大菩薩峠 山科の巻 — 中里介山
一 過ぐる夜のこと、机竜之助が、透き通るような姿をして現われて来た逢坂の関の清水の 蝉丸神社 ( せみまるじんじゃ ) の鳥居から、今晩、またしても夢のように現われて来た物影があります。先晩は一人でしたが、今夜は、どうやら二人らしい。 その二人、どちらも小粒の姿で、ことによると子供かも知れない。石の階段をしとしとと下りて、鳥居のわきから、からまるようにして海道筋へ姿を見せた二人は、案の如く子供でした。いや、子供ではないけれど、ちょっと見た目には、子供と受取られてもどうも仕方がない。青年にしても、成人にしても、世間並みよりはグッと物が小さいのですが、事実上、子供でないことは、いま海道筋へ現われたところを、もう一応とくと見直しさえすれば、すぐにわかることで、第一、この夜中に子供が二人で、こんなところを夜歩きをするはずがないではないですか。 前なるが 寒山子 ( かんざんし ) 、後ろなるが 拾得 ( じっとく ) 、どこぞの宝物の 顔輝 ( がんき ) の筆の魂が抜け出したかと、一時は眼をみはらざるを得ないのですが、再度、 篤 ( とく ) と見直せば、左様なグロテスクではあり得ない。現実生命を受けた 生 ( しょう ) のままの二人が、今し海道筋に出ると共に、ひたひたと西へ向って歩み出したことは、前に机竜之助がしたと同じことですが、柳は緑、花は紅の札の辻へ来てからにしてが、あの時の妖怪味はさらに現われず、また一方、その前日にあったことの如く、追分を左に山城田辺に、お雪ちゃんだの、道庵先生だの、中川の健斎だのというものを送って、女軽業の親方が、さらばさらばをしたような風景もなく、二人は無言のままで、静粛な歩み方をして、深夜の東海道の本筋を西に向って行くのですから、ここ何時間の後には、間違いなく、 京洛 ( けいらく ) の天地に身を入れるにきまったものであります。 今日この頃は、京洛の天地に入ることの容易ならぬ危険性を帯びていることは、この二人も知らぬはずはあるまい。まして深夜のことです。今も深夜ですから、この歩調で歩いて行っても僅か三里足らず、京洛の天地は、やはり深夜の眠りから覚めてはいないはず。そうでなくても、海道筋の夜の旅はきつい。打見たところでは、有力な公武合体の保証があるというわけでなし、奇兵隊、新撰組の後ろだてがついているというわけでもないが、こういう人柄に限り、後ろから、オーイオーイと呼びかけて決闘を 挑 ( いど ) むという物すごいのも現われず、 酒手 ( さかて ) をねだる雲助霞助もてんから目の中へ入れては置かないから、不安なるが如くして、かえって安全なる旅路。 「弁信さん、イヤに明るい晩だなア、お月夜でもなし、お星様もねえのに、イヤに天地が明るいよう」 と後ろなるが呼びかけたのは、宇治山田の米友でありました。 「はい」 と、それを直ぐに受答えたのは、 紛 ( まご ) う 方 ( かた ) なき弁信法師でありました。 さては、御両人であったよな。グロの友公と、お 喋 ( しゃべ ) り坊主の弁信とが、真面目くさって連れ立って歩いているのでした。そんなら、そうと、最初から言えばいいのに。 驚いてはいけない。二人ともに足が地についている。決して、妖でもなければ怪でもない。弁信が先に立って、米友が後ろについて、二人連れでここまで来たのですが、今ぞ鳴くらん 望月 ( もちづき ) の、関の清水を打越えても、これやこの行くも帰るも、蝉丸の社をくぐって来ても、二人ともに口を 利 ( き ) かなかったものですから、寒山拾得の出来損いだろうなんぞと悪口を叩かれるので、最初から、弁信、米友でございと名乗ってしまえば、お 馴染 ( なじみ ) は極めて多い。 人によっては歓迎をしない限りはないのに、物々しく、無言の行をつづけて来たものですから、人が、なあーんだと 呆 ( あき ) れてしまう。 それのみではない、この二人のいでたちが、今晩は少し変っているのであります。 二 どう変っているかと言えば、今晩は弁信が笠をかぶっている。墨染の 法衣 ( ころも ) は変らないけれども、今日まで弁信という坊主は、旅をするに、全く笠をかぶらなかった坊主です。一つには、笠をかぶると、 頭高 ( かしらだか ) に負いなした生活のたつきの琵琶の天神がつかえる、その故障のために、よんどころなく、かぶり物を廃していたのかも知れないが、もう一つには、その自慢(!)の 法然頭 ( ほうねんあたま ) を振り立てるためには、 素 ( す ) であった方が 見栄 ( みば ) えがする。脱いで高紐にかけ――と言ったような、実用と ダテ の事情に制せられたのかも知れないが、今日の弁信は 網代 ( あじろ ) の笠をかぶっている。