「片付けられない人」問題 — Epoche C1
場面設定: ウィーン・ノイバウ地区の自宅、週末。几帳面な妻クララと、汚部屋派の夫トーマスの片付け論争。 トーマス、書斎、また物が積み上がってるよ。先週、片付けたばかりじゃない。一週間でこの状態、信じられない。 クララ、君の言う「片付いてる」は、博物館レベルだよ。俺の感覚では、机の上に本があるくらい、普通だ。 「本があるくらい」って、床にも積んであるじゃない。物の住所が決まってないから、永遠に見つからないんでしょ。 でも俺は、自分の山の中で、何がどこにあるか分かってるんだ。君が「片付けて」くれたら、逆に分からなくなる。 それ、ちょっと分かるかも。私が几帳面なのも、自分の安心感のためだしね。リビングと寝室、共用部だけはルール決めない? 賛成する。共用部は君の基準でいい。代わりに、書斎は俺の聖域。ドアを閉めて、君は見ないでくれる? 分かった。書斎は見ないって約束する。ただし、害虫が出た時だけは、私が介入するからね。 ははっ、その時は降参するよ。これで二十年悩んできた問題が、今日、解決したな。 本当ね。家の中は片付かなくても、夫婦の関係は、整理整頓できたってわけ。 結局、二人で片付けられるのは、夫婦の関係だけ、ってことだな。 解説: 「片付けの価値観」が衝突する古典的夫婦喧嘩を、共用部と個人部の線引きで解く。「夫婦の関係だけは片付いた」という最終ターンの皮肉な結びが、片付けの問題を関係論に昇華する。違いを直すのではなく、違いに棲み分けの場所を作る知恵。