A Goliard's Tale — Marcel Schwob
抑 ( そも/\ ) われは 寄辺 ( よるべ ) ない 浮浪学生 ( ふらうがくしやう ) 、 御主 ( おんあるじ ) の 御名 ( みな ) によりて、 森 ( もり ) に 大路 ( おほぢ ) に、 日々 ( にちにち ) の 糧 ( かて ) を 乞 ( こ ) ひ 歩 ( ある ) く 難渋 ( なんじふ ) の 学徒 ( がくと ) である。おのれ 今 ( いま ) 、 忝 ( かたじけな ) くも 尊 ( たふと ) い 光景 ( けしき ) を 観 ( み ) 、 幼児 ( をさなご ) の 言葉 ( ことば ) を 聞 ( き ) いた。われは 己 ( おのれ ) が 生涯 ( しやうがい ) のあまり 清 ( きよ ) くない 事 ( こと ) を 心得 ( こゝろえ ) てゐる、 路 ( みち ) の 傍 ( かたはら ) の 菩提樹下 ( ぼだいじゆか ) に 誘惑 ( いうわく ) に 負 ( ま ) けた 事 ( こと ) も 知 ( し ) つてゐる。 偶 ( たま/\ ) われに 酒 ( さけ ) を 呑 ( の ) ませる 会友 ( くわいいう ) たちの、よく 承知 ( しようち ) してゐる 如 ( ごと ) く、さういふ 物 ( もの ) は 滅多 ( めつた ) に 咽喉 ( のど ) を 通 ( とほ ) らない。 然 ( しか ) しわれは 人 ( ひと ) を 傷 ( きずつ ) け 害 ( そこな ) ふ 党 ( やから ) とは 違 ( ちが ) ふ。 幼児 ( をさなご ) の 眼 ( め ) を 剞 ( く ) り 抜 ( ぬ ) き、 足 ( あし ) を 断 ( た ) ち、 手 ( て ) を 縛 ( しば ) つて、これを 曝物 ( さらしもの ) に、 憐愍 ( あはれみ ) を 乞 ( こ ) ふ 悪人 ( あくにん ) どもが 世間 ( せけん ) にある。さればこそ 今 ( いま ) この 幼児等 ( えうじら ) を 観 ( み ) て、 心配 ( しんぱい ) いたすのだ。いや 勿論 ( もちろん ) 、これには 御主 ( おんあるじ ) の 擁護 ( おうご ) もあらうて。 自分 ( じぶん ) の 言 ( い ) ふことは、 兎角 ( とかく ) 出放題 ( ではうだい ) になる、 胸一杯 ( むねいつぱい ) に 悦 ( よろこび ) があるので、いつも 口 ( くち ) から 出 ( で ) まかせを 饒舌 ( しやべ ) る。 春 ( はる ) が 来 ( き ) たといつては 莞爾 ( につこり ) 、 何 ( なに ) か 観 ( み ) たといつては 莞爾 ( につこり ) 、 元来 ( ぐわんらい ) があまり 確 ( しつか ) りした 頭 ( あたま ) でないのだ。 十歳 ( じつさい ) の 時 ( とき ) 、 髪剃 ( かみそり ) を 頂 ( いたゞ ) いたが、 羅甸 ( ラテン ) の 御経 ( おきやう ) はきれいに 失念 ( しつねん ) して 了 ( しま ) つた。わが 身 ( み ) はちやうど 蝗虫 ( いなご ) のやうだ、こゝよ、かしこよと 跳回 ( はねまは ) る、 唸 ( うな ) つて 歩 ( ある ) く、また 或時 ( あるとき ) は 色入 ( いろいり ) の 翅 ( はね ) を 拡 ( ひろ ) げて、 小 ( ちひ ) さな 頸 ( くび ) の 透 ( す ) きとほつて、 空 ( から ) な 処 ( ところ ) をみせもする。 