同時に、背中から頭高にかかった、雨と露と 埃 ( ほこり ) で汚れた、あやめもわかぬ袋入りの琵琶というものの存在が消滅して、その代りに、 藁 ( わら ) の 苞入 ( つとい ) りの四角な横長の箱と覚しきものを背負っている。 一方、宇治山田の米友に至ると、めくら 縞 ( じま ) の筒っぽはいつも変らないし、これは竹の皮の 饅頭笠 ( まんじゅうがさ ) をかぶっているが、この男が饅頭笠をかぶることは珍しいことではない。 最初、伊勢の国から 東下 ( あずまくだ ) りをする時代から、この種の笠をかぶりつけてもいるし、 尾上 ( おべ ) の 後山 ( うしろやま ) の復活の記念としての 跛足 ( びっこ ) は、今以てなおってはいないのだから、それは一目見れば誰でも、それ以外の何者でもないと感づかれるはずなんですが、つい、うっかりしていました。 二人が二人であるとわかってみれば、二人が二人であることに異議はないのですが、二人が二人ながらどういう径路をたどって、ここまで歩いて来たかということには、なお多大な問題が残されていると見なければなりません。 よって念のために、大菩薩峠の「農奴の巻」までさかのぼって、それを検討してみますと、弁信法師は、長浜から 竹生島 ( ちくぶじま ) へ渡って、一世一代の琵琶を奉納せんと志したが、どう間違ってか、竹生島ならぬ 多景島 ( たけじま ) (竹島)に漂着してしまいました。 弁信法師が、 有縁則住 ( うえんそくじゅ ) と抜からぬ 面 ( かお ) で多景島に納まり返っているところへ、農奴として処刑せらるべかりし米友が、両士に救われてそこへ身をかくすことになった――という因縁がある。そこまでは書物によって証明ができるが、では、この二人が、いつのまにどうして、あの島を抜け出して、この道へかかったか、それは誰も知った者がない。が、それをいちいち説明していると話が長い。しかし、トニカク、 唐 ( から ) 天竺 ( てんじく ) へ 転生 ( てんしょう ) したわけではない。多景島からは直径にしても、僅か十五里以内のこの地点を歩んでいるのだから、有り得ざることではないし、有り得べからざることでもありません。弁信の肩から生活のたつきの琵琶一面が消滅しているところを以てして見ると、その後、彼は目的を達して、多景島から竹生島に転航し、そこで首尾よく、彼が年来の大願としての琵琶を神前に奉納し了って、そこで、かくばかり肩がわりをしたのか、そうでなければ、竹生島へは渡らずに、つい今の先、この関の蝉丸神社へ 一期 ( いちご ) の思い出に納め奉ってしまったのか、そのいずれかであろうとは推察が届くのであります――竹生島にしても、蝉丸にしても、琵琶とは極めて縁が深い。そこへ一期の思い出を 掛了 ( けりょう ) し終るということは、物のためにも、器のためにも、人のためにも、極めてところを得たと言ってよいから、心配することはないのです。 何がさて、笠のことや、琵琶のことはどうありましょうとも、二人がこうして無事であっていてくれさえすれば、よいではありませんか。 三 そこで、米友の方から沈黙の第一声を破って、「弁信さん、イヤに明るい晩だなア、お月夜でもなし、お星様もねえのに、イヤに天地が明るいよう」と呼びかけてみたところで、これは弁信にはこたえられまい。明るい月夜であろうと、暗い闇夜であろうと、生れつき、明と暗とが不可分平等に賦与されてある弁信その人にとっては、現実には打って響く何物の経験がない、と見なければならない。では、「夢のような晩だなあ」と形容してみたところで、やっぱり弁信の感覚にはピンと来ないに相違ない。この法師には、明と暗とが不可分平等であるように、夢と現実との区別が、最初から はっきり としていないのです。 よって米友の唱破第一声は、米友が米友としての詠歎に過ぎないのですが、それでも、その気分だけは弁信にもよくわかると見えて、それを素直に受入れて、「はい」と言ったきりで、明るいとも、暗いとも、夢に似ているとも、現実に近いとも、あえて肯否のいずれをも言明いたしません。やや暫く、足の方は小止みもないのにかかわらず、言葉がつづかない。 「はい」と言った応唱一声で、あとが続かない。この法師としては、また極めてめずらしいことです。本来ならば、沈黙は沈黙として、ひとたび舌根が動き出して、言説の堤が切れた以上は、のべつ幕なし、長江千里、まくし立て、おどし立て、流し立て、それは怖るべき広長舌を 弄 ( ろう ) するこのお喋り坊主が、ただ、「はい」だけで食いとまったことこそ、今までの中での最大驚異に価する。