Love Is a Verb — On Falling and Standing — Epoche C2
場面設定: 結婚式の前夜、夜更けの実家の台所。家じゅうが寝静まり、明日のための花や、白いテーブルクロスの畳まれた山が、暗がりに、ぼんやりと白い。冷蔵庫の低い唸りだけが、しんとした空気に響いている。眠れずに降りてきた、明日の花嫁ミナ(二十代後半、寝間着の上にカーディガン、両手で温いカモミールティーのマグを包み、目には興奮と、ほんの少しの不安)と、先に起きていた祖父のジョー(七十代、格子柄のガウン、三年前に五十五年連れ添った妻を看取った男やもめ、窓辺の古い椅子で、ひとり夜を過ごしていた)。壁には、若き日の祖父母の、色褪せた結婚写真が、一枚。時計は、午前一時を回ったところ。 おじいちゃんも、眠れないの? わたし、どうしても寝つけなくて。……怖じ気づいた、っていうのとは、ちょっと違うの。ただ、ずっと心に引っかかっている問いがあって。みんな『その人だ、って分かるものよ』って言うでしょう。でも、わたし、毎分毎分、雷に打たれているみたいな感じが、するわけじゃないの。普通の日には、ただ……彼のことが、好きだな、って思うだけ。それなのに、明日、永遠を誓うのよ。おじいちゃんは、どうやって、おばあちゃんで『分かった』の? わたしの感じている気持ちが、もし、十分に大きくなかったら、どうしよう。 五十五年だ。そして、お祝いのカードには決して書いてない秘密を、一つ教えてやろう、ミナ。お前が、四六時中感じていたいと待っている、あの雷——あれは、愛そのものじゃないんだ。あれは、愛の『宣伝』だよ。スタンダールが、いい言葉を残している——結晶作用、とな。裸の小枝を、塩の鉱山に落として、しばらく置いておく。すると、それは、目もくらむ結晶に覆われて出てくる——そしてお前は、その小枝が、はじめから宝石だったと、誓って言い張る。恋に落ちる、というのは、それなんだ。ありふれた一人の人間を、お前自身のきらめきで、覆ってしまう。美しいことさ。なくてはならない、とさえ言える。けれど、それは、彼の上に乗った『お前の』きらめきであって、彼じゃない。結晶は、いつだって、だんだん薄くなる。 それこそが、わたしを怖がらせていることなの——もし結晶が薄くなって、きらめきが彼のものじゃなくてわたしのものなら、それが消えてしまったとき、あとに残るのは、ただ……お皿を洗っている、好ましい一人の男の人、ってことでしょう? 色褪せていくことこそが、本物じゃなかった証拠、なんじゃないの? それが、現代の大きな思い違いでね。だから、お前の友達の半分が、四人目の『運命の人』を探しているわけだ。彼らは、あの感情こそが愛だと思い込んでいる。だから、感情が冷めると——そして、それはいつも冷めるんだ、あれは誓いじゃなく、化学物質だからな——愛が死んだと結論して、また雷を狩りに出かける。お前のおばあちゃんと私は、棚に一冊、本を置いていた。フロムの『愛するということ』だ。彼が真っ先に言うのは、こうだよ。誰もが、愛されることに、正しい相手を見つけることに、取り憑かれている。けれど、愛を、『学ばねばならぬ』何か——チェロのように、歌い出すまでに、何年も下手に練習する技術——だと考える者は、ほとんどいない、とな。 でも、『練習』だなんて、あんまり……ロマンチックじゃない。冷たいわ。まるで、魔法を、義務に置き換えなさい、って言われているみたい。もし愛が、ただ、わたしが努力して身につける技術なら、あの驚きは、どこへ行くの? あの、さらわれてしまう感じは? わたし、『計画』と結婚したいわけじゃないの。 ああ——そこに、私がまだ言っていない、肝心な落とし穴がある。だから、私を、あの義務一辺倒の連中と、一緒に埋めてくれるなよ。彼らは、正反対の間違いを犯すんだ。『愛は実践だ』と聞くと、そこから喜びを残らず搾り取って、世帯を切り盛りする、二人の他人どうし、で終わってしまう。それも、違う。五十五年が私に教えてくれたやり方で、言わせてくれ。落ちることは、感情だ。踏みとどまることは、実践だ。そして、秘密のすべては——その実践こそが、感情を、また可能にしてくれる、ということなんだよ。 ……その実践が、感情を、また可能にする。もっと聞かせて——それは、どちらの側も、教えてくれないことだわ。 フロムは、その実践を、四つの飾り気のないものに、分けている。魔法なんて、ない。配慮、責任、尊重、そして知だ。配慮——お前は、本当に、毎日、相手の世話をする。庭のようにな。責任——相手が必要としているときに応じる、自分がそうしたい気分のときに、ではなく。尊重——相手が、お前が結晶で覆った宝石ではなく、その人自身の、奇妙な姿のままで、いさせてやる。そして、知——これは、誰も予想しない一つだ——お前は、相手を、『学びつづける』。五十五年が何をするか、ミナ、その四つをやれば、教えてやろう。三年前に私が看取った女性は、二十五のときよりも、八十のときのほうが、私には、ずっと驚きに満ちていた。なぜなら、私は、生涯をかけて、本当に、彼女を見つめてきたからだ。結晶は、薄くならなかった。私は、本物の彼女から、新しい結晶を、何度も、何度も、作る術を、覚えたんだよ。 (静かに)……おじいちゃんは、結晶を作り直したのね。新しい面を、見つけつづけた。じゃあ、あの『落ちる』感じは、一度使ったら終わりの出来事じゃなくて——使いつづけられる、一つの能力だった、ということ。 まさに、それだ。スタンダールは、結晶作用を、若い愚か者の妄想で、いずれ卒業するもの、だと考えていた。私は、それは、ゆるみっぱなしにするか、鍛えつづけるか、どちらかの、筋肉だと思う。出会いの雷は、不随意だ——ただ、落ちる。五十年目の雷は、勝ち取ったものだ——お前が、その天気を、自分で作るんだよ。もう知り尽くした、と決めてしまった相手には、誰も払わない種類の注意を、払うことで、な。たいていの結婚は、感情が足りなくて、死ぬんじゃない。二人が、こっそり、相手を学び終えた、と決めて、見つめるのをやめ、そうなれば当然、食卓の向こうの他人には、もう、明かすべきものが、何も残っていなかった——だから、死ぬんだ。 でも、おじいちゃん——つらい時期は、どうだったの? おじいちゃんとおばあちゃんだって、毎年きらめいていたわけじゃないでしょう。感情が、まるきり無いまま、踏みとどまった年も、きっとあったはずよ。 ああ、誓いだけを頼りに、踏みとどまった季節も、あったとも。感情なんぞ、一週間前のビールみたいに、すっかり気が抜けてな。そして、その年月を『嘘だった』と呼ぶ者がいたら、私は誰に対してでも、その年月を、弁護するよ——なぜなら、まさにそこでこそ、あの動詞が、一番きつい仕事をするんだ。人は、正しい行いの『中へ』、感情で辿り着くんじゃない。ごく多くの場合、行いによって、感情の『中へ』辿り着くんだよ。感情が無いときに、なお配慮しつづける、というその決断は、愛の死ではない。愛の、幹だ。感情は、花だ——見事で、そして、季節のものさ。誓いは、冬にもそこにある木だ。木全体を、支えている。そうやって、花が、春にまた戻ってくる場所を、確保しているんだ。花だけと結婚してごらん。最初の厳しい冬に、お前は、木が死んだ、と思い込むだろうよ。 だから、明日、わたしがあそこに立って『永遠に』と誓うとき——わたしは、五十年間、寸分たがわず今のこの気持ちでいる、と約束しているんじゃないのね。それは、守れない約束だもの。わたしは、あの四つのことを、し続ける、と約束しているの——感情が、また戻ってくることのできる、帰る家を、持てるように。 これで、お前は、結婚する用意ができた。誓いとは、はじめから『私は、いつもこう感じます』ではなかったんだ。それは、『私は、たとえそう感じないときでも、とりわけそういうときにこそ、この実践に、姿を現しつづけます。なぜなら、私は、この人を——この、かけがえのない、ただ一人の人を——自分の、その種の注意を払う、たった一つの能力を、注ぎ込む先だと、決めたのですから』だ。そして、お前の、あの『指でなぞって、流して』の世代まるごとが、それに対して、何を持っていると思う? 何もかもをだよ。あの世代は、次の選択肢は一タップ先にある、誰も、かけがえのない存在である必要などない、探索は、開いたままにしておけ、と告げるように、出来上がっている。