伝 ( つた ) へ 聞 ( き ) く 聖約翰 ( せいヨハネ ) は 荒野 ( あれの ) の 蝗虫 ( いなご ) を 食 ( しよく ) にされたとか、それなら 余程 ( よほど ) 食 ( た ) べずばなるまい。 尤 ( もつと ) も 約翰様 ( ヨハネさま ) と 吾々風情 ( われわれふぜい ) とは 人柄 ( ひとがら ) が 違 ( ちが ) ふ。 われは 日頃 ( ひごろ ) 約翰様 ( ヨハネさま ) に 帰依信仰 ( きえしんかう ) してゐる。 此御方 ( このおかた ) もやはり 浮浪 ( ふらう ) の 身 ( み ) にあらせられて、 接続 ( つゞき ) の 無 ( な ) いお 言葉 ( ことば ) を 申 ( まを ) されたでは 無 ( な ) いか。 嘸 ( さぞ ) かし 温 ( あたゝ ) かいお 言葉 ( ことば ) であつたらう。さう 言 ( い ) へば、 今年 ( ことし ) の 春 ( はる ) も 実 ( じつ ) に 温和 ( をんわ ) だ。 今年 ( ことし ) みたいに、 紅白 ( こうはく ) の 花 ( はな ) がたんと 咲 ( さ ) いた 歳 ( とし ) は 無 ( な ) い。 野 ( の ) は 一面 ( いちめん ) に 眼 ( め ) が 覚 ( さ ) めるやうな 色 ( いろ ) だ。どこへ 行 ( い ) つても 垣根 ( かきね ) の 上 ( うへ ) に 主 ( しゆ ) の 御血潮 ( おんちしほ ) は 煌々 ( ぴかぴか ) してゐる。 御主 ( おんあるじ ) 耶蘇様 ( イエスさま ) は 百合 ( ゆり ) のやうにお 白 ( しろ ) かつたが、 御血 ( おんち ) の 色 ( いろ ) は 真紅 ( しんく ) である。はて、 何故 ( なぜ ) だらう。 解 ( わか ) らない。きつと 何 ( なに ) かの 巻物 ( まきもの ) に 書 ( か ) いてある 筈 ( はず ) だ。もし 自分 ( じぶん ) が 文字 ( もんじ ) に 通 ( つう ) じてゐたなら、ひとつ 羊皮紙 ( やうひし ) を 手 ( て ) に 入 ( い ) れて、それに 認 ( したゝ ) めもしよう。さうして 毎晩 ( まいばん ) うんと 旨 ( うま ) い 物 ( もの ) を 食 ( た ) べてやる。 又 ( また ) 諸所 ( しよしよ ) の 修道院 ( しうだうゐん ) を 訪 ( ともら ) つて、もはや 此世 ( このよ ) に 居 ( ゐ ) ない 会友 ( くわいいう ) の 為 ( ため ) に 祈 ( いのり ) を 上 ( あ ) げ、 其名 ( そのな ) を 巻物 ( まきもの ) に 書 ( か ) きとめて、 寺 ( てら ) から 寺 ( てら ) へと 其過去帳 ( そのくわこちやう ) を 持回 ( もちまは ) つたなら、 皆 ( みんな ) も 嘸 ( さぞ ) 悦 ( よろこ ) ぶ 事 ( こと ) であらうが、 第 ( だい ) 一、 死 ( し ) んだ 会友 ( くわいいう ) の 名 ( な ) を 知 ( し ) らないのだ。 事 ( こと ) に 依 ( よ ) つたら、 主 ( しゆ ) の 君 ( きみ ) も、それをお 知 ( し ) りにならうとなさらないのだらう。 時 ( とき ) に、あの 子供 ( こども ) たちも 名 ( な ) が 無 ( な ) いやうだ。 主 ( しゆ ) の 君 ( きみ ) は 却 ( かへ ) つて 其方 ( そのはう ) が 好 ( い ) いと 仰有 ( おつしや ) るだらう。 幼児 ( をさなご ) は 白 ( しろ ) い 蜜蜂 ( みつばち ) の 分封 ( すだち ) のやうに 路一杯 ( みちいつぱい ) になつてゐる。 