、その莫大な財産を作つたのである。 そして今日の革命家等の大多數は、過去の諸革命については、不幸にして、歴史家等が一生懸命になつて語つたその戲曲的方面しか知らない。彼等は一七八九―一七九三年間に幾百萬の無名の民衆がフランスでやり遂げた大事業、一七九四年のフランスをして五年以前のフランスと全く違つた國にしてしまつた大事業を殆んど知らない。 私が今この研究を企てたのは、この混雜の中を多少迷はずに辿つて行かうとする今日の革命家の手助けにしたいためである。 私は先づ、本當の革命家と、今は吾々の味方だと云つてゐるがやがて吾々の敵になるだらう者共とを、豫めよく區別しておく必要を力説しておきたいと思ふ。それから私は、革命家等にそのなし遂げなければならないだらう廣大な勤めを説いて、もし彼等が、歴史家等が過去の革命について我々に語つたことをモデルにして次ぎの革命を想像してゐるならば、そのなめなければならないだらう悔恨を、彼等に豫告しておきたいと思ふ。 そして最後に又、どれほどの精力の發揮、どれほどの猛烈な激しい仕事を、革命がその子等に要求するかを彼等に説きたいと思ふ。これは革命の成功のためには、危機の際の相交換される銃丸と等しく、或はそれ以上に肝要なことである。 二 思想の大膽と、その考へてゐることを實行させるやうに民衆を引き入れて行く自發力と――これが、いつでも今までの革命に、革命家等が缺いたところのものである。そしてこれが、また次ぎの革命にもやはり缺けさうなのだ。誰か、過去の諸革命を研究して、次ぎのやうな痛恨の言葉を發しなかつたものがあらう。『あれほどの努力があり、あれほどの崇高い熱誠があり、あれほどの血を流し、あれほどの家族に喪服を着せ、あれほどの顛覆をして、そしてこんなちつぽけな [#「ちつぽけな」は底本では「ちつぼけな」] 結果しか得られなかつたのか』――この言葉は文書の中にも、對話の中にも、また革命の宣傳の中にも絶えず繰り返されてゐる。 これは、一部分は、革命が盲目的な或は無意識的な過去のともがらの間に出會ふ大きな障礙について、一般に人はよく知らないからである。彼等が後もどりしてその過去の特權を救はふとする、彼等の力と頑固さとを、とかく人は輕く見すぎようとする。そして、彼等がもう正々堂々として戰ひが出來なくなつた時、なほ彼等にその過去の特權を救はふとする陰謀や蔭での仕事があることを忘れるからだ。 そしてまた人は、革命家等は一般にその行爲では非常な勇氣と大膽とを現はすが、その思想やその目的や、その將來についての考へには、いつも大膽を缺いてゐることを忘れる。この將來を革命家等は、彼等がそれに對して叛逆して起つた過去の形の下に夢みてゐる。過去は將來への彼らの飛躍にまでも彼等をゆはいつけてゐるのだ。 彼等は舊制度に對してその本當の力を作つてゐるもの、即ちその宗教とか、法律とか、國家とか、國王に對する服從心とか、宮殿とか、監獄とかに決定的打撃を與へて、それを殺してしまふことを敢てしなかつた。新しい生活に大きな門を開くために十分破壞することを敢てしなかつた。そしてこの新しい生活についての彼等の考へはごく漠然としたもので、從つて遠慮深くそして範圍が [#「範圍が」は底本では「範園が」] 狹くて、その夢に於てすらも、彼等がその奴隸の過去に崇め祭つてゐた禮拜物に觸れることを敢てしなかつた。 勇敢な心臟を臆病な腦髓の用に立てようとしたところで、それで大きな結果が得られるだらうか。 實際、フランス大革命の諸事業を考へて見ると、我々の祖父の行爲の大膽なのと、その思想の臆病なのとに驚かされないわけにゆかない。極端な革命的方法と臆病で保守的な思想とだ。自分の生命も享樂も投げ棄てた豪膽と果斷との浪費と、ごく近い將來についての考へには信ずることの出來ないほどの臆病とだ。 民衆がその嘗つて尊敬を以てめぐらしてゐた操り人形の一つに觸れることを敢てするまでには、そしてまた民衆がその尊敬し服從する首領等に過去の制度のただ一つを犧牲にすることを餘儀なくさせるまでには、幾月も幾年もかかつた。 これがフランス大革命の特徴なのだ。ちようどこれは敵の砲臺を取るには非常な勇氣と大膽とを示す兵隊が、その砲臺の向ふを見ようともせず、またその戰爭の原因とか目的とかについての全體の觀察をしようともしないのと同じやうなものだ。 武器を持たない民衆がバステイユの厚い城壁と大砲とに向つて進んで行く。女共がヴエルサイユへ走つて行つて王を捕虜にして連れて來る。