愛は、探索を『閉じた』ときにだけ、働く、ただ一つのものだ。それは、最適化するのをやめて、世話をしはじめる、という決断なのだよ。 『最適化するのをやめて、世話をしはじめる』。それは、わたしが、何かを欲しがるように教わってきた、その教わり方の、正反対だわ。(と、小さく笑って)わたしは、感情が、十分に大きくないことを恐れて、ここに降りてきたのに。おじいちゃんは、感情なんて、はじめから要点じゃなかった、と言っている——それを測るのをやめて、それを守る当のものを、築きはじめなさい、と。 (壁の古い一枚の写真を見やって)私は、それを五十五年間、測ってきたよ。ただ一つの、正直な物差しで——彼女を、どう感じるか、ではなく、背を向けるほうが楽だったときに、それでも、彼女のほうへ、向き直りつづけたかどうか、でな。(と、微笑む)お前のおばあちゃんは、逝ってしまった、ミナ。そして、ここからが、ロマンチストは決して警告せず、義務一辺倒の連中は、決して勝ち取れない部分だ——私は、結婚した日よりも、今のほうが、彼女を、深く愛している。実践は、感情が止まりうるときに、止まらないんだ。五十五年かけて、私が彼女から作った結晶——あれは、どうやら、まったく、薄くならないらしい。(と、彼女の手を、ぽんと叩く)さあ、おやすみ。明日、雷と結婚するんじゃないよ。雷は、放っておいても、勝手に来ては去る。お前が、残りの生涯をかけて、学びつづけてもいい、と思える男と、結婚しなさい。そして、灰色の、何でもない朝に——そういう朝は、何千とある——お皿越しに、彼のことを、ただ素朴に、好きだな、と思うとき? いいかい、それは、愛が尽きていくんじゃない。それは、冬の、あの木だよ——これから咲く、何もかもを、支えている、あの木なんだ。 解説: 結婚式前夜の台所を舞台にした C2 級・十六ターンの弁証法。眠れぬ花嫁と、五十五年連れ添った妻を看取った祖父の、世代を越えた対話。正:花嫁ミナの(問いとしての)立場——『その人だと分かる』はずなのに四六時中の雷を感じない、感情が十分に大きくなかったら、色褪せこそ本物でなかった証拠ではないか、と恐れる(愛=感情)。反:祖父ジョーの立場——その雷は愛ではなく愛の宣伝で、スタンダールの結晶作用(裸の小枝を自分のきらめきで覆う)は必ず薄れる。感情を愛と取り違えるから人は次の雷を狩りつづける。フロムの『愛するということ』が説くように、愛は学ぶべき技術であり、配慮・責任・尊重・知の四つの実践だ。合:義務一辺倒も誤りで、要諦は『落ちることは感情、踏みとどまることは実践、そして実践こそが感情を再び可能にする』。結晶作用は卒業すべき妄想ではなく鍛えつづける筋肉で、五十年目の雷は本物の相手を学びつづける注意によって勝ち取られる。つらい季節に誓いだけで踏みとどまる年月は嘘ではなく愛の幹(感情=花/誓い=冬も立つ木)であり、行いによって感情の中へ辿り着く。誓いは『いつもこう感じる』ではなく『感じないときも実践に姿を現しつづける』こと——探索を閉じ、最適化をやめ世話をしはじめる決断。スワイプ文化は相手を交換可能にして愛の核を壊す。最後は『感情を測るのをやめ、それを守る当のものを築け』『灰色の朝の素朴な好意こそ、咲くものを支える冬の木』へ収束する。 参考文献 Plato. 『Symposium(饗宴)』(B. Jowett 訳). Oxford: Oxford University Press. Stendhal (H. Beyle). (1822). 『De l'amour(恋愛論)』. Paris. Fromm, E. (1956). 『The Art of Loving』. New York: Harper & Row. hooks, b. (2000). 『All About Love: New Visions』. New York: William Morrow. Finkel, E. J. (2017). 『The All-or-Nothing Marriage: How the Best Marriages Work』. New York: Dutton.