何処 ( どこ ) から 来 ( き ) たのか 解 ( わか ) らない。ごく 小 ( ちひ ) さな 巡礼 ( じゆんれい ) たちだ。 胡桃 ( くるみ ) の 木 ( き ) と 白樺 ( しらかんば ) の 杖 ( つゑ ) をついて 十字架 ( クルス ) を 背負 ( しよ ) つてゐるが、その 十字架 ( クルス ) の 色 ( いろ ) が 様々 ( さまざま ) だ。なかに 緑 ( みどり ) のがあつたが、それはきつと 木 ( こ ) の 葉 ( は ) を 縫 ( ぬ ) ひつけたのだらう。 皆 ( みんな ) 野育 ( のそだち ) の 無知 ( むち ) の 子供 ( こども ) たちで、どこを 指 ( さ ) して 行 ( ゆ ) くのだか、 何 ( なに ) しろずんずん 歩 ( ある ) いてゆく。 唯 ( たゞ ) 耶路撒冷 ( イエルサレム ) を 信 ( しん ) じてゐる。 何 ( なん ) でも 耶路撒冷 ( イエルサレム ) は 遠 ( とほ ) い 処 ( ところ ) だ、さうして 主 ( しゆ ) の 君 ( きみ ) は、われわれのごとく 傍 ( そば ) にお 出遊 ( いであそ ) ばすのだ。 衆 ( みんな ) は 耶路撒冷 ( イエルサレム ) まで 往 ( い ) かれまい。 耶路撒冷 ( イエルサレム ) が 衆 ( みんな ) のとこへ 来 ( く ) るだらう。 丁度 ( ちやうど ) 自分 ( じぶん ) にも 来 ( く ) るやうに。 凡 ( す ) べて 神聖 ( しんせい ) な 物 ( もの ) の 終 ( はて ) は 悦 ( よろこび ) に 在 ( あ ) る。われらが 主 ( しゆ ) の 君 ( きみ ) はこの 紅 ( あか ) い 茨 ( いばら ) の 上 ( うへ ) に、このわが 口 ( くち ) に、わが 貧 ( まづ ) しい 言葉 ( ことば ) にも 宿 ( やど ) つていらせられる。なぜといふに、 自分 ( じぶん ) は 主 ( しゆ ) の 君 ( きみ ) を 思 ( おも ) ひ 奉 ( たてまつ ) ると、 其聖墓 ( そのおはか ) が 心 ( こゝろ ) の 中 ( うち ) にもう 入 ( はい ) つてゐるからだ。 亜孟 ( アメン ) 。どれ、 日射 ( ひあたり ) のいゝ 此処 ( ここ ) へでも 寝転 ( ねころ ) ばうか。これこそ 聖地 ( せいち ) だ。われらが 御主 ( おんおるじ ) [#ルビの「おんおるじ」はママ] の 御足 ( みあし ) は 何処 ( どこ ) をも 聖 ( きよ ) くなされた。さあ、ぐつすり 眠 ( ね ) るとしよう。 耶蘇 ( イエスス ) よ。 十字架 ( クルス ) を 負 ( お ) ふあの 白 ( しろ ) い 幼児 ( をさなご ) たちをも、 夜々 ( よるよる ) 眠 ( ね ) むらし 給 ( たま ) へ。われ 真 ( まこと ) にかく 願 ( ねが ) ひ 奉 ( たてまつ ) る。あゝ 眠 ( ね ) むくなつた。われ 真 ( まこと ) にかく 願 ( ねが ) ひ 奉 ( たてまつ ) る。 事 ( こと ) に 依 ( よ ) つたら 御覧 ( ごらん ) になつたかも 知 ( し ) れないが、 幼児 ( をさなご ) のことゆゑ、 気 ( き ) を 付 ( つ ) けてやらねばなるまい。 真昼時 ( まひるどき ) で 気 ( き ) が 重 ( おも ) くなる。 物 ( もの ) 皆 ( みな ) 悉 ( こと/″\ ) く 白 ( しろ ) つぽい。しかあれかし、 亜孟 ( アメン ) 。