本文通り、乙者から言説のきっかけを投げられたが最後、「明るい晩と申しましても、夜は夜でございます、人の世そのものが、無明長夜の眠りでございまして、迷途覚路夢中行と、道元禅師も仰せになりました……」なんぞときめ出されようものならば、 富楼郷 ( フルナ ) といえども 辟易 ( へきえき ) する。それを今晩に限って更にせずして、ただ「はい」だけで納まるというのが、 甚 ( はなは ) だ異例を極めているのであります。 それにも拘らず、米友は重ねて言いました、 「弁信さん、おいらは京都を見るのは、はじめてなんだぜ」 「はい」 「おいらは伊勢者で、 上方 ( かみがた ) へは近いところの生れなんだが、かけ違って、江戸の方を先に見ちまったんでな」 「はい」 「東海道を下る時は一人だったんだ、 駿河 ( するが ) の国から連れが出来たにゃあ出来たけれども、それまでは一人ぽっちよ、東海道の目ぬきのところはみんな一人で歩いてらあな」 「はい」 「それからお前、一度、甲州という山国へ入り込んで、あすこの生活を少し味わったよ」 「はい」 「それから、また江戸へ帰ると今度は、道庵先生のおともをしてこっちへ来ることになったんだ、来る時は東海道を来たけれど、帰る時は木曾街道というわけなんだ」 「はい」 「お前も知ってるだろう、あの先生は世話の焼ける先生とっちゃあ」 「はい」 「それがまた、近江の胆吹山というところから道庵先生と離れて――おいらはお銀様のお附になったんだ」 「はい」 「そのまたお銀様という あまっこ が、イヤに権式の高え あまっ子 でな」 「はい」 「道庵先生は、親方のお角さんとおいらとを乗換えて、別々に上方行きということになったんだが、おいらは弁信さん、お前と一緒に都入りをしようとは思わなかったよ」 「はい」 何を言っても、はいはいだから、米友が少しお 冠 ( かんむり ) を曲げ出しました。何を言っても、はいはい聞いてくれることは有難いようなものだが、こういちいち、はいはいでは、ばかにされているように思われる。せっかく自分が好意ずくで話しかけるのを、 上 ( うわ ) の 空 ( そら ) で聞き流して、眼中にも、脳裏にも、置いていないようにも取れる。まして 平常 ( ふだん ) 、そういう無口な人柄ならばそれでも済むけれども、平常が平常、人が一口言えば二口の返し言ではない、千言万語が口を 衝 ( つ ) いて出でるお喋り坊主から、今晩に限ってこんなにあしらわれると、米友もいい心持がしない。そこで、今度は少し語調が荒っぽくなりかけて、 「弁信さん、何と言ってもはいはいでは、あんまり気がねえじゃねえか、 ちったあ 張合いのある返事でもしな」 「そういうわけではありませんのです、米友さん、悪くなく思って下さいな」 四 「お 前 ( めえ ) のことだから悪かあ思わねえがね、話しかけた方の身になってみると、はいはいだけじゃあつまらねえこと 夥 ( おびただ ) しいや」 「では、米友さん、お話し相手になって上げますから、もっとお話しなさいな」 改まってそう言われると、さて何から話し出していいか、米友が少しテレる。 米友が少しテレたので、弁信が 仕手役 ( してやく ) に廻りました。 「米友さん、私は今、考え事をしていたところなんです」 「何を考えていたんだ」 「いろいろのことを」 「いろいろのことと言えば……」 「それは世間のことと、出世間のことと――人間並みに申しますると、眼で見える世界のことと、眼で見えない世界のこととを考えておりました、人間並みではこれが二つになりますが、私にとっては一つなのです、私の眼には一切が見えない世界のみでございまして、見るべき世界がございません、ですから一つです、見える世界、見えない世界と、事わけをするのは、人間並みに五体整っている人のすることでありますから、私は仮りに世間のこと、出世間のことを二つに分けて申してみました」 さあ、むつかしくなり出した。これからの 饒舌 ( じょうぜつ ) の洪水が思いやられる! だが、これは頼まれもせぬに引出した米友に責めがある。せっかく沈黙の世界におとなしくしているものを、返事がなくては張合いがないのなんのと誘発した米友に、充分の責めがあるのであります。いわば眠っている 獅子 ( しし ) の 口髯 ( くちひげ ) を引いたようなもの、百千万キロワットの水力のスイッチをひねったようなものですから、今後の奔流は、米友御本人が身を以て防護に当るよりほか、受け方はありますまい。 だが、こちらもさるもの、一向にひるまない。 「二つにでも、三つにでも、わけて見ねえな」 世間とは何で、出世間とは何だと、野暮な追究を試みるようなことをしないで、三つにでも、四つにでも、千万無量にでも、分けられるものなら分けてみねえなという度量を示したものですから、弁信もさもこそとうなずきました。 「では、その世間の方