到るところに、各々の小都市に、丸太棒を持つた若干の男が、あしたは自分等が『秩序に復した』市會によつて死刑に處せられることなぞは少しも思はずに市役所を占領する。武器もない民衆がテユイルリイ宮殿に侵入して、赤い帽子をかぶつた王を捕まへる。そして更に二ヶ月たつて、彼等はスヰツルの雇兵やブルジユワの國防軍に不信を抱いて、このテユイルリイを襲ひ取る。無名の者等は政府を輕んじて、自ら九月の虐殺に責任を負ふ。軍隊を持たない共和政府が、内に王黨と鬪ひながら聯合諸王と對立する。ダントンは革命を救ふための至上の方法として大膽不敵を要求する。革命議會の斷頭臺もヴアンデの溺死も、車裂きの刑も、何物もこの革命家等がその革命的方法を取ることを止めることは出來ない。そしてしかも、この雄大なドラマに伴ふものは、思想の臆病、一切のものの上に天翔ける思想に大膽のないことであつた。思想の臆病なことは、高貴なる努力をも非常なる情熱をも、無邊の熱誠をも、一切殺してしまふものである。 八月十日近くなつて王室が倒れかかつた時、ダントンやロベスピエルやコルドリエの輩は、彼等が王を恐れたよりも以上に共和政治を恐れた。そしてテユイルリイ宮殿の奧から呼び寄せられ指揮されてゐた外國軍の侵入によつて、始めて彼等は、フランスは王冠を戴いた操り人形がなくなつても濟むといふことを考へるやうになつたのだ。 坊主共が新制度に對するその廣大な陰謀によつて全フランスを蔽ふてゐた時、そしてこの陰謀がフランスの三分の二をその掌中に握つてゐた時、革命家等は恭々しく教會を取り圍んで、それを革命の保護の下に置き、そして舊教を侮辱する『無政府主義者』等を斷頭臺に上ぼせた。 經濟問題では、彼等の臆病はもつともつと大きく、そしてもつと醜劣なものだつた。封建制度はもう事實上存在しない。領主は百姓共に逐はれて國外に走つた。領主の森は荒されて、そこの鳥獸は退治された。封建の課税はもう拂はない。然るに革命の指導者等は國民議會の時まで封建制度の最後の遺物を保存して、それを次ぎの世紀にまで殘さうと努めた。そして、名聲嚇々たるジロンド黨の徒や謹嚴なロベスピエルは、財産の平等などといふ言葉を聞くと、民衆がもう私有財産を尊敬しないのかといふ考へだけで慄えてゐた。何故なら、彼等はそれを過去から傳へて來た。國家はこの私有財産の上に基づくものだからである。 實際彼等指導者はこれ等のあらゆる點に於て遲れてゐた。そして民衆は彼等よりも過去からの解放に進んでゐて彼等よりももつと遠くを見てゐた。が、この將來の幻が實に漠然とした曖昧なふらふらしたものだつたのだ。そして民衆それ自身の中にも、この曖昧と愚圖々々とが革命全體に傳はつて、その思想がいろいろと分れてゐた。六月二十日に民衆をテユイルリイ宮殿に走らした肉屋のレジヤンドルも、王を廢するといふことは夢にも考へなかつた。王はその槍の下に押へてゐる民衆が皆なさうであるやうに、更にその槍の先きを打ちこんで王權をおしまひにしてしまふことが出來なかつた。そしてその後、バブウフの共産的陰謀が起つた時には、山岳黨ですらもびつくり仰天してしまつた。彼等は民衆の漠然とした社會主義的平等の憧憬をよく知つてゐた。しかし彼等はそれがはつきりした綱領になつて現はれると、びつくりしてしまつたのだ。 一八四八年でも同じことだ。それまでの十五年間のあらゆる社會主義的宣傳の後に、フウリエやカベの後に、共産主義について幾千の演説會で話され、また幾多の小册子で説かれた後に――生存の權利とかいふことが既にそれ等のものの中に論ぜられてゐた――これら一切の宣傳の後に『民主的』革命家等は、即ち自ら革命家であると信じ、また世間でもそれで通り、彼等の間の最も進歩したものとすらいはれてゐた者等が、共産主義を主張するものは總て銃殺しようとした。彼等が思ひ切つて考へてゐることは漸く民主的共和制であつたのだ。國家が保護金を下付する組合であつたのだ。そして彼等は、ボナパルトの輩に、自ら王位に就くべく民衆の漠然とした共産的憧憬を利用させたのだ。 一八七一年のパリ・コムユンの時にでも、やはり同じことだ。彼等が鬪はなければならない反動の恐るべき力の前にはその膝を曲げない猛烈な革命家たちも、革命思想は持たなかつた。革命については、彼等はただその方法しか知らなかつた。しかもその方法といふのも、彼等によれば、政府が今日までのその敵に對して使つた武器を、こんどはその政府に向けるだけのことだ。 彼等は、彼等が倒した國家を小さくして再現したコムユンを夢みて