功利主義と義務論の対決 — Epoche C2
場面設定: オックスフォード・ベイリオル校のフェロー食堂、夕食後の食後酒の時間。倫理学を専門とするジョナサン(48歳・イギリス人)と、政治哲学を専門とするアナンド(45歳・インド人)。今週、地中海で500人乗りの難民船が転覆した報道を踏まえ、二人の議論が始まる。 アナンド、今週の地中海の難民船転覆の件、君の所属する政治哲学の立場から、どう考える? 500人のうち救助されたのは80人。残り420人は犠牲になった。EU諸国の救助体制と、難民流入を抑制したい政治意思との間に、典型的な倫理的ジレンマが見える。 ジョナサン、まず一つ問わせてくれ。君が「典型的な倫理的ジレンマ」と呼ぶ時、君はすでにこの問題をトロッコ問題のフレームに押し込もうとしている。500人の難民を、線路に縛られた5人と同列に論じるのは、倫理学の貧しい応用ではないか。 その指摘は、トロッコ問題への一般的な批判と一致する。けれど、フレームを否定しても、判断の必要性は残る。EUの政策担当者は、明日には政策を決める。「トロッコ問題は単純化しすぎ」と批評するだけでは、彼らの判断を支援できない。 それは正しい指摘だ。批判は判断を代替しない。では、君は功利主義者として、この問題にどう答える? 「最大多数の最大幸福」を計算するなら、難民救助は地中海で何人助かるかだけでなく、EU市民全体の福利、難民申請の連鎖反応、極右政党の伸長まで含めて計算しなければならない。 その点こそ、ウィリアムズが『功利主義論』で批判した「無限後退する計算」の問題だ。功利主義は、計算項目をどこで打ち切るかの基準を持たない。けれど、義務論なら「人を助ける義務がある」で議論が終わる。むしろ義務論の方が決定的では? カントの定言命法を思い起こしてくれ。「人を目的として扱え、手段として扱うな」――難民を救助しないことは、彼らを「EU政策の手段」として扱うことになる。これは義務違反だ。けれど、君は反論するだろう。EU市民もまた、目的として扱われる権利がある。義務同士の衝突を、義務論はどう解決する? 義務同士の衝突は、義務論の最大の弱点だ。カント自身は「正義の義務 vs 慈悲の義務」のような序列を提示したが、現代の義務論はそれほど明確な序列を持たない。むしろ、ロールズの『正義論』が示した「無知のヴェール」のような、手続的解決を採用する。 「無知のヴェール」を地中海の難民問題に適用してみよう。「自分が難民かEU市民かを知らない状態で選ぶ」と仮定すれば、おそらく誰もが救助義務を強化する選択をする。ロールズの思考実験は、義務論を功利主義に近づける効果を持つ。 近づけるだけで、同じではない。功利主義は「結果として最大幸福が得られるか」で判断するが、ロールズの選択は「自分がどの立場に置かれるかわからない時、どの原理を選ぶか」という選択の手続きで判断する。これは義務論の系譜だ。 では、第三の道として徳倫理を持ち出そう。アリストテレス以来の徳倫理は、「正しい行為は何か」ではなく「善き人はどう振る舞うか」を問う。地中海の難民を前にして、勇気・慈悲・正義を兼ね備えた人物なら、どう判断するか。功利主義と義務論の論争は、徳倫理から見れば瑣末な計算論争に映る。 徳倫理の視点は、議論の地平を変える。けれど、徳倫理にも問題はある。「善き人の振る舞い」は、文化や時代によって異なる。古代ギリシャの徳と、21世紀EUの徳は同じか? 徳倫理は、徳の内容を確定する手続きを持たない。 確定する手続きを持たない、という点では、功利主義の「幸福」も義務論の「義務」も同様だ。倫理学の3つの主要立場は、それぞれ異なる「未確定の中心概念」を持つ。私たちは、自分の立場の未確定性に謙虚であるべきで、他の立場を一方的に否定するべきではない。 その謙虚さが、結局は実務的判断を遅らせる。明日の政策担当者は、3つの倫理学派の謙虚な共存ではなく、ある決断を必要としている。倫理学者は、決断の代替を提供できないまま、批評を続けている。これは哲学の弱点ではないか。 哲学の弱点というより、倫理学の役割の限界だ。倫理学は決断を作るのではなく、決断の質を高める。地中海の難民救助について、哲学者が「結論」を出すべきだとは思わない。けれど、政策担当者がトロッコ問題の単純化に陥らないよう、概念の精緻化を提供する。これが倫理学の貢献だ。 ……そろそろ食後酒も終わりだ。アナンド、今夜の論争に決着をつけよう。功利主義と義務論、どちらが今夜の支払い方法として相応しいか。 ……功利主義で割り勘、義務論で先に出ようか。割り勘は最大多数の幸福を最大化する。先に出るのは、後の者を待たせない義務を果たす。倫理学の論争は、最終的にこの会計に降りてくる。明日の難民政策も、こんなふうに決まればいいのだが。 解説: ウィリアムズの『功利主義論』とカント・ロールズ・徳倫理を踏まえ、ソクラテス式問答で両者の前提を露出させる。最終ターンの皮肉「功利主義で割り勘、義務論で先に出る」は、抽象的な倫理学の論争を会計の場面に降ろす言葉遊び。倫理学は決断を作るのではなく、決断の質を高める――その慎ましやかな自己定義で、深刻な難民問題と日常の支払いの両方を笑いに包む。